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Ⅲ度の熱傷から回復と幼児教育

寝る子は育つと言うけれど娘はあまり寝ない子で、ワンオペの育児と子犬の世話に疲れていました。冬は子供が起きるまではアラジンストーブで部屋を暖めて、どれからエアコンをつけていました。娘が早くに目が覚めたのでストーブの火を消しました。生まれて半年でしたが手足の力が強くて、つかまり立ちを始めていました。息子も1歳にはスタスタ走ってたので
さすが兄妹と思いました。私は食器洗いをしながらテレビを見ていたのですが、突然娘が泣き出して、何があったのだろう?と思いました。娘を見るとストーブの天板に手のひらを置いていますまだ熱を持っていたので、これが原因でⅢ度の大火傷を負いました。
幸い良い病院に出会い湿潤療法を始めるまでの大学病院で治療してた部分はケロイドになっていますが今はビアノが弾けるぐらい指の機能に後遺症はありません。

火傷で痛いだろうと思っていましたが、動かさないと皮が硬くなってしまうと思い、子供用の伸び縮みする手袋を買って手のひらを覆いましたが、まだ小さな手には大きく、医療用の特別なガーゼに穴を開けて簡単な手袋を作り包帯を巻きました。新陳代謝が早いので感染症も怖く日に何度も医療用ガーゼを交換します。瑞光メディカル プラスモイスト と言う製品ですがこれが1200円ぐらいするのですが、毎日1袋〜2袋使ってました。
痛みに慣れたの火傷した手でオモチャをもったり、わん娘と戯れたり。乳児の新陳代謝の良さは素晴らしく3日で真皮が見え始め1ヶ月程で綺麗に元に戻りました。

そんな事もあり、息子も小さな頃から手指を使うことをさせていましたが、娘にダイヤブロックや折り紙など早いうちから慣れさせて、息子が通う幼児教室にも1歳になる前から通い始めました。大きなボタンのカケシメから、お友達と一緒に使うおもちゃの譲り合いなどなど
お勉強と言うよりマナー。お昼はお弁当を作って持っていき、みんなで食べながら、親子で食べ方や気遣いを学ぶようなそんな感じでした。お箸の持ち方服のたたみ方や掃除の仕方。数人でブロックで遊んだ後は、自分か使ってなくても気がついたら片付けたり、片付けを助けたり。小学校受験で必要な集団行動の不安はここで幼稚園に入る前に教わったので、心配はなかったです。

今の家に引っ越す前に住んでいたところであった
東京大学の学生の科学サークルのイベントも少し早いかな??と思いましたが息子と一緒に娘も連れて行きました。光のプリズムを作ったり、空気砲を作ったり一緒になって楽しんでいました。

 幼稚園初日、母親と離れて泣きじゃくるお友達の手をとって、「一緒に行こう」と娘が言ったらしいです。泣いている子や困った子がいたら娘はその子の近くへ行って慰めたり一緒にお片付けし助けたりしていたそうです。幼稚園の先生には褒めてもらう事しかなく、逆に私がお迎えが遅くなったりで、迷惑をかけてしまうことがありました…。

息子が天才てれびくんにハマり、あれに出たいと言い出して、実は数年間タレント養成所にも行っておりました。娘は兄のついでに程度だったのですが、息子よりも印象がよかったみたいで、ベタ褒めされ2歳半から所属しました。最初はお遊戯程度のダンスかな??と思ったのですが割ときちんとした授業で、隔週1時間半ずつ演技とダンスの授業があって、ダンスの振り付けを録画し、シナリオ渡されて次のレッスンまでにダンスと台詞を覚えてこいと言われます。「嘘でしょ??」とか思いましたがこれも子供の発育には良かったのかもしれません。タレント養成所の父兄のオーデションにかける熱量が半端なく、私たち夫婦は人生の記念ぐらいの気持ちだったのと、例えば幼児のファッションカタログの撮影などは子供が小さ過ぎてぐずったり寝てしまう可能性を考慮して、3人ぐらいが受かるのですが実際はその時使いやすい子になってしまうし、交通費は自腹、まる1日拘束されてもギャラは3ヶ月後〜半年後払いだったのと、オーディションにエントリーしても出来試合っぽいのを数回経験して3年ぐらいで辞めました…。
でも柔軟な考えができる間に色々な事を詰め込みながら体を動かし、同時に先生や先輩に挨拶やの気の使い方も学ぶと言う経験は親の私にも良意経験だったと思います。

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