社会人の自覚が湧かない

 去年の今頃、大学の卒業式はコロナで中止になるかしら、という予見はぼんやりと立てていたけど、まさか本当に卒業式が中止になるとも、それが今年の今頃まで社会を蝕んでいくようなものだとは思ってなかった。卒業式は公には中止だったが、簡易の卒業証書授与式のようなものはあったらしい。私は前日に夜更かしして寝坊をしたので、それにもいかなかった。「ろーちゃんらしい」と笑いながら電話を掛けてきて私を起こした学友とは、今でも月に一度は会って話をしたりしているから、別に卒業証書授与式が別れの場ではなかったらしい。

 最初から3ヶ月で辞めるつもりで就職先を決めていたので、そこに入社した。研修期間終了後には研究職への配属が決まっていたので、退社するときにはいろんな人に思いとどまるように説得されたが、思いとどまるも何も私の思いがその会社にあったことはなかったので、何も惜しいものはなかった。
 学生時代に周りの大人が口を酸っぱくしてまで言ってきた"社会の厳しさ"はあまり感じることはなく、ただアルバイトをしている感覚だった。お給料は同じ大学の友達より少しばかり多かった。

 退社してからは学生時代から続けていたライティングの仕事をすることにした。(話が逸れてしまうが、私はいまいち自分の仕事について"ライティング"という言葉がしっくりきていない。学生時代にはずっと"書き物バイト"と呼んでいたことが、内容はさほど変わらないのに"前衛的な専門職"のようなイメージで語られるのは、どうも違和感がある)
 学生時代よりも、書くということが重荷に感じるようになった。「もう学生ではないのだから、仕事をしなければ」という切迫感のせいで、逆に手が止まったり、一度書いた文章を執拗にチェックするなどもした。
 自分の悪い性質のひとつとして、自己実現が叶わないと必要以上に自分に失望する割りに自己実現のためのたいした努力を怠ることがあるのて、自分に失望しないためにも書かないということが一番安易な逃げ道だった。今年はモチベーションに関わらず、もう少し広域に深く書けるようになりたい。
 生きるための労働に躍起になるくらいなら死ぬ、というタイプなのは間違いないので、書きたくて仕方ないという状態を多く作ることが大切かもしれない。

 学生じゃないっていう自分の立場にはまだ慣れないままだなぁ。なんでも好奇心と蛮勇で試してみる方なのだけど、社会人でそういう人は少ないって言い方で、学生ノリだって指摘される。社会人には誠意と忍耐が必要みたいです。

 まあともあれ22才は楽しかった。みなさんのおかげです。23才も楽しいといいな。みなさんよろしくお願いいたします。

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