地球の一員であるという自覚

 私の最近は、お洗濯チャンスと、冷蔵庫にあるものでできる晩御飯の献立と、週末に遊びに行く場所のことばっかり考えていられるようなぽわんと平和な日常が続いておりとてもよいです。こんなのはいつぶりかなあと考えると、毎日一限の授業入れちゃってた大学一回生ぶりとかかもしれない。相変わらず朝は弱いのでそこだけは死ぬまでに改めたいです。

 お引っ越しをしたことにより常に自分を囲んでいる人間関係というのが大きく変わりました。毎日一緒にいた妹とはもう1ヶ月近く会えていないし、逆に大阪にいたときは週一くらいで遊んでいた同居人とは毎日一緒にごはんを食べます。これはまあ毎日のことなので、一週間もすれば慣れるのだけれど、問題は月に数回遊ぶような友達たち。家が近いとか乗り換えの駅が同じとかそういう自然な流れで遊ぶ友達とか、あのバーに行ったらなんとなく呼んでみる友達とか、スケボーしてたら勝手に来る人とか。そういう友達を東京にも見つけたいなあと思うのだけど、もうすでにそれに該当するような人は何人かいるので、やっぱりこういうのは無理して作るとかじゃなく自然とそうなるものなのだろうな。 

 最近人間関係の難しいなあと思うところがひとつあって、それはその人をどれだけ知っているかということと、その人をどれだけ好きかということはまるっきり別なこと。私は他人のことを好き嫌いの前知りたいと思うし、自分が好かれるにしても嫌われるにしてもわりといろんな人に自分がどんな人間かっていうのを知ってほしいと思う。
 でも、この人のことが好きで嫌われたくないから、自分を隠そうとか、その人に合わせて振る舞おうとか、そういうスタンスの人間関係のほうがスタンダードなのかもしれないな。
 知れば知るほど嫌になることも多いけど、私はよく知ってるものについてはそれなりに愛着があるし、自分が何をどういう風に嫌悪するのかも知りたいから、むしろ怖いもの見たさな好奇心でよく痛い目に合ってる。まあでもこれもよくないんだろうけど、でもよく知らないものを自分のよく知ってる望みなんかに当てはめて、 自分のこともよく知らせないまま感情的ななにかを得るってのは、私にはちょっと難しい。

 絶対的な感情というのはもはや信仰に近いとさえ思う。思考を全く纏わないような、単一の愛とか嫌悪とか恐怖、もしくはそれらの複合。私はそういうものを生身の人間に向けるってのは、やっぱ怖いなだす。でもなんだかんだみんなそういうことして生きてるんだなあ。私はでっかい感情とか悩みとかを抱えて生きるのはめんどくさいので、なんでも細分化してポケットにしまって甘そうなやつだけ舐めて、トゲトゲしたものなんかは他人に投げたりその辺にポイ捨てしたりして生きていくのが性に合ってる。ばかでかい幸せとかばかでかい不幸を詩人のようになにかに昇華させたり、そういうのは絶対できません。できる人は本当にすごい。でもその分いろいろ大変なんだろうなあ、これは共感ではなく推測です。

 そう、共感と言えば、最近読んだ本に「共感は想像力の放棄」というようなことが書いてあり、それはとても共感しました(と書くとちょっと意地悪な感じがして個人的によいのですが、正直に言うと「腑に落ちた」というほうが近いです)。
 共感は私の感覚として、とてもリスクが高い感じがする。私はたまに楽器引いたりするんですが、グレコのレスポールベースとハートキーのアンプをシールドでぶっ繋いで、ドンシャリ気味にして四弦をバーンと親指でぶん殴る(スラップ)すると、狭くてじめった部屋の中にある全部の薄っぺらいメタルというメタルがビーーーっと小刻みに揺れて音がなる(共振というらしい)わけですが、私にとっての共感ってまさにあれです。最高の音の影響を、なすすべもなく間抜けに受けて最悪の音を感嘆みたいに腑抜けて鳴ってるような、情けないかんじ。
 これは私にとっての共感がそうであるというだけで、世の中にはオリジナルより美しく歌うような、もっと素敵な共感もあるのだと思う。私にそういう共感の機会が今まで訪れず、こういう考えに至ったことは非常に残念だとは思いますが、まあべつにそれを得ようと必死になるほどのものでもないです。
 でもやっぱ、共感されることはあっても共感することってあんまないので、された共感に対して共感できなくて、申し訳ないなあとは思う。
 そんで私は共感を犠牲にしてどういう感情を得てるんだ?と聞かれれば、そんなもんはたぶんなにもないので損はしていると思うんですけどね。

 やっぱ人間の良いところは絶対に混じり合わなくて、絶対に理解できないところだと思います。感情とか感覚を他人と共有するのは難しいからこそ面白いところもある。いろんな苦悩があるっていろんな幸福があることと同等に最高だし、自分が徹底的に幸せでも徹底的に不幸でも同等に面白いとは思う。そりゃ幸せであることより楽なことなんかないから、怠惰な私は幸せのほうが良いって口で言うんだろうけど。
 私はまだ、私を含めた人間という生き物に対して、全然飽きてないっぽい。引き続き現世を頑張りたいです。

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