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【特別掲載】プレ共喰い会レポート 伏見 瞬

 去る1月11日、ロカストの新たな試み「共喰い会」の初回(プレ共喰い会)を行いました。

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 「共喰い会」とは、ロカストの活動コンセプトの一つである「群れ」の運動を、編集部以外の方々とも共有する試みです。
 具体的には、ロカストが今まで提示してきたテーマに沿って読書会やレクチャーを行います。ただ学びの場や社交の場である以上に、参加者それぞれの持つ感覚や言葉が混ざり合い交換される「群れの作用」の場であることを目指しています。
 「群れ」の中で混ざり合い生じた複感覚を個人が持ち帰り、それぞれの日々の糧とする。それが次の「群れの作用」を引き起こす。「群れ」と「個」の往復がロカストの活動の基礎にあり、「共喰い会」はその往復の機会を旅行以外の場所で気軽に作ってみる会です。
 

 お昼から都内某所に集まり、今回はエドワード・サイード『オリエンタリズム』の序章およそ60ページの読書会です。ロカストのやってること(あるいは広く旅行という営為そのもの)はコロニアリズム/ポストコロニアリズムの関係の中で考えられるのではないか。そんな意見が以前から編集部内で語られており、では一度このポストコロニアリズムの古典をみんなで読んでみようという話になりました。募集期間が一週間たらずであったにもかかわらず、6名の方にご参加いただきました。編集部6名も加えた12名での会です。

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 まず、副編集長イトウモによるレジュメの発表です。『オリエンタリズム』のメインとなる主張やサイード自身の出自と立ち位置、あるいはミシェル・フーコーとの差異などを解説していきます。

 発表の中で興味深いのは「コロニアリズムから良質なものを取り出す」という姿勢です。「オリエント」の概念が西洋の言説の重なりのなかでできあがり、植民地(コロニー)政策を正当化する効果をもたらした。その問題点を指摘し、無意識的な差別や権力の構造を明るみに出すというのが、『オリエンタリズム』に端を発する「ポストコロニアリズム」の基本的な態度ですが、差別への批判意識が強調されすぎているが故に「コロニアリズム」が全否定されており、そこに含まれていた(サイードも肯定的な態度を示している)豊かな相互作用効果、インターテクスチュアリティの可能性も排除されているのではないか。その結果が現在の教条的なポリティカルコレクトネスにつながっているのではないか。そして、旅行とは支配を伴わない「弱いコロニアリズム」なのではないか。こうした、「コロニアリズムの部分肯定」とでも言える発想にはもちろんギョッとするような危険さもありますが、結果的に参加者から多様な意見が飛び交い、場は盛り上がりました。建築に関わっている方からは、ホテルを設計するときにその土地の人とどれくらいの関わりをもつかの逡巡が語られました。別の方からは自分について語るときにオリエント的な言説を内面化してしまう「セルフオリエンタリズム」の問題が提示され、実例として日本主催で開催されたパリの「ジャポニズム2018」という企画が挙げられました。

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(発表するイトウモと補助解説のみなみしま)

 
 休憩を挟んで、自由な意見交換の時間。話はより多方面に拡散し、レプレゼンテーション(代理表象)とヒップホップ文化の「レペゼン」はどのような関係か、インターネットは「地元」になり得るか、旅行でも「生活」に目を向けるべきではないかなどなど、どんどん新しい話が飛び出して、笑いも多く含んだ楽しい会となりました。
 個人的には、一人の参加者の方の、旅行の時は「自己/他者」の境がズレていく感覚があり、そのズレを言葉にしたいという意見に感銘を受けました。最近ツイッター上で話題になっていて僕自身も関心のあった、「批評」と「ファン語り」の関係を考えるのに大きな示唆があったからです。議論の大枠はこうです。分析的な批評は、特定の作家やグループのファンがみている「関係性」や「萌え」の要素を捉えておらず、ホモソーシャルな狭い領域に閉じこもっている。だから「ファン語り」を踏まえた批評のあり方に可能性がある、といった話です。僕自身はファンカルチャーの強まりに若干の警戒心を抱いているので、あまりその意見に同意できませんでした。ですが、「自己/他者」のズレという言葉を聞いて、分析的な批評を嫌う人は「自己/他者」の関係を固定して権力構造をつくるところに不信感を抱いてるのではと思い当たりました。客観的な分析は「分析する/される」の非対称な関係を強調して、分析対象を下に見る傾向があると感じているからこそ、分析ではない「ファン語り」を支持する人がいるのではないかと思ったわけです。分析の非対称性の嫌な感じは僕にもうなずけるところがあります。とはいえ、「ファン」という立場を強調するのにも、作り手と受け手の接着状態を過度に重要視するようで違和感がある。だとすれば、「自己/他者」のズレを言葉にすることで、権力的にも接着的にもならずに、表現や体験への批評が行えるかもしれない。新しい言葉の使い方ができるかもしれない。参加者の方の言葉から豊かな刺激を受けて、以上のような考えが読書会の間中、脳内を駆け巡っていました。
 おそらく、僕の体験したものと近しい刺激を、他の方々も受けとったのではないでしょうか。今回は予想以上に楽しく、「この刺激を受けまくる感じは久々だなぁ」という印象がありました。批評再生塾の打ち上げの後に、今はなき五反田のデニーズで朝までしゃべる続けるやたらと楽しい感じを思い出したからでしょう。
 会の後は夜ご飯(イタリアンだった)を食べながら談笑し、そのあと新宿駅構内にある混み合ったベックスコーヒーで南島君と二人でしゃべり続けました。結果10時間近くしゃべりっぱなしだったわけですね。冷静に考えるとちょっとおかしいですね。

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(みんなで真剣に本を確認してるところ)
 
 なにはともあれ、今回ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!今後も月1ペースで続けていきますので、またお越しいただけると大変うれしいです。
 もちろん、新しく参加される方も大歓迎です。次回以降の予定は改めてお伝えいたします。今度とも、どうぞよろしくお願いいたします。 


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