Far Cry Newdawn(ファークライニュードーン) レビュー(微妙なところ)

・ストーリーの魅力が微妙

ファークライ5で核が落ち、世界が滅んだかと思われた後の世界。マッドマックス的なポストアポカリプスもの。
主人公は世界の調和を乱すハイウェイマン達とそれを指揮する2人の姉妹の妥当を目指していく。
ファークライ5で栄花を極めたエデンズ・ゲートの信者達はなりを潜め、奥地でほそぼそと暮らしていたが・・・

というのが大枠のストーリーだろうか。
エデンズ・ゲートは絶対悪ではなく、双子の姉妹も極悪とまでは落ちていない。そしてなによりファークライシリーズのテーマの一つである『狂気』がないのだ。
ファークライ4には、パガン・ミンの悪役らしい冷徹な行為もありながらも、主人公を愛す一面が魅力的だった。そして、悪を楽しみ役をわざと演じているような姿にも疑問を持ち惹きつけられた。
ファークライ5のジョセフ・シードは信者の描く理想像と自信とのギャップ、家族との関係や自身の嘘など、完全無欠を演じる教祖の悩む一面はストーリーとしては面白かったが、ドン引きするような狂気はなかった。

今作のミッキーとルーはもっと残念だ。せっかくポストアポカリプスものにしており、常識という概念が崩壊しているのだから、もっとやりようがあったように思う。
例えば、前作のドラッグ「祝福」を再製造しもう少し手を加えたものをばらまいたり、祝福による人体実験などが思いつく(規制的に表現できるかは別として)。

また、例えばメキシコの麻薬カルテルとそれを取り締まる地元の治安維持部隊を描いた映画『カルテル・ランド』では、取り締まる正義側が悪に落ち、正義とはなにかを問うていた。

主人公が所属している住人が住む場所「ホープカウンティ」は、終盤には空気のような存在になっていた。
もう少し、自身が信じていた組織の秩序や道徳心が、この法の無くなった世界の常識に蝕まれ、次第に異常な考えが根付きそこに「祝福」が・・・などといったストーリーも考えつける。

色々と面白くできたはずだが、二人の姉妹では約不足だ気がする。もう少し法なき無秩序な世界観を上手くしようした理想郷を気づいたヴィランと、それを壊し、結局主人公が介入しなかったほうが世界は良い方向に回っていたというようなストーリーを個人的には見たかった気がする・・・・・・

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