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傍にいてくれる親へ思い

 娘の中耳炎がなかなか良くならず、ちょっとした事でも「痛い」と言う兄とは違う子なだけに、ちょっと心配で昨日も病院へ行きました。

妹に書類を送付しなければならず、郵便局へ行ったものの、住所を書いた手帳を忘れたのでLINEで聞いた覚えがあるので遡ってみていました。妹のLINEにはなく、「まだあるかな??消えてないかな??」とか思いながら、母のLINEを開くと、住所より、母の書いてくれた文章が気になって、いつもいつも、仕事や体の心配をしてくれる母の優しい言葉が溢れていることに、今更気づきました。

亡くなる2週間前、ホスピスに入院する直前に送った「調子どう??」の私の問いに、「頑張る」とスタンプを押してくれていました。その日のLINEが最後で、その後あっという間に、腫瘍の影響で、携帯電話の役割はわかるのですが、どうしても使い方が思い出せず、自分の知人にメールで伝えて欲しい事があるから~とお願いするようになり、少しずつ、せん妄状態が長くなり最後の5日間は呼吸が困難になり意識が混濁していましたが、部屋を出ようとすると

「帰らんといて、傍にいて」と、か細い声で言うのです。

 いつも喧嘩ばかり。母のいう事に「カチン」ときて、一緒に住んでいた時は、早く家を出たい、束縛から逃げたい、自分の人生を生きたい。そんな事ばかり考えていましたが、最後の2週間は、今までの冷たい自分への反省と、最後の親孝行の時間でした。

 幼少期に祖祖母の家に居た私は、子供の頃に母の手に触ったり、一緒に寝た記憶が殆どないのですが、病室の椅子に座り手を握りながら眠ったのが、今ではいい思い出です。

 母が亡くなる前、亡くなった後、メンターの千早ちゃんが病室やお葬式に来てくれる度に

「京子さんは、まだあの世へは直ぐには行かないからね。あと4年くらいは、傍に居てくれるみたいよ。」

と、言うのですが、何故なのかわかりませんでした。

 先月終わりか今月初めごろ、息子を滅茶苦茶叱ったのです。旦那も止めに入るくらい怒ったので、興奮してなかなか眠れず、でも寝ないと徹夜になるし・・・と、自分の布団へ行ったら、ワン仔が寝てて、ソファーに横になりました。するとカーテンレールに引っ掛けた服が、ゆらゆらと揺れだして、

「ええええ???地震???」気持ちはオロオロしながら横になって、「もう少し揺れたらみんなを起こそう」と思っていたら、突然ソファーの横に母が現れ

「あんた、怒り過ぎ!!!!」

と、一言いって立ち去りました( ̄▽ ̄)

久々に会ったのに・・・・。死んだ人があの世で見てて、黙ってられなくなるくらい息子を叱った自分に反省orz

 おかげで、息子を怒るボルテージは半分以下になりましたが、母はずっと見てくれているんだな~。生きていた頃は監視されるのが苦しかったのに、亡くなって今の方が監視され放題なのに、「有難いなぁ」と言う気持ちになり、不思議なものです。

 生きている間には、本当の親の有難さには気付きませんでした。そして、亡くなってからも気にかけてくれている母に、ありがとうの感謝と、心配で出てこないように、しっかり生きなきゃの気持ちでいっぱいです。

 娘や息子が手をギュッと握って来る時に、

「あーーー愛されてるなーー可愛いなーーー嬉しいなーーー」と

心がほっこりします。この手が離れていくようになっても、親の子を思う気持ちは変わらないんだな~と今やっとわかりました。

お母さんありがとう。

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