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令和四年 如月 わかる

侏儒の自省録」とは、わたしの思想を伝えるものではない。わたしの思想の変化を時々うかがわせるのに過ぎない。宇宙全体からすれば人生は一瞬であり、死後の名声もすぐに忘却され、全ての物事はやがて消え去る。快楽や苦痛を統御し、揺るぎなき自己を全うするために、未熟な自分が未熟であることを、起業家としての生活と、日常生活を重ね合わせて、かえりみる。

このマガジンについて

コハダって英語でなんて言うんでしょうか

…と鮨屋で聞いてみた。「外国の方が、コロナの前はよくいらしたので、私達も調べて英語で説明はするんですがね。見て食べていただいたほうが理解は早いですね。」と回答され、笑わせてもらった。気になって、後で調べてみてみると、Gizzard Shadという英訳があるそうだが、コハダは出世魚としてシンコ・コハダ・ナカズミ・コノシロと名前を変えて成長していくため、その品種全体を指す言葉として使われているようだった。

江戸前寿司を代表するネタのひとつであるコハダ。稚魚であるシンコはマグロ顔負けの値段がつく。Gizzard Shadと一緒くたにされては、そうは問屋が卸さない。

期待するって諸刃の剣

最近の私の経営者としての悩みは、人が増えてきた今、適切な人に、適切なサイズの仕事を振るのが難しいということである。

元来、私は人や社会に期待しすぎてしまう癖がある。モチベーションさえあれば人はなんでもできると信じている節がある。「好き放題あばれちゃってください!」などと気軽に声をかけてしまう。

けれど、それではうまくいかない人もいる。無駄な期待をかけて、徒労に終わってしまってはお互いにとってよくない。

コハダをコハダと期待して注文し、期待通りのコハダが出てくるのにも、そこには豊かなコンテクストが含まれているように、適切な人に適切な期待をして、適切な成果を生み出すためには、どうすればいいのかという昨今の悩みについて、考えてみたい。

「わかる」をわかる

この悩みに向き合うためには、私自身が相手にどんな期待をもっているのか「わかっているのか?」。期待をかけられた人はその期待を「かわっているのか?」ということをわかるのが重要である。

つまり、その最小単位である「わかる」ってなんなのかを、わかることが第一歩になりそうだ。

「わかる」 という言葉の語源は、 「分ける」 と言われている。 「わからない」 状態とは物事が分けられていない混沌とした状態で、「わかった」状態とはその逆で、物事が理路整然と分けられている状態と言える。

「分ける」をわかる

では、理路整然と物事が分けられている状態とはなんでしょうか。分ける方向は3方向ある。

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1 抽象化する

2 具体化する

3 抽象度を揃える

つまり私のある期待が、どの方向に力が働くものかをわかっていることが重要だということがわかった。(=わかるについてはわかった。)

スタートアップに、わからないは付き物

適切な人に適切な期待をして、適切な成果を生み出すためには、期待する側、期待される側双方が適切な成果についてわかっている必要がある。しかし、それは現実的だろうか。

弊社のような、アーリーステージのスタートアップの場合、各部門は組織化せずフラットな状態がしばらく続く。各領域をシニアクラスのスペシャリストが担い、信頼をベースにして、背中を預けれるような振る舞いを相互に求める。そのような場合、新規メンバーは既存メンバーがもっていないスペシャリティーを発揮できるからジョインするし、既存メンバーであっても、事業の急速な変化の中で、これまで発揮したこととない成果を期待しつづけられる。

そのような状況に置いて、別の領域を担う人間達が、互いの領域を完全にわかった上で、採用をしたり、新しい業務を依頼するのは現実的ではない。

つまりは、相手の能力や、特定の業務の適切な成果に対して、わからなかったりわかったりかわったつもりになっていたりする。そのような状況で、適切な人に適切な期待をして、適切な成果を生み出すため適切な意思決定の方法を考える必要があります。

意思決定に伴うリスクの分類

期待する側と期待される側で、適切な成果に対して、わかるわからないかわったつもりの3つの状態で、どのように意思決定に伴うリスクが存在するのか分類したい。適切な成果は状況によって様々なので、多様なシナリオにどんな態度で臨めばいいのかを現状は言語化すればよいため、リスクにフォーカスできるよう期待される成果は一定であると仮定する。

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Lv1 : 安全な緑(1)

お互いがそのことについてわかっている状態。最も安全。ただしこのような期待を続けていては事業は成長しないし、当人も退屈する。


Lv2 : 要注意な黄色(2,3,5,7,8)

期待する側、期待される側、どちらか一方は適切な成果が何か、わかるのか、わからないのかの認識に間違いはないので、コミュニケーションによって、相互の認識のズレを調整すれば問題が発生しない。1on1を行うなどで解決し、個人の成長に繋がる業務であればリスクを取って、挑戦的な意思決定をしやすい。


Lv3 : 危険なオレンジ(4,6)

これが最も慎重に、意思決定を行わなればいけない。なぜなら、4はとるべきリスクなのに対して、6はとってはいけないリスクで、しかも期待する側は4なのか、6なのか判断できないので意思決定のリスクが最も高い。


Lv4 : どうしようもない赤(9)

これは救いようがない。


危険なオレンジの対処法

意思決定のリスクが最も高いものについて対処法を考えておきたい。それは事前に検討した、わかるとは何か?の結果が参考になるだろう。

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わかるの力のかけ方が1 抽象化する、2 具体化する、3 抽象度を揃える、3つだと記載した。

危険なオレンジにかける力の順番は、

2 具体化する→3 抽象度を揃える→1 抽象化するである。

それはなぜか。

期待を間違ったときの、リスクが抽象的な期待であるほど高くなるからだ。意思決定のリスクが最も高く回避が難しいのではあれば、期待をそもそも下げたほうがいい。

例えるなら、まず「果物をつくりたいです!」という人が現れたとする。それに対して私達がやるべきなのは、「では、私達も果物がほしいので、果物をつくってください」ということではない。

正しい質問は「りんごはつれますか?」と聞く。回答がYESなら実際にりんごをつくってもらう。たまたま、りんごがつくれただけかもしれないので、その再現性をみたい。再現性をみるためには抽象度が同じ別の期待する成果をあげてもらう。「次はみかんをつくってください」と。そうして、再現性の証明がされたら抽象度を上げて、ようやく「果物をつくってください」と依頼する。

要は、お互いに信頼を積み上げていくしかない。わからないことで近道しようとしないということが重要である。

適切な人に適切な期待をして、適切な成果を生み出すためには、どうすればいいのかの言語化は以上とする。(すっきり)

オレンジか、黄色かを見極めることができれば、私は元来からの人に期待しすぎるいい面のみを出し、悪い面をださないようにできる。

サーモンはわからないままでいい

「サーモン」と、鮭の呼び名にカタカナが多く使われているのは、それは昔は天然の鮭には寄生虫がいて、生では食べれなかったからだ。だから老舗の江戸前鮨にはサーモンのメニューはない。何も知らずに、サーモンなんて注文するのは野暮である。

わからないことをできるだけわかろうと日々過ごしているのだ、ちょっとぐらい、わがままで、わからないままにしたいことがあっても罰が当たらないだろう。

だから、「サーモンなんていう、小洒落た名前のネタが最近はあるのね」と、今日もコハダをほうばりたい。

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