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信頼とか信用とか信念とかについて考える

 今年は色々あり過ぎて正直夏以降は辛いの連続だった。
そう言えば今年は「辛」の年。
子宮推命の人は「宝石の一年」とかキラキラしていましたが、そもそも宝石は研磨しなければならず、そしてダイヤのように硬くても一方向から力が加わるとバラバラと砕けるように、辛の年は革命が起きたり政変が起きる事が多く予め大難を避ける意味から明治になるまで南北朝時代でも「辛酉」の年には元号を変えていた経緯がある。「酉」も「辛」と同じ陰の金の気。庚の「陽の金」は刀や包丁のようにバッサリ切って「また詰まらぬものを切ってしまった」というような感じでも、辛の「陰の金」は陰湿極まりなくそれ故に革命など起きる切っ掛けになる出来事や実際に「辛亥革命」などが起きている。
 私は自分の人生を振り返ると「辛が回る年」はしんどい事が多かった。色々は書かないけれど人に絶望する事が多い年だった。その度にもう誰も信じないと思ったり人の優しさに救われたり色々で自分の心の「革命」が起きる時でもあった。
fleetで「辛の年」について書いていたのを今自分でも読み返していると、これは自分に言い聞かせていたんだろうと今更思う。

 ある人達との関係は順調でこのまま楽しく過ごせたらいいなと思っていたけれど、ある事が切っ掛けで私は色々と不信感を抱いてしまった、その度に不信に思った事に問いかけをするけれどなんとなくはぐらかされ、楽しさにかまけて見逃した私の落ち度は否めない。色々あって結局はその人達への信頼は崩れた。
 私はその一人と仲良かった時に
「もしあなたが教祖になったら、その時は関係なく戦う」と言った事がある。
私の中で自分に課した信念をその人も知っていただろうに馬鹿だなぁと。もしかするとその人はすっかり忘れていたのかもしれない。
ある事を切っ掛けに切り替わった。信頼している人から危険な人物へと。

 その人を信頼している人もいるし抱えている問題を対処してもらおうとする人もいる。私の中で怒りのスイッチを何度も切ろうと思ったけれど、どうしても切れない。その度に周りの人間をヒヤヒヤさせてしまうし、微妙な問題も含んでいるし私の見えない所でザワザワしているのも十分承知だった。器の大きな人間なら軽く対処できただろうとは思う。でも私はそんな大きな器もなければ度量もないそして何よりその人のような力はない。

最初から例え1000の兵にも一人で向かう気持ちでずっとTwitterをやってきたので、あちらこちらと落ち着かず余計に困らせてしまうぐらいなら、私は居なかったことにして欲しいと思いこちらから黙って一方的にブロックすることにした。沢山お世話になったし、しんどい時はその都度励ましてくださったりして、こういう交流やお付き合いができるのは素敵だな自分にとって財産だなぁと思う本当に大事な人達だったけれど、「一枚岩」になってこれから動く時に隊を乱す私の存在はただただ『足手纏い』にしかならないのです。

自分から積み上げた信用や信頼を崩してあの人達と同じ事をしているのは重々承知です。 そして私は器も度量もない人間なので、落ち着いて構えるというより信念を貫くという軸でしか立てない人間なのです。軸を折って誰かに支えてもらうのも嫌な人間なのです。

 「辛は新なり」本当に今までありがとうございました。
本当に楽しかった優しさも嬉しかった感謝しかありません。本当にごめんなさい。そしてさようなら。

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