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女である事とは 至哉坤元 万物資生

 子宮系の教祖様達は「現役の女である事」が大事のようで、SEXと直接的に表現はしないもの「男に抱かれる価値のある私」という考え方あるように思えてならないのですが、みなさんは如何お考えでしょうか??
 

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 地天泰の夫婦和合の卦は、天が下に、地が上になっていますが
男性は天(乾)女性は地(坤) 天が地に、地が天へと向かう事で
上手くいくのです。そして2つの性が交わる事で命が生れます。

命を子宮で育む、これは女にしかできない仕事です。生まれてからの子育ては夫婦の仕事になりますが、お腹にいる子を育てていくのは女の身体です。

資生堂の社名は、易の「坤為地」から生まれています。

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至哉坤元 万物資生(いたれるかなこんげん ばんぶつとりてしょうず)
大地の徳とはなんと素晴らしいものであろうか
すべてのものはここから生まれる

大地は太陽の光や雨を受け取って、地上の生物を育んでいきます。
天が陽で大地は陰の気になり、陰は受容と包容力をあらわして、
「坤」には母、妻、女性(成熟した)の意味があります。

子宮系はしきりに「女である事」が尊いことの様に説きますが
時が流れて易ができて何千年経っても、未だ男がいないと子を産めず、
女の身体が無ければ命を育んで産む事はできません。

「お酒を飲んだり喫煙しても元気な子が生まれる」という
子宮系開祖の八木さやさんの考え方も、易の考える女性の在り方とは違います。
利牝馬之貞 牝馬の貞によろし

「牝馬の様に柔順で慈悲深くあれ」と言う事で、何でもかんでも言う事を聞くとわけではなく、見せかけの強い者に媚びへつらうのではなく、正しい事に徹底的に従う強さを説いています。つまり間違っているならそれに従わない事、徳に従順である事なのです。

「喫煙&飲酒」は正しい事でしょうか??
「自分を生きる為に、子を棄ててもいい」は正しい事でしょうか??

「男に抱かれる価値のある私」であり続けるのならば、
相手を受けいれる、受容性や包容力を育んでいく必要だと思うのですが、
「自分のやりたい事だけやればいい。」それでは無理ですよね。

最初は如何に男性から愛されるか??が出発だったような
子宮系も、男に愛されるどころか、開祖自体が男に捨てられ
今は金を生み出す為の子宮とか膣の話になっています。

「男と女は平等、ただ出来る仕事が違う」
というネイティブアメリカンの言葉を聞いた事があります。
易も「男・女」とありますが、それぞれに素晴らしく尊い存在で
必要不可欠だからこそ手を取り合っていかなければならない事を
教てくれていると思います。

いたれるかなこんげん、ばんぶつとりてしょうず

徳(正しい事)に従順である女性性であってほしいですね。

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