なぜ人は非科学的なモノを信じるのか?
人類が地球上に誕生して以来、人類は知恵というものを獲得した。
脳の発達である。
人類の進化と称する人もあれば、
人類の発達と称する人もいる。
大脳の大きさ、質量、其れが他の動物よりも大きく進化、発達した事により、人類は知恵をもったのだ。
古来より人類は、その進化発達した脳により、"死"への恐怖を知ってしまったのである。
長く生きたい、
死にたくない、
動物には無い概念。
恐怖と不安という概念を持ってしまった。
古来より人類は、死から逃れるため、何かを求めた。
そして、宗教が生まれる。
死の恐怖と不安から解放されたい人類は、その人間が作り出した宗教にすがることになる。
これは当然の流れ、と言えるかもしれません。
まだ科学が無かった時代、
人類には宗教によって救われる事しか出来なかったらから。
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
宗教と科学
宗教とは基本的に祈りである。
祈りによって、病や死からの恐怖から解放されたい気持ちを救ってくれる。
そんな時代が続いたのだが、
人類は進化していく種だったので、
当然科学も登場する事になる。
はじまりは薬だ。
薬草から始まり、動植物から効くものを見つけ出す。
痛みや傷、
病気や手当てに使われる様になる。
科学が登場するまで、人類には宗教での救いしかなかった。
だから、古代の宗教団体、又は組織などからすると、科学とは厄介者である。
助けてくれる、救ってくれる権威が失われるからだ。
宗教 対 科学
宗教団体、組織による科学者たちへの弾圧があった歴史は、皆さんの知るところ。
ここまでは皆さんもご承知の事であろう。
私が最近不思議に思うのは、
この古代にあった構図が、現代でも復活しつつあるということだ。
俗に言う、
『昔からあった、霊感商法』
近代科学や医学より、
古来からある宗教的なモノを選択するという、先祖返り…。
コロナウイルス感染。
世界規模で起きている、現在進行形の感染症の病気。
突然起こったこのウイルス感染は、瞬く間に世界中へと広まり、感染拡大となっている。
人類は、ワクチンという予防接種、抗体をつくり予防(重症化を防ぐ)するという近代科学医術。
その昔、ここ日本でも牛痘法というワクチン療法があった。
しかし、まだ近代科学を知らない当時の日本人は、
牛からとった種を使う牛痘法に、
使用すれば牛になる!
と言い、なかなか受け入れなかった。
牛痘法を医師の説明を信じ、使用した村は助かったが、
牛になる!と拒絶した村は全滅した。
学校の教科書にも載る話なので、知る人も多いはず。
そして、現在
コロナウイルス感染対策として登場したコロナワクチン。
不思議なことに、
この急拵えだから抵抗感があるという理由で拒絶するのではなく、
それは危険なモノだから、
危ないモノだから、
なかには、
人類人口削減政策だ!
マイクロチップが仕込まれている!
5Gが仕込まれていて、情報が取られていく!
と、
荒唐無稽なことを言う人もいる。
"牛痘法を使えば牛になる!"
と酷似している。
ここまで荒唐無稽なことを言う人は、さすがにSNS世界での話と思いたい。
近代科学医術でも、治せない病はある。
ただ、
祈りや祈祷、
御守り、お札、
其れで病が治ったということはない。
(例外もあるので、完全否定ではありません)
《雨乞いで雨が降る》
雨乞いで雨が降ることはありました。
雨が降るまで祈り続けるからです。
先進国で、最近見られる現象。
反知性主義。
他人のことより自分のこと。
人間とは孤独な生き物である。
孤独であるから友人をつくったり、恋人をつくったり、家族をもったり。
ペットを飼ったり、村をつくったり、街をつくったり、仲間をつくるのである。
他人が居ない世界は、
自分一人。
孤独が孤独をつくってしまう。
私は孤独になりたくないので、
ワクチン打ちました。
勿論、打ちたくても打てない人もいます。
打たない選択をする人もいます。
どちらも理解できます。
ただ、
デマを吹聴することは、やめて頂きたいですね。
こらからは事実とデマとの争いになりそうだ。
なるべく
マトモな人と付き合い、
マトモな本を読み、
マトモでいれるよう気をつけましょう。
※尚、宗教を否定する訳ではありません。
宗教によって救われる事もあります。
精神世界では、宗教はありがたい。
長文、失礼しました。
コメント頂けたら幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?