サスティーンと残響は違うと個人的に想う

 仕事の担当を外された。まあ、別にいいんだけど。(というか実感が湧かないだけか?)

 世の中の男の子がいかに下らなく、私を含めた世の中の女の子がいかに浅ましいかということを実感するような出来事が続いている。恋愛の二文字は非常に抽象的かつ広域で、散弾的なので便利な言葉だなあと思う。その二文字にしか収束しないような感情のために、どうしてみんなそんなに大きく移ろうのかなあ。

 『未来のイブ』という小説を読んでいる。昔読んだのが古い翻訳だったので読みにくかったのだけど、新訳のほうを読んでみると驚くほどすらすら読める。
 本質よりもそれを内包するものの形、音そのものよりは残響によって、物事は自分の中に汲み取られるのかもしれない。
 水のように自然に低いところに流れるという感覚が近いかも。注釈の引きやすさからKindle版をおすすめする。

 それにしても、努力をする場所に行くために努力を求められるのはめんどくさいなぁ。怠惰な印象を与えるかもしれないけど、もうすこし生きやすくても構わないんじゃないか。
 現代社会は生きやすさと死ににくさのバランスがおかしい。これは過去現在未来すべての現代社会に当てはまりそうではある。

 私は相変わらず夢見がちというか、夢の世界に生きているんじゃないかなあ。
 自分のことをずるいって思うことが多い。ずるい割には上手く立ち回れていないんだけど。

 今日眠ったらどんな夢が見たいかなぁ。それこそリアルな夢を見たら、現実が夢のようになるのかもしれない。すべてのものは両極を持ってして、表裏を持ってして、結局はその状態を観測なんかできないで、なんの自覚も他覚もなくバランスをとって単一なのかもな。

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