脳検査は面白そうだけど治療は興味ない

 他人のMacBookを勝手に借りて文章を打とうと思ったら全く使い物にならなかった。
 この場合使い物にならなかったのはMacBookのライブ変換機能ではなく、私の方なのである。こういうことが非常に良くある。
 悲観ではなく事実として、自分の能力のすべてに汎用性と互換性が欠如しているように思える。とてつもなく飽き性だし、我慢ができないし、わがままだし、独善的なところがあるので私の周りにいる人はいつも迷惑をしていると思う。私は自分の能力における微々たる互換性と汎用性のことすらも、よく把握できていないので、私の周りの人の方が私の気分のことを予測したりできることなんかも頻繁にある。
 専門家に診てもらい投薬治療などを行った方がよい気もするが、幸い自分の特性によって致命傷を負うような環境には身を置いていないので、今のところは自己把握をする程度の対応でよいと思う。はた迷惑で自分は迷惑をしないというのはよくできてる。
今後自分の特性により手元の金銭で損をすることがあれば受診も考えてよいとは思うが、生きやすくなるとか金銭的に得をするとかその程度の、未来投資的なものを利として受診する気はない。お金もないし 、投薬による一時的な効果にまで頼らなければいけないほど切迫していない。

 とりあえず今回MacBookに苦戦し、何もかもが上手くいかなかったのでどういう風なものがしたいのかという欲望の形が暴かれたようなかんじかするので以下に記録しておく。

・文章を書くときは物質的な言葉だけでニュアンスを表現したい。情景描写はとくに物質を表す言葉で、温度感も湿度感もない単語で書きたい。
・感情描写は感情そのものよりもプロセスに重きを置きたい。
・語感のよい言葉で話したいし語感のよい文章が書きたい。これは感覚的なものだが。
・短文で済むことをわざわざ長文にしたくない。事実を言い換えただけような比喩は馬鹿のすることだし、比喩をするならその事実を比喩に完全に差し替えて白も黒と言い張らないと意味がない。
・聞いて、読んで、みたいに書かない。内容というより単語や音で殴ってリズム感をだすようなかんじがいい。スラスラと進む授業のような話し方や文章はきらい。極端になりすぎる節はあるが数字が幅を利かせる話題でない限り、主観として押し通してしまえば問題ない。

おしまい。

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