見出し画像

もしも『すずめの戸締まり』がこんな話だったら

あれ?

エンドロールを観ながら、ボーッとしている私がいた。
「思ってたのと何か違う……」
それが、正直な感想だった。

特番やCMなどで期待値が爆上がりしていたのかもしれない。
いや、それにしても――と思った。
映画館からゾロゾロと出ていく人たちの中には、
「めっちゃ良かったー!」
と言っている声がして、
思わず「どのあたりが?」と声をかけそうになった。
不審者待ったなしである。

私だって感動したい。

美しい映像。
素晴らしい音楽。
「えっこれ神木隆之介くんの声だったの?」という驚き。
良かった点はいくつもある。

でも……なんか、ついていけなかった。
それが悲しかった。
私だって感動したい。
私だって戸締まりしたい。
(は?)

文句がある訳ではない。
ストーリーからは、作り手(主に監督)の人柄を感じた。
ああ、きっと優しい人なんだろうなぁと。
それに対しては何も不満はない。
だって、映画は監督のものだから。
描きたいものを描き、伝えたい思いを
伝えたんだと思う。

でも、私のこの心のモヤモヤは一体どうすれば――

そうだ。

物語のモヤモヤは、物語で晴そう。

というわけで、ただ自分がスッキリしたいがために、
「こんな戸締まりだったなら」を書き記すことにする。

私がもし『すずめの戸締まり』を書くなら

宗像草太
高校教師。実は閉じ師。
“あの日”の厄災を防げず悔い悩む日々を過ごしている。

岩戸鈴芽
転校生。
“あの日”にたった一人の家族を失った。

ダイジン
迷い猫。実は猫神様。
鈴芽と草太にしか見えない。

はじまり
草太のクラスに“あの日”に家族を失った鈴芽が転校生としてやってくる。
鈴芽に対し申し訳なさからつい彼女を避けてしまう草太。
一方、鈴芽はそんな草太に不満を待ち、距離を詰める。
そんなある日、鈴芽は校内に迷い猫を見つけて――?

こうだったらいいなポイント①

ダイジンに論破される草太
「厄災を防げなかった、だと? 傲慢だな」
「なっ……!?」
「アレはニンゲンごときがどうにか出来るものではない」
「しかし俺は――」
「自然の摂理に逆らうというのか?」
「……無力、だったんだな。俺は」
「フン、愚かではあるが無力とは言ってはおらぬ」
「……?」
「ニンゲンは脆い。だからこそ強い。
 そのことを貴様はあの娘から学べ」

こうだったらいいなポイント②

オチ
草太は鈴芽に連れられ、厄災に見舞われた人々の
“過去”
“現在”
“未来”
を知る。
人々の姿に草太は、これまで贖罪の日々を
過ごしてきた自分を悔い改める。
「人間は脆い。だからこそ強いんだな……」
「先生?」
「……ありがとう、岩戸――いや、鈴芽さん」

スッキリはしたものの。

こうだったらいいなーと好き勝手書いたものの、
じゃあこれでヒットするか?と言われたら
「うーん……」
なのよね。
エンタメって、難しいなぁ。

でもでも、書いてみてモヤッとしてた気持ちは
整理出来たので良かったです。
(唐突な作文感)

おしまい。

戸締まりしないとこうなります


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?