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8月8日の満月と10年前の自分④環状の道 スピリチュアルとの断絶

 大阪にホリスという、リラクゼーションや化粧品を売るお店があって、オーラソーマのコンサルテーションを受け、「これは流行るかも!!」オーラソーマの講座を早速受けました。ホリス主催の講座の先生が、野坂瑛子先生でした。

先生の話が面白く、そしてフワフワしていないので「この人の講座をもっと受けたい!!」と思ったのと、早くマスターしたいという思いから、そのことを伝えると、「じゃ、私のうちで講座するからいらっしゃい。」と東京へ新幹線で通う日々が始まります。


谷中銀座に近い先生のご自宅は谷中霊園の傍なので、高い建物がなく天気のいい日は富士山が見えます。広く立派なリビングには、オーラソーマ創始者、ヴィッキー・ウォールが作った貴重なボトルがあったり、水入り水晶が沢山あって、「私の死に水はここからとってもらおうかしら~。」とか、鎌倉の超お嬢様という事もあって、お話しされる言葉も物腰も、嫌味がなく可愛らしくエレガントな先生でした。「野坂瑛子」と検索すると、沢山キャリアが出てきますが、そういう事は一切自分の口からは仰らず、スピリチュアルというよりも、「色彩とは何ぞ??」と地に足の着いた考え方でした。


 何度かブログでも書きましたが、本当にドラマティックな人生を歩まれた先生で、名家に嫁ぎ突然の借家暮らしから、長者番付にご主人が名を連ねる程になり、また借家暮らし、そして今とジェットコースターのような人生だったらしいです。その時先生が、「私は金屏風の前に座っていただけだったの。」と仰った言葉が忘れられません。夫の成功で、お子様が通う学校では、人も寄ってくるし、これが当たり前だと思っていたけれど、金屏風が外されると自分には価値がないことがわかり、「なんとかしなくっちゃ!!」とお仕事に精を出されたそうです。


 私もそう。自分が不幸になったのは父や母や環境のじゃなくて、それは自分自身の甘えだった。と気付かされます。野坂先生はオーラソーマの世界ではかなり異端児扱いされていたらしく、知人に「他の先生の更に上の講座を受けた方がいいと」と告げられましたが、私は最初に自分の感じた先生の印象を疑わず、そしてもっとロジカルな事が知りたくて、野坂先生のもとに残りました。


 この頃派閥争いみたいなのが結構あって、本屋に行くと平置きしてある他の先生の本の上に、自分達が支持する先生の本を置く人とかがいたらしく、プチ派閥争いにちょい巻き込まれそうになった時期でしたが、野坂先生自体は、全くそういう事に興味がなかったようだし、オーラソーマが無くても困らない、振り切った生き方をされていたので、本当にカッコいい女性でした。


 資格を取得し、オーラソーマも仕事のメニューに加えます。資格更新のブラッシュアップの為の講座はとても楽しかったのですが、色々な人と知り合って話をしていくうちに、沢山違和感が出てきました。「ギフト」という言葉を理由に現実から逃げている事。今でこそキラキラ起業女史が問題ですが、この頃もそういう方が結構いまして、毎年増えるボトルと、長いものに巻かれ続けなければいけないしんどい組織に居続ける事は、私の信条に合わないし、結婚してても不倫したてり、天使やハイヤーセルフの声を聞きながら、パートナーシップを拗らせてたり、本当に幸せそう…と思える人も少なくて、何よりボトルに頼りすぎる考え方に疑問をもち辞めました。傷を舐め合って仲良くするのは苦手だし、物に見えない世界に頼り過ぎる生き方は、母がのめり込んだ宗教と構造が似ていて、どっぷりスピリチュアルジプシーの方がお店に来られたり、スピリチュアルの世界の裏側を見てしまった事もあり、しっかり足を洗いました。


 野坂先生は本当に素敵な人です、私が講座に参加する日は、私の座る席を必ず富士山が見える位置にして下さり、お姑さんと仲良くする方法は、多分野坂先生に出会わなければわからなかったと思います。


野坂先生の机にはいつも、蝶の羽で作ったドレスを着た女性の絵が飾ってありました。お姑さんがイギリスで生活していた頃(戦前)好意をもってくれた男性から贈られたものらしく、嫁いで少ししてから頂いたそうです。昼食やおやつの時間に度々お姑さんの素敵なお話が聞けました。悪口は言わない、凛とした先生でした。自分に自信と信念さえあれば、他人が何を言おうと関係なく、我が道を進めば時間がかかるけれど後から人もお金もついてくる事を、教えてもらいました。

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