2019

2019年のことです。思い出したとき時間があるときにちょろちょろ書いていたら書き始めてから3ヶ月くらい経ってしまった、寝かせすぎた。笑
本当にいろいろあった年だったな、と思う。とっても濃かった、厄年ですかというくらい。社会の理不尽への直面という感じだったな。知ってる人は知ってると思うけど。1年目にしては多すぎる担当数、配属後すぐに一人で外回り、おしえてくれないひとたち、などなど。おかしいと思う、わたしには無理だと何回助けを求めても変わらなかったな、わかってくれなかったな、という感じ。個人情報がこわいのでふわっと書きましたが。文字にするとどうしても軽くみえてしまうけどそれはいい。

このこと書くのすっごい迷った、どうしても自分本位になるしネガティブな内容なので。(誰が見るかは分からないしこんな文章を最後まで読んでくれる人がいるのかは謎。)
あと誰が悪いとかそういうことを言いたいんじゃないしもちろんわたしの弱さだったり適正だったり努力不足だってあると思ってる、けどそこじゃないの言いたいのは。
でもこうしてまとめておくという作業でこのことを一つの人生経験に昇華できる気がしたので自己満の記録として。

自分のためが9割、これから社会に出るひとやいま苦しいひとの考え方のひとつの道標になったらいいな、の気持ちが1割くらいで書いてる。道標なんてたいそうなものでもありません、ただ自分にとってのどん底みたいな時を経験しても、なんだかんだ今は楽しく生きているぞ。という話です。
こういう事に関しては経験しないとわからないよね、と全然背景とかは違うけど苦しんだことがある人と話した。またまた、と思うかもしれないけど分かんないよ経験しないと。ほんとに。良い悪いじゃなくて。
だから甘いなとか考え方うざいとか笑、そういうことを思ったら批判するんじゃなくてそっと画面を消して頑張っている自分を褒めてください。あとはどこからかこの文章に辿り着き、こんなやつもいるのか、こんな考えもあるのかと少しでも気持ちが楽になる人がいたとしたらとてもうれしい。同じような経験をした人が居たら話をしてみたい、とも思う。


結論としてこの経験のおかげで私は人として成長できたと思っている。「成長」という表現が適切なのかわからないけれど。ただ、良い意味での一定の諦めの感情も身についてしまったのは確かですが。

でもまずはよいことに焦点を当てて書くと、自分にとって大事なもの・こと・人がはっきりと分かった。これからも大事にしていきたいつながりも感じることができた。心がぼろぼろで気力がないときでも会いたいと思う人。ここで固有名詞は出しませんが本当にありがとう、つたわれ!!笑 心配かけまくった周りのひと、優しい言葉をくれたひとにも本当に感謝している。本当は直接会って伝えたいよありがとうと。

そして何に対しても興味が薄れてしまって大好きな音楽さえほとんど聴けなくなっていたとき、それでも聴きたいと、ライブに行きたいと思った音楽たち。これは去年行ったライブ書き出しててすごい顕著で笑ってしまったのだけど、江沼さん・paionia・ハネダアカリさんです。それぞれの音楽のことは他で書いているからここではあまり書かないけれど、本当に大切。

かかないと言いつつやっぱりちょっとだけ書いておきたい。自分のことで精一杯で夏あたりはライブに全然行けてなくて情報もほとんど追えてなかった、江沼さんのチケット一回払い忘れちゃった時ああもうだめだ音楽から離れちゃうって絶望したのすごい覚えてる、大したことじゃないかもだけど私にとっては大したことだった。

去年paioniaは毎月配信リリースをしていた、新しい音楽を聴く余裕もないなか、毎月配信された日にちゃんとダウンロードしていてまた一か月たったんだなって思わせてくれてた唯一の音楽。いちばん無理ってなってたときに配信されたのが凡人の光だった、ライブで聴いて大好きだった曲。ひさしぶりに音楽で心震える感覚がしたの覚えてる。なんもないな自分って思うことが多くて。一曲ループしていた日もあったな、とか。特別な曲なんです勝手に。


これが"救われる"ということ、言葉を大事にする理由。他のことに対してもだけど。

わたしの好きな音楽は、わかりやすく背中を押してくれるわけでもなく底抜けに明るいわけでももちろんなく、たたそこでそれぞれの信じる音楽をしている。格好良いんだ本当に。いまの自分には明確な夢・野望・人生かけてやりたいことがないからそういう人に惹かれてしまうのかも、とか考えたりもする。音楽に関して全くの素人ですが、その分感覚的に「本物だ」、とかちゃんと感じることができる気がしてる。

あと知り合いのバンドではあるけれどEldrfacTもすごい聴いてたなあ。暗めだけど、とても良い音楽をつくるひとだと思う。一度聴いてみてほしい、心奪われます。綺麗で儚い音楽をするバンドだなと。あと蒼が似合う。

めっちゃライブ行くじゃんとか音楽そんなに大事なのとか言われたことあるけど、一番つらい時に支えだったのは大好きな音楽と、音楽がきっかけで出会った人たちでした。それが大切なのは当たり前でしょう。そんなに軽いものじゃないんだよ私にとって。人や言葉や音楽は。逆に重すぎるからあまり言わない。笑


自分が本当に弱っているときに力になってくれる存在がどれだけありがたかったか。直接的か間接的かにかかわらず。まあ逆も然り、なんですが。つらい、とたまに愚痴をこぼしてしまった時に私の方が、と言ってくる人。とりあえずだまってきいてくれ。「甘い」とすぐに言う人。なんの基準の甘いなのでしょうかそれは。自分の基準でしかなくないか、と自戒を込めて。どこに行ってもやっていけないよ、という人。ここは社会の底辺だって言ってるようなものじゃん。そういうことを言った人の事も覚えてる。分かり合えないなと。社会人歴の長いひとやもっともっとつらい状況をへこたれずに乗り越えてきたひと。これだからゆとりはって思うかもしれません。わたしがほんとに社会を舐めていたのかもしれないし、与えられた場所でもっともっと頑張らないといけなかったのかもしれない。そこの基準は正直全然わかんない。こういうことをネット上で文章に残す時点でリスクはあるし、みんなが同意してくれる訳がないことは分かってる。
あえて残したいと思うのはこの文章が私の感情の供養でありこれからの抱負だから。独白って言われたなそういえば。そんなかっこいいもんじゃないよ、ひとりがたり。笑


で、そういういいことも悪いことも含めてこれからの関係だったり自分の生き方を考えるきっかけになった。
わたしにはどんな生き方や人が合っていて、どういう暮らしがしたいか。生活の中で何を大切にしたいのか。幸せを感じる瞬間はいつ?仕事で嬉しかったときはどんな時だった?人に対してどういう風に接したいか、向き合いたいか。いつまでにどういう仕事を経験したいか、とか。最終的にはどういう人になりたいんだろうな、とかいろいろ。たくさん自問自答して考えて、答えが出たものもまだ考え中のことも、きっとずっと考えて更新していくべきこともある。
休職期間も(あんまり言ってなかってけどちょっと休職してた時があった)、少しではあるけれど転職活動を経験したこともこの先の人生に絶対に役に立つと感じている。
体調が回復してからはめちゃめちゃ掃除をしたからゴミの日とか意識するようになったり、ちょっとした家事や料理とかする機会になったり。私に圧倒的に足りてなかった部分が少し身についた感覚がある。笑 
なんかネタみたいに書いてるけどあの頃の仕事用の靴も服も、身につけていたものもほとんど捨てた、思い出したくもない日々よ。いまだにこの文章を書きながらその時のこと思い出すと首筋が痛くなる、とか音が聞こえにくくなる感覚とか全然あるもんな怖いことに。条件反射で涙でるよ。でもネタにできたら勝ちだと思ってる。
もう二度と経験したくはない、でも20代前半の「今」この体験ができてよかったのかもしれないなと振り返って思えていることが幸せです。

「人の痛みが分かる人になったってことだね」って言われたとき無駄じゃないかもなって思ったし泣きそうになったよ、かほさんありがとう。(けっきょく固有名詞を出しまくる。笑)

ただ自分を擦り減らして辛かった運が悪かったと思うんじゃなくてどこかのタイミングで誰かの役にたてたらいいな。

少しだけ強くなったきがする。たぶん。


そして、この文章をここまで読んでくださった人の中に新社会人になる人がいるなら。というか新社会人に限らずだけど、会社だけがすべてじゃないと思うし自分の人生辞めたくなっちゃうくらいなら会社を辞めた方がいいぞ、と私は思います。私は運よく直属ではない上の人が環境のやばさに理解を示してくださり、異動が出来たのでとりあえず転職はしてない。
やること早く終わらせて早くかえりましょうと言う上司、時間外によくわからん会議がないこと、困っているそぶりを少しでも見せてしまうと声をかけてくれる先輩たち。異動先の部署は同じ会社ですかと疑うくらい違うよ、同じ会社なのに。もちろんただただゆるいとか甘いとかじゃない。厳しい言葉も飛びます時には。だけどちゃんとフォローもある、笑いもある。すみませんよりもありがとうが多い1日は楽しい。

人やすでに出来上がっている文化を変えるのは不可能に近い、だったら自分が動いて環境を変えた方がいいのは明確だから、とりあえず3年とかいう言葉に振り回され過ぎず考えていいと私は思った。
転職活動を齧ったとはいえ、別に内定をもらったわけでもないから偉そうなことは言えないけど、どこでもやっていけない人なんてきっといなくて、自分に適している場所がまだ見つかってないだけだと思います。仕事面での能力を発揮できるストライクゾーンみたいなのの広さってきっと人それぞれだと思う。オールマイティにそつなくこなせる人もいればある一定の分野に関してすごい力を発揮できる人もいて、どっちがいいとかないと思う。たっくさんの仕事があるし、正社員じゃなきゃ、みたいなのももうないでしょう。辞めたい辞めたいと嘆いていたときも、復帰してからも、知り合いから人募集してるよって言って頂いたこともある。きっと人探してるとこはたくさんある。私が辞めなかったのは異動させてくれることが決まったから。と、最初に入った会社である程度仕事できるようになってから辞めてやろうというただのプライドです。 「きっとどっちを選んでも後悔はするよ、でも辞めるのはいつでも出来んじゃん」て言葉も大きかったな、一度退職宣言してたからほんとに割となんでも怖くない。いい加減でもいいとかではない、仕事に対する責任は果たしたいと思ってる。気持ちや人との関わりかた、人からどう見られるかとかの面での話。

ほかの会社がどんな感じなのかは知らないけど、最初はいっぱいいっぱいで「会社」という狭い世界にとらわれがちになると思う。でもそれが行き過ぎて思い詰めてしまう前に一度休んでください。わたしおかしいなって思っても無理してたら毎日貧血なってたしほんとに自律神経…という感じだった。新社会人じゃなくても今仕事とか生活とかつらいなって感じてる人、なんか変だなって思ったら話の通じる人に相談した方がいいです。というかちゃんと理解しようとしてくれる人、話を聞いてくれる人に。こういう悩みを口に出すと絶対に「甘い」とか言ってくる人はいるから。わたしは医者にも言われたことあるよ。その道のプロにも、絶対に言ってはいけないことを平気で言ってくる人はいます。病院変えたらそのひとやばいねって言われたけど。ほんとーーーにいろんな人がいる。でも結局は自分がどう考えるかだと思うし生きてくのは自分です。人の言葉に一喜一憂しないのも大事だと思った。主に「憂」のほう。いいことは素直に喜んだ方が楽しい笑
繰り返しになるけど生きていくのは自分だから。何かを選択するとき、たしかにどっちを選んだとしても後悔することはあると思う。そのとき人の言うがままに決めていたらその人のせいにしたくなるんじゃないか。自分で選んで決めた事だったら納得できる事もあると思う、少なくとも他人任せにするよりは。アドバイスをもらうことはとっても大事だし私もいろんな人の意見を聞いたしそれで傷ついたり逆に元気を貰ったりした。ただ、最終的に決めるのはは自分だということ。


あと当たり前だけど経験者の方が身をもってつらさを知っているから絶対に親身になれる。1日家に居ることが苦痛な私が土日ずっとベッドから動けないとか、大好きなライブに行くためのホテルやバスの予約ですら気力がなくてでどうしてもできないとか(夏の江沼さんふたりがたり、しずくちゃんにお世話になりまくりだったので読んでくれてたらこの場を借りてもう一度ありがとう、全ての段取りを考えてくれて感謝しかない。)、物欲だらけの私からすべての欲が消え去るとか、誰も思わんもんな。自分が一番びっくりする。笑
自分が自分じゃなくなるみたいな感覚、やっぱりきっと経験しないとわからない。内省や自己対話が自分自身で出来れば相談とか、そもそもカウンセリングとかも要らないんだろうけど、普通じゃないときって多分いくら考えても堂々巡りになると思うから。思い詰めちゃってどうしようもない人、誰も話す人なんていないわって人がもしいたら、もうわたしでもいいから相談してほしい。もはやただ話をしてほしい。

自分に対してのハードルを下げる事も必要だとも思った。
この前欲求の5段階説の話をしていて(なぜそんな話になったかは忘れた)。最低限人間らしい生活を送っていて、その上で何かしらのかたちで社会に属せてたらもう上出来すぎるねって。自己実現とかは今の時点でできてなくても、周りにすごい人がいても羨ましく思えても、自分は自分と思えたらとっても強い。周りからの承認を求めるなら本当の意味での自己実現ってできなくないか?と思ってしまう。きっとそこは相容れない。だから突き詰めるのなら承認は自己からの承認であるべき、自己肯定感を高めることが大事なんだろうな。という話。私すごい苦手だけどな、自己肯定。あと、自己実現を成し遂げた人は友達が少ないって統計があるらしい。いい意味での取捨選択、していくべきだなと。
これだいたい話した内容なんだけど、改めて文字に起こすとなんか真面目な話すぎないかこれ。もはやこわいよ笑 でもこういうこと普通に話せる人がいるのも嬉しい。とつぜん謎にこんな話をする、どうでもいい話もたくさんする。アホなこともして爆笑する、わたし友達ぜんぜん多くないけど、数少ない信頼できて心から楽しいと思わせてくれる人たちがいることが嬉しいよ本当に。自分が好きなものや人を自信持って好きと言える、もはやそれが誇り。唯一くらいの。


あちこちに話が飛び過ぎだけど、時には自分に都合のいい言葉だけ信じちゃうのもいいと思う、信じたいひとだけ信じちゃえばいいよね。余裕が出来たらアドバイスや耳の痛い言葉も戒めにする、くらいで。
わたしおみくじや占いは基本的にいい事だけ信じるし。


そうやって色々と考えた結果、今の時点での進む方向をきめた年末くらいから確実に運気が上がっていると感じる。
自分の好きに囲まれたいから好きな人とたくさん会う。ちょっと遠くても自分から会いに行ったりもする。好きなアーティストのライブにももちろん行く。行きすぎだなと思うけど行けるときに、という思いが強すぎて。笑 最近はライブだけじゃなく展示会とか興味のあるものには時間が許す限り足を運んでいる。心と時間の余裕があるときじゃないとできないことだから。そういうことをしてたら自然につながりも増える。人への興味もめちゃめちゃあるし、それぞれの人の話を聞いて本当にいろんな人生があるなと感動する。いい意味で自分の存在とか仕事の悩みとかちっぽけでしかないなと。

そして、体験への投資は惜しみたくないなとおもう。あなたは時間にお金を払ってるんだねと言われたことがある、きっとそうなんだろうと思う。時は金なりだから突き詰めちゃうとなんでもそうなってくるけど、また違ったニュアンスで。

「自分の部屋に自分の心が表れる」と聞いて、部屋を今までで一番くらいに大掃除して断捨離をしたらとても良い空間になった。そうしたら消費やファッション、人間関係その他諸々に対する考え方も少しずつかわってきてる。

やるべきことをやり、自分の時間もしっかり持てている今は人生で一番充実してるかも知れない。大学生が終わる時、自分の人生終わったわって半分ネタで思ってた。社会人になってほんとに終わったなと思った。だけど今は心から楽しいなと思う瞬間が増えてる。どうなるかわかんないですほんとに、これからだって分かんないし。今は確かに幸せだなと思う。
だけど朝ちゃんと起きて週に5日会社に行き別に好きでもない仕事をそれなりにして、夜の時間と残り2日を楽しみに過ごす日々があと何十年続くのか、、と考えると心がキュッとなってしまう時もあります、日曜夜とか。ブルーマンデイ。夢を持って頑張っているひと、憧れの人や輝いているひとを見たあとは特に。
今の仕事は正直やりたいことかと言われたらそうでもないし、だからと言って明確な夢みたいなのもない。だけどその分プライベートは充実していると思うしなにより自分でそう思えるように動いている。
人生楽しめるかは自分と運次第だと思ってるんだけど、考え方と行動で運も味方につけたい。運も含め自分、と考えられるようになりたい。どうにもならないこともあるからそれは諦めよ。あともっと深みのある人間になりたい。興味の幅も広がったし好きなものも増えたなと感じる。その中でもやはりさっき挙げたアーティストだったり、私がつぶれかけても側にいてくれた人たちっていうのは全然別格な存在ですが。
失ってから気付くんじゃなくて失う前から常に大切に大切に想っていたいです。いなくならないように。


そして自己実現は二の次よ、というようなことを書いたけれどやっぱりいつかは本気で楽しめる仕事見つけたいな~。仲のいい人たちはみんな「好きな事ベースで考えるべき人」と私のことを言う。自己分析よりよっぽど参考になるよ。みんな私のことを私以上にわかってくれているのかも知れない。がんばろう。


社会に感性を殺されないようしっかり物事を考え、芸術や美しいものにふれる。忖度とかではなくすごいと思ったことは言葉で伝える。会いたいひとには会えるときに会う。好きな人にちゃんと好きという。恋愛的な意味でなくても、というか恋愛以外でいいから。笑

自分は自分、好きな人に好きでいてもらえたらいい、とちゃんと思えるようになったら楽しく過ごせるし妬みなんて消える。羨ましいと思うことは多くあるけどそれは自分の中ではいい感情だと思っている。それを努力に変換したい。考え方が少し変わるだけで前よりずっと生きやすいなと感じる。もちろん好きじゃないからどうでもいいとかじゃなくて、余裕をもって人にやさしく丁寧に誠実に接する。その上で理不尽なあつかいを受けることがあったら華麗にスルーする強さを持つ。 すべて今の時点でできているわけもなく、これが私の目標であり理想だなと。

大切なものを全力で大切にして生きるぞ私は。





もうすぐ私は社会人2年目になる。
まとまりのない文章ですが、
日々に忙殺されて忘れかけたら読み返せるよう、記録。


2020.3.16


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