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リバネスCEOが考える「逆流が起こる世界」とは 2021年1月

2020年代は逆流の時代である。
2019年まで「家」は、人が住み団欒する場所の象徴であった。家から都内に通勤して高層ビルで1日働き、また家に移動する。これは戦後60年間で当たり前の風景になった。しかし、これからは家が働く場所になり、移動は通勤ではなく好きな時に街に遊びに行くための手段になる。
これは「家業」という概念に戻るということではないか。家業は戦前の日本における働き方のベースにあった。地域のコミュニティ内で生活に必要なことを手分けしながら業を営み、稼いだお金は街に出て遊ぶことにも使われていた。
いま、新型コロナウイルスの流行を経て、人々の概念はその時代へと逆流を始めた。しかも、当時にはなかったインターネットという先端の仕組みと技術を携えて。「通勤」や「サラリーマン」などの概念は、戦後60年間で生まれた大企業を中心とする金融資本主義の仕組みの中で作られたということだ。

では、技術という武器を手にしながら逆流をはじめた人々の意識は今後どう変化するのだろうか。


働く、経済、社会活動、街、あらゆる概念が逆流を始める
これまでの概念では、働く対価としてお金を得ていた。しかし、これからは、何か新しい世界をつくるためにお金を払って働くようになる。地球貢献こそが働くという概念の時代になるのだ。私自身、個人でエンジェル投資家としても活動しているので、ベンチャー企業に資金を出しつつ、若い経営者とともに汗をかいて働いている。もちろんほぼ無給で。つまり、働くという概念が逆流をはじめ、それに伴い経済も逆流するということだ。
社会活動にも同様の流れが起こり始めている。例えば、オリィ研究所が手がける障がい者の就労拡大の取り組みだ。これまで障がいを持つ方々は国や自治体の援助の対象であったが、オリィ研究所のテクノロジーにより、障がい者が自らの個性を活かしながら社会活動に参加し、対価として給与を得て、税金を納める対象になる仕組みが出来上がりつつある。

そして、この考え方は、街づくりにも広がっていく。いまは資金を集めてGDPを高めるために投資を行い、経済を回すことが当たり前になっている。都内にビルを建てることは、そこに人が集まり、産業が生まれ、売上を上げることにつながる。多くの高層ビルが集積し、多大なエネルギーが消費され、たくさんのCO2が放出されている。しかし、次の100年の地球を考えた時には、ビルを建てるとCO2が吸収されるという発想が必要ではないだろうか。もちろんビルを建てるにはお金が必要となるが、資源を循環させ共生型の豊かな社会を形成する「マチュアグロース」の概念においては、地球環境のために、このビルの建設にお金を払い、そこに集う人が投資を行い、新しい逆流の中で活動が営まれていく。これが新しい街の姿になるだろう。トヨタ自動車が街を作り始めた。それは一つの逆流の始まりかもしれない。


ディセントラライズドコミュニティの再建
株式会社という仕組みができたから、効率を求めるようになり、中央集権、つまりセントラライズが始まった。これからは家業にも似た知の集合体が新しい活動体になる。場を活性化して活動の原点をつくる人が世の中に影響を与えるのだ。守りに入るのではなく、一人一人がプレイヤーでありアクティベーターにならないといけない。
企業体として考えるのか、個として考えるのか、それによって、街という場の構造は変わっていく。個人であれば、ダブルワーク、トリプルワークをして、時間ができたら街に遊びに行き、そこでアクティブに新しい出会いやアイデアを求めてディスカッションする。これからは、そんな生き方がスタンダードになる時代だ。メディアでは就職難が叫ばれているが、それは就職という概念を押し付けているだけである。今の若い世代は企業に就職することを考えていない人が増えている。家がある田舎で働いてみようと考え、そこで新しいビジネスを立ち上げる実力もある。もしかしたら、そこが世界と繋がるオフィスになるかもしれない。私自身も千葉に実家がある。いつでもその方針に切り替えることが可能な世代なのだ。このような考え方を日本に、企業にそして日本の街づくりに取り込んでいかないと、不整合が起こるのではないか。今の経営者や政治家には、20~30代のアクティベーターに、その新しい概念をじっくりと聞いてみる必要があると考えている。

人間の優秀さとは何か
リバネスは、2002年、ポスドク問題で就職先のない博士たちが自分の居場所を創ろうと集まった会社だ。博士の能力は集団になれば何かに活かせると信じていた。偏差値、大学進学が優秀の定義ではないと言われてから早20年が過ぎ、今の教育では何をもって優秀な人というか、その定義が曖昧になってきている。例えば、コミュニケーションが最も重要な能力であるといわれているが、本当にそうなのだろうか。コミュニケーションが苦手な人がコミュニケーションツールを開発し、世の中に発信できる時代になってきた。自分の能力を補うテクノロジーを用いて、個が活かせる時代になるということは、あらゆる人が優秀であるという逆流が起こる。”他者と比べて優秀な人がいる”、という固定概念は崩れ、個性で繋がることで誰もが優秀な人になれる時代なのだ。今後経営者は、個のネットワーク時代になっていること、そして、逆流が始まっていることを再認識しながら経営をしなければならない。
「テクノロジーにより個性が活かせる時代」。これはオリィ研究所という会社に注目していただければわかる。障がいという個性を持つ人が社会参画できる時代を創っている素晴らしいベンチャー企業である。

教育の逆流
私自身が立上げから携わっているユーグレナ社では、中学生、高校生をCFO(最高未来責任者)に迎え、未来を子供たちから学んでいる。我々大人が先生なのではなく、子供たちが先生になっているのだ。一方で子供たちもそこから学ぶことがたくさんある。まさに、先生という概念が逆流を始め、教育から「共育」へと変わっていく。これはリバネスが掲げる新しい学びの循環であり、学ぶ順番や標準がなくなるため、学びの場も多様化していくだろう。リバネスでは、リバネスユニバーシティーという共育の場を開始した。学年を区切って順番に学ぶのではなく、常に学びながら活動し、活動しながら学ぶ。境界線がなく入り混じってくるのだが、遊びながら、ワクワクしながら学べる、そういう世の中になると次の100年も面白い時代が作れると思う。


物理距離から「思想距離」へ
人類は昔、半径12km圏内、つまり徒歩3時間以内の中で生活していた。そこから、馬車、車、鉄道、飛行機と移動手段の多様性が広がり、移動距離が飛躍的に伸びたのだ。しかし、移動距離が伸びた一方、人類が許容する時間距離は伸びていない。相変わらず3時間以内の中で生活している。戦後の東京で、中央集権、セントラライズが進んだ時の都市開発は、3時間以内の物理距離、時間距離の中で発展していったのだ。団塊の世代が集まるベッドタウンである、神奈川県や埼玉県、千葉県郊外のドーナッツ化現象などはその最たる例である。つまり、片道1時間半以内の場所に一軒家を建て、そこから東京都心の企業に足繁く通ったのだ。その実、私の両親も千葉に土地と家を買い、毎朝1時間半かけて40年間会社に出勤していた。また、飛行機が充実したことで、沖縄までも一泊二日でストレスなく移動できるようになった。つまり、3時間以内というのが、人がストレスなく移動できる時間距離であるということだ。こうして、東京一極集中のモデルが60年間かけて構築されていった。都市開発としては世界でも類を見ない、最大で最強の一極集中大都市が出来上がったのだ。
さて、いまや新型コロナウイルスの流行により、人類の逆流が進んでいる。東京を離れた時に、一体どんな世界になるのだろうか。ここで重要なのは、移動距離や時間距離といった物理距離に加え、人類が忘れてしまっている「思想距離」が重要になるということだ。インターネットの発達により、移動距離や時間距離、そして世代を軽々と飛び越せる思想距離をうまくサービスに取り入れることが、次の都市開発の鍵になる。アルベルト・アインシュタインの思想は時空を超えて、いまもなお人類と一定の距離をつくっている。社会の分断が起こっている今だからこそ、この思想距離をサービスや仕掛けに実装していくと、面白い世の中が創れるのではないだろうか。