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短い旅「奈良井宿は雪の中」

お金がないから、三連休は油絵を描いて、温水プールで泳いで、あとは小石川植物園とかもっとがんばるなら鎌倉か秩父あたりでリフレッシュしようと思っていた。

だけど一日目の午後には放浪の虫が騒ぎ出して止められない。週末は寒くなるでしょう、とテレビに言われると、それならちらちらと降る雪が見たい、人気のない田舎道で雪を眺めたい、民宿のひなびた畳の部屋でストーブにあたりながら寝転がりたい、そんな想像がふくらむばかりになってしまった。

私は旅に出るなら、次はここ、と決めている場所がいくつかあって、それは昭和58年に芸術新潮編集部から発行された「ふるさと日本紀行 東日本編」を読みふけりながらなんども頭の中で辿った旅路である。私は昭和57年生まれなので、もちろん30年以上妄想し続けているわけではなく、これは古本屋で数年前に購入して以来の愛読書本なのである。

連休二日目のお昼ご飯を友人ととる約束をしているので、東京を出るのは一時過ぎ。そして連休最終日には戻らなくてはいけない。つまり一泊二日を存分に活用して見たいものを見て、歩けるだけ歩いて、できるだけ遠くに行って帰ってきたい。検討した結果、今回も大好きな長野へ足を運ぶことになりそうだ。まず、「犬神家の一族」のロケ地となった佐久間駅へいって映画に出てきた旅館に泊まろうとした。しかし、部屋はいっぱいであった。市川崑って、関係ないけど映像最高ですよね。

「ふるさと日本紀行」を読み、行きたかった開田高原。木曽馬(いまもいるのか?)、プレハブのそば屋(もう存在していないと思う)。調べたがアクセスが悪すぎて断念。もう、夕方。宿を取らなくては始まらない。

二度目の木曽路に行こうか。いつか再来しようと思っていた。前回は大学のゼミ旅行で、貸し切りバスで漆塗り工房などを回ったが、たぶんこの本にある奈良井宿、妻籠、それに木曽義仲の史跡が残る宮ノ越は行っていないはずだ。とりあえず奈良井宿のとある民宿に「明日泊まりたいんです。一人で、一泊です」と連絡をすると、おじいちゃんがちょっと面食らいつつ、「空いているよ」ということで。やった!決まりである。ここから奈良井はJRで乗り継いでいける。最寄りの駅から一日2往復のバスで一時間半、みたいな雰囲気なのに、アクセスが最高に良い。駅前だぜ。穴場じゃないか。

次の日、友達と蕎麦を食べながら「今から長野行ってくるわ」というと「いつもそんなにフットワーク軽いの!」と言われた。いや思い付きでなくてね、私はずうっと旅のことを念頭に置いて過ごしていて、フットワーク軽いというよりは、むしろ我慢できなくなるまで場所をじっとしている。やっと旅立てる、久々に。

人身事故があって、東京を出るのが遅れ、長野入りしたのが夜6時ごろ。塩尻駅を出発し、木曽路はすべて山の中、真っ暗でなにも見えない車窓にドキドキしながら、7時半に奈良井駅に着いた。寒い。暗い。宿場町。古い家並みはどこも明かりが消えている。迎えに来てくれたおじいちゃんと民宿へ向かった。

宿で荷物を降ろし、ご飯を食べに茶の間に入ると、天井は高く、立派な太い梁が張り巡らされている。宿場町のメーンストリートにある旧家を解体する際に、材木をもらってきてこの家を建てたそうな。おじいちゃんは建築の仕事をしていたそうな。

心づくしの食卓には、知り合いの若者が獲ったという猪の鍋、鹿肉のステーキ、馬刺し、モロッコいんげんの胡麻和え、きんぴらごぼう、豆腐のおつゆ、ほかほかのご飯と、日本昔話のスーパーご馳走祭りであった。腹がはちきれる。それをもぐもぐやりながら、こたつにはいっているおじいちゃんと「こんなところにポツンと一軒家!」というテレビを見た。

お風呂にはいると、お世辞にも清潔とはいいかねる古い古い木の浴槽。しかし、木の香りがいい。木のくずが浮いてるけど。水が、とくにこの家は集落でも一番高い場所に離れて建っているから汚れようがないのだろう、とにかく水が柔らかくて清い。肌も髪もすべすべになる。歯ブラシ忘れたから、思い立って、お湯で口をすすいだが、それだけで、口がさっぱりして、歯がキュキュっと鳴った。気持ち良い。

お風呂からあがって、和室に戻る。ガスストーブあったかい。木のにおいがする。窓の外は雪がちらつき、空は真っ黒に曇り、山の影が大きく宿に覆いかぶさる。嬉しい。自然と近くにいれて、しかもここは暖かいということが。贅沢だ。重い布団にはいって、お腹が苦しいと思いながら寝た。

朝。窓枠の結露が凍って、窓が開かない。朝ごはんをもりもり、米が旨すぎて、おかわりまでして食べた。宿場町のメーンストリートの所まで、車で送って行ってもらった。鎮(しずめ)神社まで。貴船神社のような、すがすがしく神聖な雰囲気の社に手をあわせた。「全部、見て回れますように」と願掛け。ごうごう水音のする小川を、半分凍っている、渡って、まだ眠りのさなかにある通りを散歩する。雪が降っていて寒いけど、とても心は元気。

本で見たところに実際に来ているのが嬉しい。この街道がにぎわっていた時代の、名残の並木道、石仏の群れを見た。駅舎に行くと、駅長さんが「二時間列車こないよーごめんねー」と言う。民宿でお土産にもらったリンゴたちが重く、荷物を預けてって、というのでお言葉に甘えた。通りの外れの方まで見て回ることにした。なんとなく、気になっていた、奈良井氏の城跡まで。

井戸の裏道を抜けて、ため池のわきの土手をあがって、矢印に従ってどんどん登る。これ、裏山に行くだけなんじゃ・・と思ったら、古墳みたいな台地に着いた。ここが城跡らしい。林に囲まれている。振り返れば、田んぼの風景、農道、きれいに積まれた薪。思わず誰もいない農道に出て、雪の中を寝っ転がった。これがしたかった。
林の斜面を転がるように降りる。道なんかこれ、と思ったけど一応うっすらけもの道があるし、下まで下ったら、こっちは奈良井氏の城跡、という看板があったので間違ってなかったのだろう。楽しい冒険であった。

駅舎のおじさんは、「俺ずっと住んでるけど、あそこは子供のころに行ったっきりだよ。よくわかったねえ」と言っていた。

次は隣の藪原駅へ。

名産のお六櫛の工房と、旅籠の米屋跡が見たいと思って足を向けた。奈良井よりさらに観光客は減り、というかおらず、日常風景のみが広がっていた。覗くつもりで、篠原さんという櫛問屋さんに入った。木の滑らかな曲線、髪を梳いてみたらさらさらに。民芸品がもとより好きなので、記念に購入しちまいました。そういえば、大学のゼミ旅行のときは、漆塗りの曲げわっぱを買いまして、これは15年間活躍している。ご飯を入れると木のいい香りが移る。一生ものですよ、ということで、この櫛も何十年も大事にしようと思う。

米屋さんは血縁のかたが亡くなったりで、もう旅籠はたたんでおり、看板も外されていた。だから建物には気づけなかった。飾り気のない木肌むきだしの灰色の大きい鳥居が見えたので、思わず線路を渡り、藪原神社に上がったら、ここはもとは熊野神社と言われていたようで、その名の通りどっしりと風格のある、立派な美しい神社だった。大木が立ち並んで、落ち着いたたたずまいだった。神社を出て、民家にはさまれた道をぬけ、田んぼの道を通って、国道にでたら道の駅があったので天ぷらそばを食べて、国道の下道に下って、また藪原の宿場町の裏道に出た。駅舎へ戻る。こちらのおじさんに声をかけると、事務所の中にいれてくれた。ストーブが効いているから、と言って。あまり見たことのない大きな煙突つきの灯油ストーブ。むちゃくちゃ暖かい。「鉄道員」の映画みたいやなあ、と思いつつ、電車を待った。帰り際にヒノキのお箸をくれた。ばいばいと手を振り、次は宮ノ越駅。木曽義仲のもと邸宅、挙兵した場所でもあるという旗揚げ八幡宮、巴御前が水浴びしたという巴淵。菩提寺である徳音寺。駅長さんは旗揚げ八幡宮は何もないし時間ないからやめておけ、とアドバイスしてくれた。

険しくて大変だ、と噂の鳥居峠を越えるのは「言うほどしんどくないよ」という地元のおじさんが、旗揚げ八幡宮は遠い、というからには、ほんまに遠いんだろう。しかし、しかし。なんか絶対行きたい気がする。無理を承知で走って観光するしかない。

映画のセットのように、駅からのびる田んぼの真ん中の道を突き当り、山ぎわにある徳音寺にいくと、思ったよりしっかりとした山門に感心。小道をテクテクと、せまりくる山を左手にゆく。川はごうごうと右手に流れる。ところどころに深いとみえて、その淀みは曇天の白い空の下で、青緑色に染まっている。寒くて、美しい風景。山のふもとをひたすら歩く。橋を越えて、さらに、、いやほんまに電車間に合わんかも。見上げると、川の向こう、橋を渡って、線路を渡って土手道をかけあがったところ、国道沿いの小高い丘がある。あのへんだ。遠い。必死で国道へ出て、もどかしい気持ちで早歩きし、旗揚げ八幡宮らしき場所へたどり着く。来てよかった。いま歩いてきた木曽川を眼下に、さらに視線を転じて山の連なりをはるかに望み、山と山の谷には集落が広がって、遠くかすみゆく空の向こうに、「木曽義仲は都を思い描いたのであろう」とは「ふるさと日本紀行」の一説である。ほんまにその通り。立派な一本松の下で、手にしていた荷物を放り投げて、本日二回目に私は地面に身を投げた。松を抱きしめた。樹齢700年で雷に打たれて真っ二つのケヤキの木も触った。木曽義仲のことを想った。また、帰ったら「平家物語」の人形劇DVDをおさらい鑑賞しよう。

国道を降りて、また旧道に戻り、川沿いの道を再び小走りして巴淵に到着。その緑色に沈む深さ、静けさ、木々が覆いかぶさってそこだけ影になっている雰囲気を味わった。

あー駅遠い。

雪の中必死。

むっちゃコート暑い。

電車の音がする。あーーー

出て行ったーーー

駅舎までひいひい言いながらたどり着いた。雪は増してきた。帰りの高速バスは木曽福島の駅前から出るのだが、次の電車の発車時刻と木曽福島までの所要時間を確認すると、高速バスの出発時間に間に合わないことが分かった。今、分かった。さすが私。いきあたりばったりのコン畜生。

おんたけ交通のお問い合わせ番号にかけると、お姉さんが電話口に出た。「あの、15時40分のバスに予約してるけど、電車が15時42分に着くんです。どうしよう」「ちょ、ちょっと待っててくださいね」

「その駅から、国道沿いの道の駅まで歩いて行って、そっから高速バスに乗れます。歩いて40分くらいです。バスは一時間後につくから、頑張れば、なんとかなるかも」「やってみましょう!」それしかないなら、やるしかないじゃないか。

そして、最後の思い出は、国道、心細さ、重い荷物、雪、雪、雪。という風景であった。国道を走る車、そのわきを歩く黒いコートの女が一人。それを40分続けて、幸いなるかな、持っていた地図は濡れてボロボロになったけど、その地図に道の駅が載っていたから迷わずになんとか、着けたのである。携帯電話の充電は19パーセントであった。

満喫。





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