8月8日満月と20年前の自分①最初の10年

20年前の1997年、1995年に発見されたヘールポップ彗星が地球に最接近しました。北新地やお初天神通り明るい光の中でも、しっかり見える、ほうき星にその12年前に2度目のハレー彗星を観る事無く亡くなった祖祖母を思い出しました。大学院の試験に落ちたり、就職を断って父の会社に入ったりで、思いどおりにいかない年で、精神的に追い込まれる事が多くて、休みも無く、空いた時間に大阪で朝まで飲んで、仕事~を繰り返していました。

 たまたまこの年、ロダンの没後80年か何かでTVで特集が組まれ、元々彫刻は好きなので見ていたら、「接吻」に惹かれ「これを観にパリへ行こう!!」と資金作りを始めます。何故「接吻」に惹かれたのか…

 これは、ロダンと弟子のカミーユ・クローデルの関係が最も成熟したした頃作られていたらしく、カミーユと自分がちょこと重なりました。この頃私も大好きなS教授がいまして、その人は学生時代京都大学で理系に進み、飛び抜けて優秀たったらしく、しかし文学の世界を学びたいと、受験しなおして文学部に入った人でした。元々大好きだった、古代ギリシア神話や哲学思想は、この教授に出会い益々好きになります。ずーっと独身で、組合の方との噂もありました。ゼミの教授が私の気持ちを知ってか知らずか、S教授との食事を誘ってくれたりしました。

 自分のやりたい事やって、吹っ切ってスタートしようと、8月立秋が過ぎてパリへ行きます。

因みに年盤で、五黄殺が回っています~~、この頃私はパリは北西でとっていたので九紫火星と思い行ってます。

シンガーポールで乗り換える飛行機で、偶然家族ぐるみでお世話になっていた、ギリシア人ハーフのアンナと一緒だったのでギリシアへも行く約束をして、パリへ到着。1人暮らしがしたかったので、凱旋門に近い16区のアパートを約2カ月借りました。

 パリに着いて数日後、予想以上にフランス語が通じず、予想外の個人主義の冷たさに、初めてホームシックになり、引きこもってしまいますw。その上クレジットカードが使えなくなります…。磁気が弱くなり再発行。2週間後にロンドンからパンクドパリのオフィスに郵送されるらしく、それまでは現金生活ですが、ちょっと難しいな~と思い、アンナに会いにギリシアへ行く予定を組みます。バカンスが終わって、一斉にパリへ人が戻る時期、行きのアテネまでの便は取れますが、帰りの飛行機は空きがなく、ロンドンへ数日滞在し、ユーロスターでパリに戻るチケットを手配しました。

 で、アテネ空港へ行く当日…ダイアナ妃が急逝され、飛行機はダイアナ妃の遺体を送るのが優先になり、遅れます。数時間遅れでアテネ空港に着き、パルテノン神殿は改修工事をしていましたが、アンナの親戚がいたらしく、ヤヤー(おばあちゃん)からもらった紙切れを、インフォメーションで渡したら、どうぞ~~~と勝手に入れてくれました。そのあとキグラデス諸島を船で回り、最終日、パトラの港へ行く船が嵐に見舞われ死ぬ思いをしますが、その船の中で、アテネオリンピックが決まり、お通夜のようだった船が明るくなります。

 アテネに着くと、高熱を出して翌日のロンドン行きをキャンセルしなさいと、ヤヤーも心配してくれましたが、日焼けで水膨れだらけで、熱がある身体でヒースロー空港に到着すると早速、検疫に引っかかり、数時間後、やっとロンドンの中心街へ出て、ホテルを探しますが、ダイアナ妃追悼で、ヨーロッパ全土から人が訪れて、どこもホテルは満室、熱でフラフラしながらやっとこさ、一部改装中のB&Bの宿を見つけます。食事は別に拘らないけれど、お風呂とトイレが共同だったのは初めてで、ちょっと戸惑いました。

  大英博物館でギリシアの彫刻を見たかったけれど、エジプトギリシアのコーナーは大幅なリニューアルの為見られず…。テート美術館にはたどり着けず(◞‸◟)それでも、凄いタイミングにロンドンへ行って色々経験できたので良かったかな~~と。で、ウォータールー駅からパリに戻ると、懐かしい気持ちになって、ようやくパリが好きになり、近所のマルシェでも、おまけしてもらえるようになり楽しい旅になりました。 でも、ルーブル美術館で、ペンタックスの1眼レフカメラ(めっちゃ高かった)を盗まれましたorz

 しかし、帰国後母と父の関係は、益々険悪になり、社員も父と母の派閥みたいな感じでバチバチ火花が飛ぶような事や、したくないのに断れない結婚やお見合いをもってこられ苦しい思いをします。家を出て、彼ができますが、これが働かない男で、愛想をつかして別れると、色々と噂を吹聴されて苦労します。母親の乳がんがわかり、平日はOL、週末は実家の仕事を手伝い、父に愛人がいることがわかり、家族や会社が崩壊してしまい、20代最後の年には自殺しようとまで追い込まれるような、20代って苦しい思いしかしなかった・・・・。30代になって、2006年の最後の月に息子が生れてようやく、落ち着き始めます。





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