アカデミアを退職しました
どうも、めっちゃお久し振りです。Loki.、あるいはわらたまです。
昨年度 (2022年度) 3月末日をもって博士課程を退学し、某社データサイエンティストとして就職いたしました。
実はこのノートを書いているのは2022/08/16だったりするのですが、あまりに頭のなかがこれで埋め尽くされているのでとりあえず書いて放置しておこうという魂胆です。
みなさんも私もお待ちかね、アカデミア退職エントリ、目次です。
TR;DL (数学だけで人生楽しめる) 才能がねぇ!労働環境もねぇ!金もねぇ!もうむりぽ!
やっぱ労働時間と環境は法的な縛りがあったほうが良いわ
身も蓋もないですがそういうことです。もちろんちゃんと終身雇用された場合には労基の監督対象内になりますが、とは言え大学教授職は裁量労働制が認められている職業。荒っぽく言えば、訴え出なければ休日手当も超過残業代も出ず、これを労基の監督対象内と言って良いのかも怪しいところ。しかも研究には代わりがいないから傷病手当なんてなんの意味もない上に研究資金は5年くらいに一度せっせとレポートを書いてひと穴当てないといけない。さらには国公立大学の場合は給料は公務員程度。
終身雇用された場合ですらこれで、実際若手のうちはドサ回りさながら任期あり職を巡る (巡れるだけ幸運) ことは周知の事実かと思います。そしてその初手であるDC/PDは素晴らしいことに社会保険非完備 (non-completeではなくnever-complete) です。これに労基が入らないということ、雇用契約でないということが恐ろしい。
こういうことに恐怖を覚えずには居られませんでした。労働基準法に限らず法律は一般に素晴らしいですね。
この船、傾いてない?(私見)
身も蓋もないシリーズ2です。先述した労基が入らないのもそうですが、とにかく小学校から始まるアカデミアの環境は世の中から悪い方向にかけ離れ過ぎています。
成人を集めておきながら食わせる気のない賃金体系、揉め事 (という名の刑法にひっかかり案件) が起こっても学内で処理しようとする無法地帯、不透明な人事評価とかいう次元ではない評価制度 (e.g. 出来公募) などなど、枚挙に暇がございません。
これに付け加えて親会社たる政府が金を出さないとなれば、もうそれはどういう人間を求めている職場なのかと理解に苦しみます。
最近やっと政府が若手に金を出さんことはないかもしれないかもねくらいのムーブをしていますが、東大はともかく地方の国公立ですら雑誌の購読が止まったり図書館費が削減されているという話は否応なく耳に入ります。つまり、やっと引き当てたポスドクの後の就職先には十分な研究資源が無いかもしれないということもついでに覚悟しなければいけません (数学はarXivあるからまだマシかも)。
日本に今から原油が脈々と湧き出しでもしない限りはこの状況はどんなけ少なく見積もっても10年は変わらないでしょう。私の就職には間に合いません。
それだけならまぁ「俺がなんとかしてやらァ」という気持ちにでもなったかもしれませんが、如何せん身内たるアカデミア各位の議論について、こういうときだけ建設性が0、悪いと負になるという不思議な事象を散々目にしました。世の中でそれなりに「頭がいい」と思われている人間を数千人集めたコミュニティの今後についての議論をするときだけ建設性が0以下になるという事象は研究に値すると思います。
わかります。自分が就職しちゃったらどうでもいいんですよね。その時間で研究したい。よくわかります。
以上のことを見た上で、残念ながら私は傾いてるっぽい船に情で乗り続けるほど素敵な人間ではありませんでした。
やっぱ俺、数学だけで食ってけねぇわ
博士まで行ってそれあり?という話ではありますが、「やっぱ製薬の勉強も楽しいよな」「最近CWの練習してねぇわ」「ゲーム実況たーのしー!」してる私には、数多の困難を乗り越えてまでも大学の教員になりたいというモチベーションがありませんでした。いや割と最初からわかっていたことではあったのですが、家庭環境の都合でそれ以外の職業知らなかったんですよね。しょうがない。
上の労働基準法と合わせて、1日8時間休憩1時間で1ヶ月20日、あとはオプションでちょこっと、というような環境でちまちまお金と時間を得ることが自分の知的好奇心を最大限満たせる方針だということに途中で気づきました。
「好奇心を満たすにも金と適当な余暇がいる」これは我が家の家訓としたいと思っています。
やっぱ俺、日本向いてねぇわ
これは博士まで行って気づけたことなのでギリギリセーフ (ただし微妙にお金の問題が絡んでおりその節は申し訳ございません)。
ヨーロッパ圏の某国に研究室メンツで行った際、日本に帰りたがってない人間が私一人だったときの衝撃は今でも忘れられません。乗り継ぎ空港の夜中の2時、アメリカ留学経験のある先輩に「日本帰りたくないです、日本語話すのつらくないですか?英語のほうが楽くないですか?」と言ったらけんもほろろに「いや英語だと細かいところしゃべれないじゃん」と一蹴され、目が覚めてはいないですが、そこでようやく「日本語を喋りたくない自分は政治的なポジション除いても異常なんだ」ということに気付かされました。
あと普通に帰国後東京のゴミゴミに絶望しましたね。なんで俺はこんなしんでぇ〜場所で数学やってたんだろうと思いました。そら心のひとつやふたつ病みますね。家の近くで芝生ゴロンとかそういうことが簡単にできそうな某国に嫉妬しました。あと人々が良い意味で気が抜けてるのが良い。日本はマジで気遣い過ぎてしんどい。
折しもイギリスが修士・博士卒の人間に2年くらいの就労ビザを出すという政策を施行開始していたこともあり少し調べたのですが、イギリスは学生のうちにインターンするのが当たり前で、日本みたいにポテンシャル採用で何も知らない新卒を雇って育成することはほぼないことを知り、絶望しました。
絶望しつつも、どう考えても大学研究職でイギリスなど狙った国に就職するのは困難だと思っていたので、「日本のポテンシャル採用で育成してもらい、そのスキルで他の国に採用してもらおう」という方針に切り替えました。最初は言語能力的にコンサルを見ていたのですが、おそらく国際的につぶしが利くのはエンジニア周りだろうと思ってるときにデータサイエンティストといういいとこ取りな職業を見つけました。アカリクのエージェントさんには感謝しております。
働き始める弊社は最終面接の社長との面接でも「今は終身雇用という時代でもないから…あっいやずっと働いてくれるのはウェルカムなんだけど」という程度の期待値なのでそこらへんのギャップもなく有り難い限りです。双方の利益のためにもできる限り早く一流のデータサイエンティストになりますね。
やっぱ俺、市場価値高くね?
就活を始めてみたら自分に想像以上に市場価値がありました。
数学科は潰しが効かない、博士まで入っちゃったらあとはアカデミア就職しか無い、「取らないと気持ち悪いが取っても食えない博士号」など諸々言われますが、全部ウソでした。
確かにIT系の経験はあったほうがいいですが、多分市場では「つよい情報系出身者とそれ以外」でザクッと分けられるだけでした。
修士での留年や博士1年での退学についても書類選考含めそこで弾かれることは見た限り無かったように思いますし、博士を取らないと気持ち悪いかどうかはその人の気分次第です (ついでに言うと今取るかどうかもその人次第)。
今回入社する会社もかなり素の状態での私のことを評価していただいていたことが入社を決めた理由です。
今後アカデミア退職しようかなと考えている人は自分には想像以上に市場価値があるということを自覚していただいて、むしろその価値がわかってないような会社には入らないことをおすすめしたいです (今までちゃんと学業やってきた人間に限る)。
やっぱ俺、ジェネラリストで居たいわ
数学だけで食ってけねぇわの続きな気がする。
アカデミアって民間で言うプレイングマネージャーが多いと言うか全員みたいなところがある割に、「マネジメント技術」って教えてもらってないんですよね、多分。プレイングマネージャーって一番ムズいポジションな割に。
そういうことに気づいたのもあって、30や35まで仮に何かのアカデミア職を転々としたとして私に残るスキルってなんだろうって考えたときに、数学 (+よく言われるプレゼン能力とか論理スキルとかあとは例の書類を書く能力) しか無いなって思ったんですよね。
いやもちろん数学能力は貴重ですけど、じゃあ私が他のスキルを身につける時間を犠牲にして数学能力に特化したいか/すべきかって言われるとそうじゃないなという結論になっています。
なぜなら私はジェネラリストとして生まれたからです。以上。
俺、数学者としては死んだわ
新谷さんは
という言葉を残して亡くなりました。この話を聴いた高校の時から、「数学をやってゆくために最も肝要な部分が破壊されてしまった」というのがどうして自分でわかるのか、ということが疑問でした。論理的に考えられる頭脳が残っていれば数学はできるだろうと思っていました。
先輩方を招いた博士入試の練習会で「やりたいこと」を答えられずに号泣したときに、私の中の数学者も死んだことを察しました。私と新谷さんの数学者としてのレベルは天地の差ですが、逆にその分新谷さんのほうがこの感覚を、死を選ぶほどに絶望的に捉えたであろうことは想像がつきます。
本番の博士入試はテキトーにお茶を濁しましたが 、これを感じた以上、数学の道で今後も生きていく選択肢は私にはありませんでした。
やっぱ俺、「女性」では居られねぇわ
Loki.さん、実は身体的には女性です。で、最近流行りの「女性限定公募」やら「女性のためのうんちゃら」、あれを毎日苦虫噛み潰した顔で見てました。多いときはメーリングリストに4通/dayくらい来てキレました。
真面目な話なのですが、仮に博士取って、ポスドクに応募して、任期付きに応募して… ってなったときに、どこかで「女性だから通った」って言われるんだろうな、と思ってきました。絶対嫌じゃんそんなん。
最近は「女性限定公募」として出してなくても「同等なら女性を採用します」とかいう但し書きが書いてあったりもします。つまり女性限定公募だけを避ければ良いという話でもありません。出す公募無くなっちゃうじゃん。
あれは男性側がキレるのもわかります。パイが小さければ全員が争って醜い環境になるということの典型例ですね。
5億歩譲って女性限定公募をくぐり抜けたとしても、その後何かと「女性のなんちゃら」に引っ張られるであろうことを申し訳ないながら察しました。
さらに話がややこしいのですが、私自身のセクシャリティはnon-binaryです。そもそも自分が100%ピュアな女性であるという認識すら無いのに戸籍に女性と登録されているだけでこういう厄介事に巻き込まれるのは御免だわ、というのが本音でした。(non-binaryなのでFtMになるという方針もない。)
これはそこそこデカい理由です。アカデミア各位は女性限定公募の負の側面を考え直したほうが良いと思います。まともな民間ではセクマイをどうするかって次元の話を始めている (早いとこは終わってる) のに、アカデミアではまーだ公募を男女で分割して出していることに嫌気が差しました。
余談ですが民間応募の履歴書は性別欄を消して出したものの、オンシャァのデータベースには女性として入っていました、ウッカリウッカリ (個人的にはデータベースは女性でOKです、 DBにおける欠損値のめんどくささはわかるので….)
アカデミアでの後悔
報連相の練習は民間ですべきだった
これは数社面接を受けて、オンシャァの最終面接でわかったことでした。「報連相、民間の人のほうが上手いわ」。
当たり前です。アカデミアはどこまで行っても基本的に自分の研究は自分の研究で、他の人が代わってくれるものではありません。指導教員も報連相を受けたからといってどうにかできるかと言われるとできないものも多いでしょう。開き直って申し上げますが、経験上も知識上も、そのような「見返りがほぼ皆無の報連相」は長続きしませんし精度も上がりません。
普段から仕事の一環として上司や同僚に報告・相談し、アドバイスを得たり、ときに同僚に仕事を代わってもらったりする民間の人々とは報連相に対する考え方と報連相スキルが雲泥の差だということに気づきました。
このスキルがあれば少しは指導教員とのコミュニケーションが上手くいったのかな、というのは後悔として残ります。しかし常にアカデミアの中にいることを求めたのは当の指導教員なのでまぁなんとも…
上司相手に個人的な感情は要らなかった
えっそういう話??という話ではなく、上司のパーソナリティはもう変わらないのだからそれを変えようとするのではなく、どう最適に上司を使うかを考えるべきだった、という意味です。
私も可能ならば上司とは個人的な友人であり、対等な人間でありたいと考えています。悪いことをしていれば諌めたいと思いますし、誕生日には個人的な贈り物をしたいと思います。「使う使わない」というのは対等な人間同士のすることではありません。
しかしながら日本の大部分ははまだ「上司との対等な人間関係」を良しとする環境ではありません。ならばそれに合わせた上司との付き合い方をすべきでした。それに気づくのが非常に遅れたというのが反省点の一つです。
しかしいくらそうすべきとわかってはいても、そういう職場は私には合わないなと思っているので、今回の就職先はそうならないように厳選しました。(結果的にベンチャー寄りになりました。新卒カードは大企業に切れってIT界隈ではホントなのかどうなのか)
作りたいものでも作れるものでもなく、作り続けられるものを見つけるべきだった
私は割と直感型というか、「ビジョンがある日頭に降ってきた」を地で行くタイプなのですが、これを数学でも続けようと思ったのが問題でした。
当たり前ですが、ある日頭に降ってきた、を待って十分な研究と論文を得られるほど数学や研究の世界は甘くありません。特に、とりあえず重要 (そう) な成果を産出する必要のある若手ならなおさらです。それに気づくのが遅れたことが後悔の1つです。
話は若干ずれますが、これに気づいたのは内定後アクセサリーづくりをしたいと思って少し勉強してみたときでした;「既に相当の評価を受けているのでない限り、作りたいものが頭に降って来るのでは遅い。系統的に、それでいて他とは違うものを作れるようにならなければダメだ。」
以上のことからわかるのは、才能無い人間が下手に数学だけやっててはダメということですね。視野が狭くなる。
アカデミアで学んだこと
「天才」なんて居ないこと
数学は特に才能が重要であるとは言え、完全に才能だけで食ってる人間は見ませんでした。絶対どっかでアホみたいに数学に時間を費やしてます。
ただし、それが苦になるかならないか、人間生活とのバランスを取れるかどうかを天才の能力と呼ぶなら天才は居ると思います。(まぁでもぶっちゃけ生まれ持った体力差というか、丈夫さ、あるいは若い頃に身体を壊さないガチャみたいな部分もそこそこ勝負っぽい気はしました。)
うちの研究室が特別に強く体育会系であったのでなおさらはっきりわかりましたが、人間生活を捨てて努力すれば私でもある程度のところまでは行きました。
人間生活を捨てるまでして何かをすべきだとは5ミリも思いませんが、どの分野にも「天才」は多分居ないと思います。それがわかったことが非常に大きな収穫でした。
人には年齢に応じた立ち位置と身につけるべきスキルがあること
いくらアカデミアが特異と言っても中身は全員人間です。どんな超人・天才でも細胞分裂してテロメアに行き着きます。
もっと言葉を選ばず言えば、単一スキルではどこかで絶対若手に負けます。大事なことなので2度言います。単一スキルではどっかで絶対若手に負けます。
それに気づかず若いままのつもりでいるお年の方を、アカデミア限らず一般に「老害」と言います。
IT系でも生涯エンジニアでいようとする人間は邪魔や、みたいなツイートありましたけど、その真偽はともかく、生涯ずっと専門家でいようと思えば思うほど年齢に応じた立ち位置とスキルを把握することは大事だと思います。
もっと直截に言えば、ただ先端知識・技術がわかってつよつよしてるだけでは足りないのではないか、という意味です。
そういうことを踏まえて「俺ジェネ」のようなことを考えました。例えば私が40になったときに40として振る舞うに必要なスキルを身に着けられるかというと、アカデミアでは私についてはNoだと思いましたが (ここはマジでその人の素質に依存したガチャが発生します)、民間でもよっぽど意識しなければ難しいでしょう。そこを今後気をつけていこう、ということが学びでした。
人間、マキャベリストになるべきときがあること
私は必要がなければできる限り喧嘩しませんし、相手が多少間違ったことを言っていても「うんうん (はぁそうですか…」で流すほうです。
しかし、世の中にはそんな配慮もなんのそので踏み越えて来る人々が多くいらっしゃるということを学びました。冷酷さと恩情の使い分けは今後の課題です (ナメられないようにしたいね!)。
ここから先は「私が誰かわかっていて、ここまでの当たり障りのない理由では満足しない人」か、「このエントリに10万出しても惜しくねぇわ」って人が読む用です。悪口は書いていません。ただ、私が本当に悲しかったことを書きました。
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