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ロカスト日記(3/26〜4/7) 渋革まろん

 異常事態に人が置かれる時、まず言葉から失われるのは個人の具体性です。大きな現象は人々を共通の渦の中に飲み込みます。誰もがその渦中にいるがゆえに、誰にでも理解できるような単純で抽象的なイメージと言葉ばかりが流通し、代わりに、具体性を伴った言葉はふさわしくないものとして切り捨てられます。コロナウィルスとも日本政府の対応とも関係のない、誰とでも共有できないものは、個人的な日記や心の奥に消えていく。けれども、僕らがインターネットでのやり取りに求めているものは、共有できないものを共有する試みではないでしょうか。卑近な例かもしれませんが、誰にも言えなかった悩みや趣味を誰かと共有できることこそが、インターネットで人々が物理的距離を超えて繋がる中で起きた最良の喜びではないでしょうか。その体験が、僕にとってはネットにおける最大の”革命”であったと思います。
 今回LOCUSTでは、編集部数名の日々の記録を公開します。もともとLOCUSTは、異なる立場や異なる趣味嗜好を持つ人間が”群れ”となる中でそれぞれが変化していく現象を、活動のエネルギーとしてきました。今回のコロナウィルスの流行に端を発する混乱の中で、大きな”群れ”の場に組み込まれた我々(ロカストのメンバーだけでなく、社会を構成する人々全てを含む「我々」です)は、具体的な生活や思考の違いを共有することで、自分自身を大きく変化させるような”好機”に恵まれたと感じます。具体的な個人の体験の言葉が、非常事態の渦に飲み込まれている時にこそ、より豊かな共有をもたらす。僕らの間に生まれた関係が、僕ら全員を変えていく。LOCUSTはその可能性に賭けるために、それぞれのささやかな日々の記録の”群れ”を、みなさんと共有します。

LOCUST編集部 伏見瞬

3月26日(木)

 今日はおふろの王様に行ってきた。年配の方々で意外とにぎわっている。
 小池都知事が口にした「外出自粛」と「ロックダウン」のニュースの影響で、スーパーに人が押し寄せる。ハーメルンの笛吹みたい。わたしもスーパーへと足を運んでみると、いくつかのコーナーから食品が消えている。普段から自炊をしないわたしには、いったいどのような選択がなされているのかまったくわからず惨めな気持ちになる。肉類、じゃがいも、納豆、食パン、そしてなぜかヤクルトが売り切れている。ピルクルも。小分けパックのヨーグルトも。毎日のヤクルト習慣をはじめていたわたしは憤る。しかたなく「十勝飲むヨーグルト」を購入する。それと、数が少なくなっている食品をいくつか。肉類など、いま買いだめをしても賞味期限が来てしまうと思ったが、しかしそれは杞憂で、あとから聞いたところによると、人々はそれを冷凍するのだという。
 こうしたことがあり、自分のなかの警戒レベルが少しだけ上がる。神奈川県知事の記者会見があり、医療従事者を「コロナファイターズ」と呼んで応援メッセージをSNSにアップしようと言い出して正気かな?と思う。幼児的。現実逃避に近い。アタリマエのことだが、医療従事者はコロナファイターズではなく医療従事者だ。現実を直視しない姿勢に不気味さを覚える。

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