少し前の私と話が出来るなら
「少し前の私と話ができるなら」
緑黄色社会の「幸せ」という曲にある歌詞だ。
この歌詞に続く言葉は、以下の二通りある。
1.こんなこと想像していたかと口を滑らせてしまうと思う
2.必ずその手を離さないでと口を滑らせてしまうと思う
好きな人がいた。
不器用な私だけど勇気を出して出して、付き合うことができた。
短い間だったけれど、幸せを感じながらももどかしさを感じる、一喜一憂ばかりする日々を過ごした。
酸いも甘いも経験して想像していない未来を二度味わった。
二度というのは、彼女ができる未来と彼女と別れる未来である。
だから緑黄色社会の「幸せ」にはとても共感できる。
特に好きなのが「少し前の私と話が出来るなら」という歌詞である。
もう結末を知っている「今」から、「過去」になった出来事を振り返るという状況が切ない。
少し前の私と話が出来るなら、私は私に何と声をかけるだろう。
今の私はあの日々を忘れてしまいたい、とは思っていない。
私は、自分なりにも頑張っていた私を褒めてあげたい。
そう、私は当時誰かに褒めて欲しかった。
それくらい気を張っていて、満たされなさや不甲斐なさでいっぱいだった。
想像していた未来、などないと思う。
どちらも想像すらしていなかった。
不安定で不明確を人間は嫌うから予測しながら生きていくけれど、程度の差はあれ想像のしていない未来がずっと続いていくのだろう。
いつだって気づくのは、得てからだし失ってからなんだ。
だからこそ面白くもある。
数年後の自分が何をしていて誰といるのかは、想像を超えたところにある。
私のこれからの人生に幸あらんことを祈るばかりである。