あたまの中を棚卸し

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大学で勉強して良かったなーと思うのが、アフリカのこと。峯陽一の新書『南アフリカ』を皮切りに、数は多くない日本人アフリカ研究者の本を色々読む。特に『現代アフリカと開発経済学』20年以上経った今でも知的な刺激に満ちている。卒業論文でお世話になった南アフリカ社会運動論の牧野久美子や、当時はバイブルのように読んでいた京都大学文化人類学者の松田素二のソフトレジスタンス論など、アフリカ研究という空間的にも心理的にも遠くに視線を向けることで、ひるがえて自分が立っている場所を広い視点から見つめることができた。

仏教では恐山院代の南直哉さん、社会保障と科学史を統合しつつ見田宗介社会学を継承する広井良典、環境倫理学では東大の鬼頭秀一が面白かったなぁ。格闘家の須藤元気の本をキッカケに読み始めたオカルトやスピリチュアルは、回り回って文化人類学や歴史学とも通じていたのが面白かった。カルロス・カスタネダの研究はメキシコで研究をしていた見田宗介が真木悠介の名義で分析を書いているし、江原啓介が先鞭をつけたスピリチュアリズムは欧米で怪奇現象を科学的に計測しようとする営みであることを『シルバーバーチの霊訓』で知ることになる。

さて本来は歴史学科・西洋史専攻だったので、研究の最新事情をまとめた論文集「史学雑誌」の毎年5月号「回顧と展望」を読んで、研究の最新動向をチェックしていたことが懐かしい。また授業においては東洋史概説の藤谷浩悦の講義がダントツに面白かった。お茶、髪型、恋愛、色から中国史や近代化をわかりやすく、面白く、広い視野で語ってくれた。中国史といえば経済社会史の岡本隆司『李鴻章』、あるいは上田信『東ユーラシアの生態環境史』は最近読んで目からウロコがザラザラこぼれた。当時は中世史の復権が叫ばれ、一橋学長をつとめた西洋中世史の阿部謹也や、日本中世史の網野善彦がいる。学生のときは読んでもチンプンカンプンだったけど、今読むと興味深いことが多い。理解力がなかっただけではなくて、きっと社会が変わってこの肌身で中世を理解できるようになったことも大きいんだろう。

網野善彦といえば甥の宗教人類学者・中沢新一の『アースダイバー』は本当に影響を受けた。古墳の上に寺社などが建立されている、歓楽街は縄文人にとっても生死の境目である入り江であったこと、古東京湾が内陸深く埼玉にも海水面が食い込んでいたこと。時間と空間を立体化して、何もないところに過去から現在に移り変わる映像を、頭の中にこしらえる大事なキッカケになった。

さて他大学から聴講に言って、最も学問的に鍛えられた渡辺治先生のこともちゃんと話しておこう。毎週水曜16時半から21時までの要約発表は準備も、本番の先生からの厳しい指摘も辛かったね。でもここまでやらないと自分の思いこみを排して、筆者の主張をそのままに読めないんだよ。つまり本を読む「筋力」を身体で覚えたことは大きかった。

知的好奇心いっぱいのアフリカ研究で出発した大学生活は、いつしか自ら学問を生み出す側になっていた。

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