新番組と音楽の民主主義化を開始する――ジャンルに貴賤なし! (矢野利裕)

LL教室というユニットを始動したのはいつのことだったでしょうか。ラジオ日本で放送されていた『マキタスポーツラジオはたらくおじさん』(通称:はたおじ)に構成作家で入っていた森野誠一さんの呼びかけで、おそらく最多出演していたハシノイチロウ先生(会社員、バンドマン、音楽コレクター、日本語カヴァー)と、同じく複数回出演していた矢野利裕(批評家、DJ)の3人で結成されたのがLL教室というユニットです。

過去にはDJをしたりもしましたが、最近はもっぱら、荻窪ベルサンで「LL教室の試験に出ないJ-POP講座」というトークイベントをおこない、さまざまなゲストとともに日本のポピュラー音楽史の裏面(試験に出ない!)を探ってきました。ちなみに、過去のゲストを挙げると次のとおりです。

1990年:未開催

1991年:星野概念さん(精神科医、ミュージシャン)

1992年:グレート義太夫さん(ミュージシャン、たけし軍団)

1993年:山田稔明さん(GOMESS THE HITMAN、猫愛好家)

1994年:未開催

1995年:未開催

1996年:ダースレイダーさん(ラッパー)

1997年:カンケさん(謎の音楽家、ビートルズマニア)

1998年:ヒダカトオルさん(THE STARBEMS)

1999年:清浦夏実さん(THE TWEEDEES)

と、このような感じで数年かけて、現場に近い視点から1990年代のことを語くイベントを続けていました。そこで語られた内容はたいへん貴重な証言として、大げさでなく後世に残したいものとしてあります(トーク音源はありますので、出版関係でご興味のむきがあれば相談させてください)。

さて、今後もイベントを続けたいところですが、周知のように新型肺炎の影響でお客さんを集めてのイベント開催が難しくなりました。そこでLL教室では、FM市川うららでラジオ番組を始めることにしました。その名も『LL教室の試験に出ないJ-POP講座』! コミュニティFMはYouTubeやポッドキャストとは異なり音楽をプレイすることができるので、いつものイベントとは違って(まずは)トークは極力ひかえめ、ジャンル横断的に広汎な音楽を愛好する3人が、その季節、その時節、その情況、土曜の深夜1時に聴きたい/聴いてもらいたい曲を、J-POP/歌謡曲を中心にお送りします。

ここで少しだけ矢野の視点から自己解説を。LL教室のように、それまで価値が認められていなかった曲に光を当てて再評価するようないとなみは、おもに1990年代に積極的におこなわれたものでした。渋谷系、レアグルーヴ、フリーソウル、ネオGS、そして、幻の名盤解放同盟。どのムーヴメントも共振し重なりながら、音楽に新しい価値を見出していきました。一方で、珍盤発掘的なかたちでおもしろいレコードを紹介するような楽しみかたも広がりました。見方によっては、悪意のある見世物的な消費の仕方です。とは言え、どちらも「埋もれた盤の発掘」という点では変わりません。例えばクラブに耐える曲として紹介されればレアグルーヴだし、露悪的に紹介されれば「悪趣味なサブカル」です。悪意があるかないかというのは、基本的に発信者のなかだけにしかないので、「埋もれた盤」を発掘し、指をさしてあれこれ言っている時点で、レアグルーヴだろうが珍盤だろうが見世物的な消費の一形態でしょう。そのちょうど真ん中にあるのが、幻のレコード解放同盟、あるいは、アレコード(その前身のおば歌謡)、「完璧のなかのほつれ」(小西康陽)を求めるかたちでのアイドルソング受容、ジャニーズのジャポニスム趣味受容あたりかと思います。発信者は愛情があるのかないのか。基本的に愛情とともに語っているようだけど、あるときには悪意があるようにも見える。いや、もしかしたら、そういう二分法におさまりきらない高度な消費の仕方をしていたはずなのだけど、SNS以降の〈一義性の時代〉(いま書いている評論でキーワードにしようとしていることです)が二分法を求めるようになったのかもしれない。

そんな時代のさなか、LL教室はやはり1990年代的な「埋もれた盤」や「変わった盤」に指をさすようなことをしています。しかし、LL教室のハシノ先生はこんな言葉を残しています――「ジャンルに貴賤なし!」。そう、これは音楽の民主主義化なのだ。「幻の名盤解放同盟」が部落解放同盟と同じ「解放同盟」という言葉を含んでいるのは、明らかに「路地」(中上健次)的な地点からの反差別闘争精神のあらわれでした。だとすれば、LL教室がさしあたり目指すのは「幻の名盤解放同盟」のリベラル化である。「教室」という組織と制度を活用したうえで、メジャーだろうがマイナーだろうが、等しく権利をもった曲たちを民主的に放送しよう。「埋もれた盤」がメジャー資本主義に革命を仕掛けるような新左翼的な情念とはひとまず決別する。ラジオのアウトノミア的な側面もひとまず後景化する。メルカリを駆使し、学校制度を利用し、改良主義的にミュージックを届ける。

もちろん、リベラルの限界もそこまで来ているでしょう。「権利権利」と言うが、権利に囲われた楽曲、すなわちJASRACに登録された楽曲は、膨大な音楽のほんの一部でしかないので、必然的にラジオ放送できる楽曲もJASRACに置かれた一部の楽曲に限られてしまいます。新番組『LL教室の試験に出ないJ-POP講座』は開始まえ、すでにして、改良主義的に権利要求するというリベラルの論理的限界に直面しているのです。

でも、ここから始めよう。ジャンルに貴賤を持たせずフラットに(この平等性自体が戦後民主主義の欺瞞ではないか!?)、しかし、JASRAC帝国主義の支配下を見つめながら、次なる時代を探ろう。制度に囲われた音楽が制度そのものを食い破るような契機を、素晴らしい音楽とともに探ろうではないか!

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