レモンケーキで祈る

 レモンケーキを焼いた。
 レモンの皮の黄色いところだけを薄く削いでいる間、バターを手で小さくちぎっている間、アパレイユのなめらかさをヘラで確かめている間、ボウルに残ったアパレイユを型に流し込む間、オーブンの温度を設定する間、私の手はなんかほとんどオートメーションの動きをしていて、私の頭は私の手のオートメーションの動きをぼんやり観賞している感覚になる。身体は一つなのに、ケーキ工場の機械とその操縦士の両方になった気分になれて、それがおもしろい。

 料理は結果が成功でも失敗でも、その原因がちゃんとその行程にあるのがおもしろい。例えば、レモンケーキに少し苦みが出たならそれはレモンの皮の綿が入ったからだし、ケーキが綺麗に膨らんだならそれはアパレイユの気泡のキメやオーブンの温度が適切だった証拠だし、ケーキが固いのは卵が多かったり、小麦粉を入れたあとに生地を練りすぎてグルテンができすぎちゃったから。だいたいのことはリカバリーが効くから、リカバリーを試してみたいが為に、わざとリカバリー可能な程度の失敗をするのも楽しい。
 好奇心と悪戯意欲が旺盛な方は、理論の実践としての料理にハマると思う。悪ガキ気質の方におすすめの趣味です。

 料理に関わらず、買えば済むものをわざわざ作ることは、もうほとんど祈りに近い。
 ケーキを焼くのはケーキを食べること以外に、ピアノを弾くことはピアノの曲を聞くこと以外に、絵を描くことは絵を見ること以外に、掃除をするのは清潔な部屋に住むこと以外に、ほとんど無意識で無意味だとわかっている祈りがあるのだと思う。
 ケーキが食べたければケーキを買うために、ピアノが聞きたければコンサートに行くために、絵が見たいなら美術家に行くために、清潔な部屋に住みたいならルンバを買うもしくはハウスキーパーを雇うためにお金を稼げばいい。でも私にとって、お金で欲しいものが100%手に入るというその単一の、つまらなさ、味気なさ、くだらなさ。そういうものって耐えられなくて、どうしても「欲しい物を手にいれる為にお金を稼ぐ」っていうのは私に合わない気がする。
 ケーキを焼くのだって、材料費と所要時間と出来上がりのクオリティを考えたら、そりゃ買った方がよくて、だからケーキを焼いている私を馬鹿みたいに思う人もいるだろうけど、それを私に直接指摘するのは、異教の祈りの時間について言及するようなものだから、せっかくの善意からのアドバイスなのだけど、「そういう祈りだから」としかお返事できない。強情で御免遊ばせ。
 やっぱりすべての人間が目に見える生産だけを目的に行動しているわけではない。でも、目に見える生産だけを目的に行動している人は、私には絶対できないことをしているのはわかるので、素直にすごいと思うな。そういう方はコーヒーでも買ってきてくれたら、おいしく淹れてケーキと一緒にお出しします。

 一人で夢中になって遊ぶのももちろん好きだけど、好きな人たちとなら楽しいことを共有したいし、たまには大勢でそれぞれのことを祈るのも良いと思うので、そういう場所に参加するのもそういう場所になるのもいいなあと思う。
 東京にお引っ越ししたし、大阪にも頻繁に帰ってくる予定でもあるし、これからも今まで通りいろんな人に出会って話したい。いろいろ不自由を強いられる時期ではあるけど、会う会わないに関わらず、いろんな人といろんな方法で仲良くなれたら嬉しいな。

おしまい。
 

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