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2020年を振り返って 2021年1月3日

あけましておめでとうございます。新年を迎え、怒涛の2020年を振り返ってみました。

2020年1月、2月で僕は3つ、個人的にやる事を決めた。一つは通称「144年続くベンチャーをつくる。」、通称赤本と「知識製造業の新時代」、通称青本2冊をだす。二つ目は、NEDOのプロジェクトでシンガポール、マレーシア行った時、いよいよインバウンドグローバライゼイションを加速させるため、東南アジアに移住し軸足を移す約束を仲間とした。三つ目は1月26日は42歳の誕生日。初めて石垣島で24キロのハーフマラソンを走り、2020年の12月のホノルル マラソンにて、生まれて初めての42.195キロを走ると宣言したことだ。

リバネスグループの新年の挨拶には「知識プラットフォームのアップデート」とキーワードを決め、1月には会社分割によりリバネスキャピタルを設立し、さらなる投資に力を入れる決心をした。2月になり、関西経済連合会で講演。2030年に向けて関西と東南アジアをつなぎ、東京のカウンターカルチャーにすると発表した。マレーシアのドローンベンチャーエアロダイン社にリバネスキャピタルより出資、2025年の万博を起爆剤に、リバネス大阪本社を加速させると決めた。

しかし、この約束は3月に全て崩れていった。そう世界で蔓延し始めた新型コロナウイルスだ。

リバネスグループではこの世界のコロナ状況を重く受け止めて、早急に動いた。3月2日より20時には必ず本社施錠、22時までに帰宅を義務にした。関連子会社の飲食店も売却した。超異分野学会は初のオンライン開催。そんな中で大好きだった志村けんさんがコロナで亡くなる。そして、オリンピック延期が決まる。

2月末のシンガポール出張を最後に、3月16日より、リバネスは完全に海外渡航禁止となる。つまり海外に軸足を移すどころじゃなくなったのだ。3月19日にはすぐに国際開発事業部を廃部にし、事業部再編。リバネスの基盤事業である出前実験教室はキャンセルが相次ぎ、教育開発、人材開発の売上見込みが9割減になったため、急いで3.3億の借入をおこした。 4月6日には海外テックプランターの東南アジアは延期、アメリカ、イギリスは中止、子会社自体も凍結を決定。 そして、これからのリバネスの新型コロナウイルス対策方針をリリース。

4月7から5月6日、緊急事態宣言。

5月2日、借りたお金で、リバネスは知識プラットフォームのアップデートを加速させ、日本ではじめてのオンライン実験教室を開発。まさに、全てのプロジェクトでデジタルトランスフォーメーションを開始した。6月、東京アラート発動。設立18周年パーティーも社員合宿も中止。20周年までやらない事を決めた。本当にこんなにたくさん「辞める事を決めた」年もない。緊急事態宣言からロックダウン、その後どんな生活をしていたかも覚えていないくらいストレスがある3ヶ月だった。

7月、僕は弱音をずっと吐いている人間でもない。どうせこの状況は長期戦になると考え、思いっきり海外も攻めに回る事を決意。第2波の中、東南アジアのテックプランターをオンラインで決行。そして、リアルテックホールディングスのグローバルファンドをスタートさせたのだ。ちなみに、リアルテックホールディングスは、リバネスとユーグレナの合弁子会社だが、このような状況でなければやっていなかっただろう。海外に行かなくなって時間ができたから、新しい組織を創る事ができたのだ。分断され始めた世界の中で、せめて日本と東南アジアを一つにして、知識プラットフォームのアップデートを図ることを決めたのだ。

8月末には安倍さん突然の辞任から、11月7日にバイデン氏は勝利宣言。バイデン氏は、分断するのではなく団結させる大統領になると誓う。その間、リバネスでら9月には都市開発のためのスタートアップビルド事業開始、10月には神戸でバイオベンチャーの集積拠点、スタートアップクリエイティブラボを始めた。

12月、社員の底力もあり、今期の売上は持ち直し、今年も年末を迎えることができた。2021年の仕掛けのために、リバネスユニバーシティー創設、リバネスシンガポール10周年、「144年続くベンチャーをつくる。」発刊。リバネスの最初の12年間の歴史を8年間かけて書いた。たくさんの人が買ってくれた。

総括すると2020は「辞めること、やらない事を決め、知識プラットフォームをアップデートし、集中する仕掛けを決めた」年になった。

さて、明日から2021年のリバネスが始まる。通常運行で全力で進んでいこうと思う。たぶん、新型コロナは長期化し、第4の革命が、始まる。

全ての前提、考え方、ビジネス、概念が変わる一年になるだろう。

それでは、皆様、今年もよろしくお願いします。