夢の先
はじめに
Bon jour!
僕は今、JOCVの2022年度4次隊、障害児者支援の隊員としてセネガルに来ています。
セネガルのことやセネガル人のことを僕はまだ何も知らないし、本当のことは何も分かりません。
なので、セネガルに来た一人の日本人の勝手な感想や想いだと思って、読んで頂ければと思います。
Jour 477-533
8月12日-10月7日。
今年のバカンスも公務やら、その他いろいろで毎日のように色んな人に出会って、誰かとご飯を食べて、お酒を飲んで、色んな話をした気がします。
たくさん出かけられたのでそれも良かったなー。
当たり前だけど、「隊員してるなぁ〜」って感じでした。笑
その反面、一人の時間も大事にして過ごせたので◎。
隊員として活動する最後の年度もスタート。
予定では、残りの隊員任期も200日を切りました。
感謝を忘れずに、それでいていつも通り、最後まで楽しみ続けたいと思います。
それと、活動していて、何かを任せてもらう中で「自分じゃなくてもいいじゃん」と思うことばかりで、モチベーションとかやる気と直結する。
実際に、それで自分自身の心も身体も削って、しんどくなってる。
だから、労わることや逃げることも大事にしつつ、今、その時、その瞬間の自分にできることを全力じゃなくてもいいから、とりあえずやっていこうと思う。
ただのマンパワーになってるだけの現状に嫌気もさすけど、「自分じゃない誰かのために過ごせる日々は貴重なこと」だと、協力隊OB/OGの人が言ってたのを思い出して、残りの日々も過ごそうかなと。
いつか自分の活動を総括した時に、隊員活動のほとんどは「自分じゃなくてもできること」だったけど、「自分だからできたこと」がたったの1秒でも、一瞬でもありました。と自信を持って言えるように。
中間報告
8月14日。
「中間報告」をJICAセネガル事務所でさせてもらいました。
僕の他にも、帰国する大先輩の「最終報告」と、僕と同じように「中間報告」をする先輩たちと合同でやりました。
僕がセネガルに来たばかりの頃、同じように「中間報告」や「最終報告」をする先輩たちがいらっしゃいました。
ちょうど去年の自分には、1年後に自分が中間報告をしている姿は想像できませんでした。
1年がたった今。まだ何も成し遂げていないけど、自信を持って発表できたかなと。
まだまだ頑張ります。
生きること
セネガルは今、雨季です。もう終わるかな。
なので、よく雨が降ります。
小さい時、雨が好きだった。
父親の仕事が休みになってどこか出かけられる?とか
サッカーの練習や試合が中止になったり。違った意味で雨が好きだった。
たしか、小学校低学年の時、雨上がりの泥だらけのグラウンドで、サッカーの試合をしている時。
水たまりを避けてプレーしていた僕はコーチに、「はやと、怖い?」と聞かれ、思いっきり首を振った。笑
図星でした。
それと同時に、なぜかスイッチが入ったというか。
そこからわざと水たまりに突っ込むとまではいかないけど、文字通り泥臭く、プレーできるようになった。
そこからだろうか、雨の日のサッカーも好きになったし、そういう日の方が燃えるようになって、いい記憶がある。笑
でも、遠足とか運動会とか、誰かと出かけるとか。
自分が楽しみにしている行事などが雨の影響で延期や中止なるのは嫌いだったな。
大学に入って、サッカー以外の日は、雨だと傘が必要で、電車の中は蒸し暑くなって、ジメジメするし、あんまり好きじゃなかった。
社会人になって、自転車通勤だった僕は雨が降ると、電車に乗るか、レインコートを着て自転車に乗るかだったので、どちらかというと嫌なイメージが先行していた。
まぁ雨の中、レインコートを着ずに、自転車で雨の中を走って、びしょ濡れで帰るのは好きだったけど。笑
今もちょっぴり、どうしようもなくて、びしょ濡れになるのは好きかも。笑
それでも、仕事が楽しくなってくると同時に、雨が降ると子どもたちと「雨はどこから来るのか」とか「何で雨は降るのか」みたいな話をしてみたり、初めて「レインコートを着たり」「小さい傘をさしたり」「長靴を履いている」様子を見て、微笑ましく思ったり。
反対に、雨が降る=いつもと違うということで、レインコート、傘、長靴に悪戦苦闘していたり…。笑
晴れているのに、雨の時が楽しかったのか、レインコートを着てきたり、長靴を履いてきたり。
子どもたちのおかげで、大人になってから感じることのなかった感情を知り、「雨が降る」というなんてことなかった日常を楽しめるようになった。
いつの間にか、こだわったことのなかったレインコートを真剣に選んでみたり、傘もビニール傘もいいけど、違うのも買ってみたり、雨の日も楽しめるようになった。
雨と同様に、最近?今年は停電も多い気がする。
多いというか、長いというか。
停電自体はちょこちょこあるし、「あっ」って思っても数秒、数十秒後か、数分したらだいたい、戻る。
もちろん1時間以上停電が続く日もあるはある。
そんな中で1時間以上も停電が続く日が、去年よりも多い気がする。
まぁ、たった数時間の停電ごときでなんだと言われたら何も言い返せないけど。笑
だから、停電も楽しもうと思って、キャンドルを買いました。
停電のたびに、キャンドルに火を灯すことを楽しみにして、火を見つめる。
停電のおかげで、そういう時間が増えました。笑
ポツポツ、ザーザー、サー、パラパラ…。
雨の音。
YouTubeやキャンドルみたいに、焚き火や火を見るのも好きだけど、雨の音を聴くのも僕は好き。
そんな「雨が降る」ことを楽しむ、何でもないような「日常」を楽しむこと。
子どもたちのおかげで、そんなことに気づき、子どもたちが見ている、感じている世界に浸ってみたくなる。
僕も同じように「日常」を楽しんでみようと。
そして自分もまた、自分じゃない誰か(他人)の日常を彩ることができる人になりたいなと。
『晴耕雨読』
雨の話が出たから。派生して。
意味は読んで字のごとく。
晴れた日は外に出て、畑を耕す。
雨の日はお家で本を読む。
Kindleで読むのもいいけど、紙媒体で読むのが、やっぱりいいな。
この言葉を初めて聞いた時から、少し前まであんまりパッとしないなって思ってた。笑
でもなんか最近は違う。
違う言葉なんだけど、誰かが言っている言葉だったりと繋がるというか、自分が最近意識することとリンクするというか。
「ワインはワイングラスで飲む。」
「箸でご飯を食べる。」
「コップで水を飲む。」
「やかんでお湯を沸かす。」
なんだろう。『晴耕雨読』と意味は違うんだけど、同じことを言われている気もするし。
うちにワイングラスはないから、ワインを買ってもフツーのコップで飲まざるをえないから、何とも言えないけど。
スプーンでも食べれるご飯を箸で食べる。
ペットボトルから直飲みできるけど、コップに入れて飲む。
ポットでお湯も沸かせられるけど、やかんに水を入れて、お湯を沸かしてみる。
インスタントコーヒーもいいけど、たまには豆を挽いて、コーヒーを淹れるとか。
当たり前の日常なんだけど、ちょっと意識するだけで、その時の気持ちってなんか違くて心地いい。
ぱっと見、非効率かもしれない。効率さを求める今だからこそ、そんな非効率な瞬間を味わいたい。
別に毎日じゃなくていいし、誰かに強要するわけでもないし、自分の好きなタイミングで自己満足でいい。
何のためにやるか、誰のためにやるか。
とっても大事だし、求めてしまうのも仕方ないというか。
それはそれでいい。
僕も求めてしまうし、それがやりがいにも僕の場合はなるし。
ただそれと同時に、「生きること」にもっと焦点を当ててみるというか。
普段何気なく、無意識にやっている行動を意識してやってみるというか。
そういうのが心の余裕というか、余白に繋がる気がする。
どんなに時間やお金があっても、心に余裕や余白がないとつまんないなと。
お出かけ
今年のバカンス中も、まだ行ったことのないセネガルの各地をいくつか、回ることができました。
写真を撮っても、見返す、振り返る習慣のない僕でも、写真や動画を見ようとする心意気があるくらい、まだまだ余韻に浸れています。
それぐらい、楽しかったです。
このバカンス期間中に、一緒に出かけてくれた方々、ありがとうございました。
まだまだ、行ったことのない、見たことのない、経験したことのない、セネガルがたくさんあります。
これからも、まだ見ぬセネガルを自分自身の目や耳、身体で感じたいと思います。
夢の先
協力隊として、僕は今、セネガル(アフリカ)にいる。
いつの日か。
僕にとっての一つの叶えたい夢というか、目標は「協力隊として現地(アフリカ)に行くこと」でした。
その時はキャリアにしても、特に考えておらず、協力隊以降のキャリアについては、「こっちに来てから見つけよう。」と思っていました。
協力隊としてここで過ごして、もう少しで1年半。
まだまだ自分のキャリアが見つかりません。笑
僕がやりたいことはなんだろうか?
そう思って書き出してみると、たくさんある。
『広く浅く』か『狭く深く』か
単純に、そのやりたいことをそのまま自分のキャリアに当てはめた時。
2つのパターンになるかなと。
それが
『広く浅く』
『狭く深く』
言葉の意味は割愛して、内容を少し、補足すると。
『広く浅く』ver
一番興味のある、いや自分の専門でもある「社会福祉」(もう少し限定すると「障害」かな?)っていうものを『広く浅く』(特化)するのか。
『狭く深く』ver
「社会福祉」。その中で「児童」「高齢」「地域」「障害」「医療」などなど…。
いろんな分野がある中で、そのどれかに『狭く深く』(特化)するのか。
僕が大学で「社会福祉」を勉強していた頃、「ジェネラリスト」「スペシャリスト」について、教わった。
社会福祉士(ソーシャルワーカー)は基本的に、「ジェネラリスト」だと。
それでも日本の縦割り社会において、どうしても「スペシャリスト」になっていくと。
だからこそ、福祉の現場は「児童」「高齢」「地域」「障害」「医療」などと分かれているし、医療だって「歯科医」「小児科医」「内科医」「外科医」…がいるから、それに合わせて受診できる。
当時、欲張りな僕は、「スペシャリストでもあり、ジェネラリストでもいたい。」と思った。笑
就職するにしても、こだわったのはその法人が特定の分野だけでなく、いろんな分野を横断的に行なっているかだった。
なぜなら、ずっと同じ施設じゃなくて、いろんなとこを異動したいと思ったから。
少し整理すると
『広く浅く』は「ジェネラリスト」
『狭く深く』は「スペシャリスト」っていうのが、僕の理解。
つまり、今後の自分のキャリアにおいて、どっちを目指すか。
欲張りな僕は、「広く浅く」も「狭く深く」もどっちも目指したい。
結局、自分がどんなキャリアを歩みたいのか、分かりませんが「福祉」という軸の中で、スペシャリストでもあり、ジェネラリストでもあるソーシャルワーカーでいたいと。そうあれるように、頑張ります。
その一歩になるのか分からないけど、希望する大学院の出願書類をまとめて、この前提出しました。
(いやぁ、まとめるの大変だったな。
このバカンス中の思考回路のほとんどがそれでした。常に頭の片隅にある感じで、アンテナ張りまくってました。)
とりあえず、落ちたら落ちたでしょうがないかなと。
今できる精一杯はやったので。
ただ、「果報は寝て待て」「人事を尽くして天命を待つ」精神も大事だし、好きだけど、僕は「運にしてもなんでも、引き寄せるもの」だと思っているので、引き寄せられる人でありたいと思う。
約1ヶ月後くらいに結果が出ます。
ソワソワもしますが、どれだけ自分が徳を積めるか、自分を磨けるか、そんな1ヶ月を過ごしていたら、これまで止まっていた夢の先が、変化したり、見えてくるのかな。
いつも通り長くなったので、今回はこの辺で。
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