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「まちの希望」を想う

抱樸の「希望のまちプロジェクト」。コンセプトムービーが公開されました。

今後、僕も微力ながらお手伝いしていきます。


僕は「まちづくり」を〈 社会的に孤立している人の関係や事象を、まち(地域社会)という中間領域にひらき、支えること 〉と定義してきた。

「まち」が〈 中間領域 〉であること。

時折、「まち(あるいは地域)」という言葉が持つ曖昧な意味性が、批判的に論じられることがある。

でも「まち」は曖昧であり続けなくてはならない。有り体の言葉で言うならば、「目標」で曖昧さを手放しても、決して「ビジョン」や「姿勢」で曖昧さを手放してはならない。

〈 小さな 〉個人や家族に押しつけられている責任、抱え込まざるを得なくなった困難。それを「まち」へと開いていかねばならない。

一方で、歴史が証明してきたように、〈 大きな 〉国家が、個人や家族の在りように介入した時、多様であるはずの権利と尊厳が脅かされる。

小さなものと、大きなもの。その間〈 =中間領域 〉で、他者との応答を重ねながら、相応しい関係が生じ続けていくこと。その営みを支える「曖昧さに伴う実感」こそが「まちらしさ」と呼べるものだ。

「自然」である人間は、コントロールできない。自身も含めた人間(自然)が有する曖昧さを払拭し、(時に良かれと)決めつけられた意味が、困難をもたらすことが少なくない。

そういう意味で、他者との「適切な距離」を目指す姿勢もまた、危い。コントロールしようとする姿勢に、変わりはないからだ。

だから僕らは、社会的に孤立(isolation/loneliness)している他者と出会ってしまったら、近づくしかない。

つまり、それでも大丈夫であるために「まち」がある。強いて言うなら、人が人に近づいても大丈夫なように「まち」をつくる。それが「まちづくり」だと信じてきた。

その近づくやりとりに応答する仲間(=住民)がいること。そうして、その都度「まち」なる存在(=まちらしさ)が立ち現れていく。

「適切な距離」をファシリテートしようとすると、概ね一定の文化層としか関係が築けない。あるいは「楽しさ」や「関心」での関わりを、手がかりにするしかなくなる。

その方が合理的で、経営面では成果が出やすい。でもその結果、楽しくないこと、無関心なことに向き合わざるを得ない人が、孤立化していく。

より注目され、周縁と区別化された中心からは「見えなくなる」とも言える。
ここにいるのに。ここで生きているのに、見えなくなる人たちがいる。

「希望のまち」。そのシンプルな言葉が体現されるとするならば、その最もプリミティブな条件のひとつは、この動画で奥田さんが語っているように「まち=物理的に囲まれたエリア」としないことだと僕もおもう。

〈 中間領域 〉として曖昧さを保つということ。それはつまり、誰でも「住民」になれること。

コントロールできない。よく分からない。でも、あきらめない。それが体現されて生じる「まちらしさ」の周囲には、必ず仲間(=住民)がいる。ハンナ・アーレントの言う、孤独(solitude)は担保されながら、孤立(isolation)や孤絶(loneliness)は避けられる。

そういう意味で「希望のまち」は、「まちが含意した希望」を育む営みとも言える。希望の可能性は、この敷地だけでなく、僕らが暮らす全てのまちの中に、必ずある。

「まち」や「みんな」といった曖昧さを、意地でも手放さない。その先に訪れるまちの風景を、僕は見たい。

希望のまちと呼べる「僕らの」まちをつくり続けるために、この「希望のまち」がどのように形づくられ、そしてあり続けるのか、しっかりと見ていたいなと、おもっている。


冒頭の写真は、3月末に訪れた神山町にて。仲間と語り合った3日間。
唯一撮った一枚。神山らしい風景が共にあった希有な時間を、今でも反芻している。

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