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汝、荒ぶることなかれ。「易」が私に教えてくれる、ストッパー。

 今年は私にとって特別な年で、これからどう生きたいか??と考えた時、

「軽やかに生きたい」と思いました。

物欲も殆どないし、性欲は皆無だし、でも子供の将来には貪欲(-_-)。

旦那は将来ポルトガル・イタリアを案内したいと言ってくれているので、元気でいて欲しいし、ワン仔のルチアにも元気で長生きして欲しい。今年は庭の薔薇も綺麗に咲いて欲しい。

あ、結構いろいろあるなw

 それでも、もし明日突然心臓が止まってしまっても、後悔しない生き方をしたいな~と常々思っています。

今はこれでも「灰汁」がだいぶ抜けた状態ですが、貪欲で、ワガママで、自分勝手で、どーしようもなく諦めの悪い女でした。

大学の頃は社会に牙を向ける発言もしたり、自分の思いどおりにならない事に腹を立てたり、父の会社に出入りする、取引先の営業さんに失礼な事を平気で言ったり、好きな人には自分で振っておきながら、しつこく復縁のお願いを手紙に認めたり…私が男なら、絶対お断りしたい重たく痛い女でした。

そして、ハムラビ法典は私の為にある~くらい、キツイ性格でした。なので、実父が私を徹底的に追い詰めて、それでも復活した私を死ぬ前まで怖がっていたそうです。

 今になれば、親や自分の生まれた環境が悪かったと思う以上に、自分自身にも物凄く問題があったと思います。

32歳まで、地の底を這う様な時期があり、苦しかったですが、その経験も今の私を作る財産なくらい大事な経験でした。

 占いは好き、面白いから続けてこれましたが、

少し後になって、肩輪な自分に気付きます。

 ある程度、危険や難を回避はしたかれど、人間として全く不完全だった事。

ある時期の私は、ケリーバッグを持って、レアジュエリーを身に付けて、オーダーした服に身を包んでいて、兎に角もっと自分が成功して、父親に仕返しする事しか考えてなく、親友や、お世話になった人に

「成功した人がみんな幸せな訳じゃない。」 

「お金は手段でしかないよ、どうしたの?そんな人だった??」

と、口々に言われ密な付き合いが薄れていきました。要するに、凄くギラギラした嫌な奴だったようです。それでも、まだ「なんで??」くらいでしたw

 子供ができ、母になりキャリアを突然変更する事に戸惑いましたが、授けられた命をちゃんと育てようと、守ものができると「怨恨」は捨てようと思いました。

時々、易のカードを引きながら、単調な1日が過ぎていきます。凄く苦痛でした。でも息子が笑うと、今まで感じた事のない幸せな気持ちが湧いてきます。

それでもまだ、教養の一つでした。子供が大きくなるにつれて、トラブルが増えます。年少の時に1回、年中の時に1回、「特定の子に理不尽な怪我をさせられるので、もう幼稚園を辞める」と先生に言うような事もありました。祖父や主人の父・私の父が亡くなったり、迷い文鳥のフォルちゃんがやってきて、地震のドタバタの頃に息子の手術や、引越しし娘が生れ、ルチアが家族になり、娘が火傷をしたり、いっぱいっぱいになりながら数年の間に怒涛の経験をしながら、少しずつ易の意味が身に沁み入ってきたんだと思います。

 占いが「回避の手段」でしかなかった時と、経験を通しての「沁み入る、心の在り方」になって来ると

「あーーー、あの時はやり過ぎた、誰も傷つけてはいけなかったのに」とか

「なんで許さなかったんだろう、意地を張らずに許せば、自分も相手もこんなに苦しまなかったのに・・・。」等、過去の自分がやって来た間違いに気づきます。

 ある程度占いで、回避できても、性根に変化や成長がなければ、また同じような厄介を背負いやすかったり、スパイラルに苦しむ事に気付きます。

祖母は生前お人好しで、色々な苦労を背負ったようです、そういう苦労を母にさせたくなく言った言葉があります。

「京子ちゃん(母)、騙すより騙される騙される方が良いわね。でも、もう少し賢かったら、騙されない方が相手に罪を作らせないし、お互いに苦しまなくて良いわね、」

祖母を生前を知っている人は「本当に素敵で良い人だったのよ~。」と教えてくれます。私は聞き流していましたが、親になり、社会に関わり、仕事を通して色々な人に巡り合う旅に、祖母の言葉が響きます。

 祖母のような生き方をしたいと思っても、喧嘩っ早く、結論を早く求めようとしたり、相手に必要以上の期待をする性格が本当に損だな・・・と。

日常のトラブルが起ったり、心に大きなうねりが生れて落ち着かない

そんな時、1枚易を引く事で、賢人が数千年かけて作った教えに触れ、如何に自分が愚かで、情けないほど小さい器なんだろうと気付きます。

占いは開運や災難の回避の道具だけでなく、そこに当たり前だけど変わらない心の在り方が加われば、人の道を外れる事無くもっと自分も周りも平穏無事に生きる事が可能ではないかな??と思います。

 と、言いつつも未だに、荒ぶる心の持ち主の為、日々鑑定や、易経やその他の易に関する本を読みながら、穏やかに過ごそうと努力しております( ̄▽ ̄)

いつ「軽やかに生きる」事ができるのかはわかりませんが、いつもそうなりたいと思いながら切磋琢磨してきたいなと思います。

 先日栗崎由子さんのワークで、

「今の自分、5年後の自分を絵にしてみました。」

今はいろいろといっぱいいっぱいの自分ですが、5年後はアルカイックスマイルw何があっても動じない、「軽やかに」その場を楽しめる程でいたいな~と思います。


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