第二部 大震災&世界最大の原発事故の 同時発生 (1)


『報道ウオッチ3.11』第2部 緊急リリース版1

 
福島原発事故は、地震・洪水だけで東日本が甚大すぎるダメージを受けていたのと、同時発生した。
M.9の大地震に次いで、史上最大の津波に襲われたので、絶対安全神話に支えらてきた福島第一原発はあえなく崩壊し、広島原爆の百数十発に相当するという大量の放射性物質を日本国内と世界の大気と海中、土中にまき散らした。 
チェルノブイリを上回るかもしれない悲惨な原発事故が起こったのだ。

おそらく世界史上、これほどの天災と巨大な原発事故という人災が同時発生するのは、最初にして最後のことではないかと思う。
これはもうアポカリプス(黙示録)の世界だ。人類は過去の罪業を懺悔し、創世記に戻って原初からやり直せ、という神の仕業のようにも見えた。

フランス哲学者の言葉


 一流のレトリックを駆使して『湾岸戦争は起こらなかった』などの本を書いたフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールは、「『神の領域というべき原子爆弾の投下』という人類初の洗礼を受けた日本人は、神の罰を人類に先駆けて受けた民族である。それを慮って、日本人のやることに対して世界は寛容であるべきだ」といった。
 ボードリヤールのこの文章を読んだ時、ずいぶんなことをいうフランス人だとは思ったが、これはフランス知識人独特の諧謔の精神なのだろうか。
もしかすると第二次世界大戦の敗戦国でありながら、戦勝国を凌ぐ豊かな経済力を手に入れた日本人へのジェラシーからこんなレトリックを使っているのではないか、とさえ私は考えた。しかし、彼はそんな卑しい思想家ではない。
 それは、神が人類の業に対する罪の印の刻印、精神の染みのような「存在」について彼は語っているのではないかと思った。
 広島、長崎の被爆によって放射能への心理的な抵抗力を強めた日本人は、あたかも神の国の住人のように放射能で傷つくことなく、原子力エネルギーに対して無関心に生きている、と見なしていたのではないだろうか。パリで活躍したシュールリアリズムの巨匠ダリの絵画でも「原爆後の世界」が描かれたし、今村昌平監督「黒い雨」のカンヌ映画祭上映など、フランス社会の 原爆への関心は相当に強いことは、疑いない。しかし、「黒い雨」は注目を集めながら、一方で酷評もされた。「黒い雨は自然に降った雨ではない。日本が始めた戦争の帰結として降った雨だ。この映画はその歴史的背景が描かれたいない」とルモンドは評した。

アラン・レネ監督の日仏合作映画「HIROSHIMA MON AMOUR」のポスター

隠されたメルトダウンと報道の迷走


 福島原発事故が起こって高度の放射性物質が噴出し続けているにもかかわらず、政府は何の手も打たないと思わせるほど対応は遅く、事故を起こした東京電力は現場を放棄したかのような敵前逃亡をはかり、汚染データは隠され、肝心な原子炉内は、安全なのか、安全でないのか、メルトダウンしているのかもわからなかった。しかし「グルメと飽食」の日本人は平気で暮らしているように見えた。
 辺見庸氏の著作『もの食うひとびと』を思い出した。チエルノブイリ事故で居住禁止だった故郷へ戻り、ここの食べ物は世界一美味しいと暮らし始めた人々の話だ。その食卓にあったのは、「放射能入りスープ」だったかもしれないというストーリーだった。
 実は、震災の翌々日の3月13日の朝日新聞朝刊には、一面のトップ記事に冷却機能を失った原子炉で燃料が解ける「炉心溶融」が起こっていると書いた。炉心溶融つまりメルトダウンである。
 この記事は東電や政府・保安院などが発表したものではないが、一面トップに堂々と掲げる以上、関係者に取材し自信を持って調査報道したものだろう。

 しかし不思議なことに記事のいう「炉心溶融」(メルトダウン)はその後の新聞紙面からすっかり消えた。

 朝日のメルトダウン報道に合わせるように、NHKの水野解説委員の「極めて深刻な事態にある」というコメントもあったが、報道全体のメディア論調の流れから見れば、こういう意見は圧倒的少数派だった。
 深刻さが消された新聞報道に代わって、特にテレビワイドショーに登場したのは、安全性を強調する官邸、保安院、東電、いわゆる御用学者の東大、京大、阪大などの学者たちだった。
 菅内閣の事故対応は迅速性、適格性を欠いていた。事故を隠蔽しようとする東電と経産省・保安院の思惑にはまりこんだのだ。
 事故レベルは、スリーマイルよりやや上のレベル4程度と設定された。
原子炉から放出された被曝線量の環境への影響を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)の公開もなく、福島住民への的確な避難指示も出ず、子供たちの甲状腺ガン予防の為のヨウ素剤配布もなかった。
 国民には事故の大きさがわからなかったのは当然だ。そんな中で、原発事故は大したことはない、チエルノブイリ事故と比較するのはトンデモナイ事実誤認、という間違った認識が作られていった。
 枝野官房長官は放射能は漏れているが、「ただちに健康に影響はない」と毎回のように記者会見で繰り返していた。
 ベントを行ったので、微量の放射線は洩れてはいるが、炉心は安定している。「メルトダウンではない」という主張が繰り返し語られ、テレビニュースやワイドショーではしきりに「俄か安全神話」が強調された。
 NHKは東大の某教授、テレビ朝日は京大某教授など専用お抱えタレント化した安全教授が頻繁に登場して、「大丈夫です」を繰り返した。彼らの目は死んだ魚のように濁っていた。

 テレビ記者会見で安全といってくれる枝野氏は茶の間の人気者になり、睡眠もとらずに作業服姿で仕事をしている様子が映るので、「枝野寝ろ!」という言葉が巷で流行った。
 外国メディアはneroを枝野氏の名前と勘違いして、「エダノ・ニーロ」と新聞に表記するという笑い話まで生まれたのである。枝野氏は本当に実態を知らされないまま、精力的な記者会見をしていたのだろうか。疑問が残る。

 CNNテレビに自民党内で唯一ともいわれた反原発派の河野太郎議員が出演、キャスターが「政府や東電のいうことは信用できるか」と質問したら河野氏は「信用できる」と答えていた。
 河野氏は「このときのCNNでの発言は間違っていた」と後に訂正したが、野党の河野氏でもそう信じてるのなら、政府発表データはそれほど間違ってはいないのかと思ったものだ。

 ところが、3月14日午前11時ごろに起こった福島第一原発三号機の水素爆発の映像や音を確認したとき、小規模なヒロシマを思わせるキノコ雲が上空に立ち昇る様子を見て、やはりこれはただ事ではないと考えた。
 このキノコ雲の映像は朝日が指摘したメルトダウンや水野NHK解説委員が「非常に深刻な事態」といったことを裏付けたもので、政府も東電も嘘をつき、事実を隠蔽している、との心証を私は深めた。

 国民の側も安全を信じたい気持ちはあるが、マスコミ報道の混乱を見ていて、重大な原子力事故が起こっているのではないかと推測し始めていた。
 しかし原発から20キロ、30キロも離れれば安全で、100キロ以上も離れた東京でも危ない、母国から送られてくる深刻な情報を知った在住外国人は関西方面へ避難した。関東圏在住の日本人にも、大阪や京都へ避難する人々が少なからずいた。

原発が爆発する」、予告めぐる新聞記事の謎


ある日、ツイッター上やネット情報に、3月14日の夜、迷彩服の自衛隊員が南相馬市の避難所あるいは市役所に突然現れ、「原発が爆発する。すぐに100キロ以上離れた場所へ避難してください」と告げて、ジープで張りし去ったという奇妙な情報が流れたことがあった。真偽不明な情報である。

これについては、震災後6カ月後の9月11日の朝日新聞首都圏版の一部と電子版に、次のような記事が載ったとの情報が錯綜した。
 朝日首都圏版に載った記事は以下の内容だった。

「東日本大震災発生から4日目の3月14日午後9時40分すぎ。福島県南相馬市役所1階にいた江井芳夫課長は、正面入り口から入ってきた迷彩服姿の自衛官が発した言葉に驚いた。
『原発が爆発します。退避してください』
自衛官は階段を駆け上がり、各階で『100キロ以上離れて』と呼びかけた。
25キロ南の東京電力福島第一原発では、12日午後3時36分に1号機で爆発が発生。
約3時間後、政府は半径20キロ圏内に避難を指示した。
南相馬市では1万4千人の避難が翌日までにほぼ終わったが、この日の午前11時1分、今度は3号機で爆発が起きていた。」

  


 
「県の災害対策本部からは情報がほとんど来なかった。
駐車場の自衛隊車両は赤色灯を回し、内陸方面に向かっていく。
職員たちは色を失った 7万人の市民をどうやって100キロ動かすのか。 高野真至主査(41)は『防災無線で流せばとんでもないことになる」と思った。
自衛隊がなぜ動いたのか、いまも分かっていない。」

この情報を裏付けるように、翌日の15日朝には、第一原発2、4号機で相次ぎ爆発が発生した。

 ところで、上記の朝日記事には、間違いがある。3号機の爆発は14日で、この記事の書き方だと、13日と考えられる。また南相馬の避難民は震災の避難であり、原発事故の避難ではない。南相馬は20キロ圏の外だから自主避難の住民しかいない。
 朝日の記事では14日の水素爆発の前には、相当数の南相馬市民が避難していたことになる。

 しかし事実は異なる。自衛隊の勧告に住民は動揺したが、南相馬市長や福島県知事は自宅にとどまるよう説得したというから大多数は南相馬に止まったと考えるべきである。
 そして15日の2,4号機の爆発と最大の放射能漏れが起こり、SPEEDIの予測では避難区域外だった南相馬に大量の放射線が降り注ぐ結果になった。
 あわてた政府は、避難区域を20-30キロに拡大して、屋内退避を決めたのだった。

 以上のことを考えると、朝日新聞が震災6カ月後の9月11日の首都圏版記事や電子版でわざわざ自衛隊の話を書いたのだろうか。この点は、ネットでも議論になっていた。

 考えられることは、情報を事前に入手していた自衛官の勧告は事実であり、マスコミ各社はこれを知りながら報道しなかったため、避難が遅れた南相馬市民の被曝を招いた。
 朝日新聞はアリバイ工作のためにこの記事を首都圏版や電子版で書いたのか、全国版の記事にはしなかったと理由の推測は成り立つ。

 さらに自衛隊は情報収集しながら、南相馬市民を救助せずに敵前逃亡してしまったが、住民たちには事実を知らせた、ということになる。
 政府の自衛隊指揮系統が確立されていなかったために、自衛隊を効果的に出動させることができなかった、などの反省点が半年後になってやっと明るみに出たのだ。

(以上、http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008 検証・なぜ朝日新聞は意識的誤報を流したのか「逝き世の面影」サイト参照、http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/09/post_eafe.html「原発が爆発します」自衛官告げに来た・・朝日新聞9/11 つむじ風のサイト 参照)

 突然、事故から一カ月後の4月11日、チェルノブイリと同格にまで事故レベルが上げられるにおよび、わけがわからなくなったのは私一人ではないだろう。長年、新聞記者をしていたけれど、これほど時々刻々と評価が変化する事故を見たことはなかった。
 記者会見でいつも要領を得ない発表をしていた原子力安全委員会は、原発から最大で一時間あたり一万テラベクレルの放射能が放出されているという驚くべき試算を公表した。

 聞きなれないマイクロシーベルト、シーベルトなどの放射能測定値に加え、テラベクレルは一兆ベクレルという天文学的な数字をいきなり発表されても、素人の国民にはなかなか理解できない。

 にもかかわらず、政府や東電はチェルノブイリのような原子炉爆発が起こったわけではないので、そんなに大きな放射線量ではない、などの説明を繰り返し、決して安全神話を手放そうとはしなかった。

安価な中国製線量計が飛ぶように売れた


 政府や東電がいい加減な発表を繰り返し、汚染がどの程度のエリアまで浸透しているのかが不明になり、東京の水から放射能が検出されると、関東圏は危ないという情報が、ツイターなどで出回ることになった。真偽は定かではなくデマも混じるが、子供たちがやたらに鼻血を出す、喉をいためる、咳が止まらない、胸が痛い、ベランダの花が枯れる、金魚が死んだ、などの情報があちこちで流された。
 東京ではホットスポットという放射線量が高いエリアが観測され、公園や学校のグラウンドなどで子供を遊ばせたり、運動させても大丈夫なのかという疑心暗鬼が、若い母親の世代から広がっていた。
 これまで信用していた政府、電力会社、巨大マスコミ、大学教授の権威と信頼性が崩壊していった。
日本社会を支配してきたこのような権威の崩壊現象は、1945年8月の敗戦いらい、初めてのことだろう。

 こうした中で、一台数万円もするという放射線量計が飛ぶように売れ、安価な中国製品でも買いたくても手に入らない状態が生まれた。
  被災と原発事故のダブルパンチの中で、日本経済も停滞し、ヒット商品などは望むべくもない時代だったのに、皮肉にも線量計だけがヒットするという結果を生みだした。しかも自国製ではなく、ライバルの中国製だった。線量計を大衆利用に適するよう大量生産した中国企業は、日本の原発事故と政府、東電のデータ隠ぺいの様子じっと観察しながら、日本向け線量計が売れると判断、大量生産に踏み切ったのだろう。
中国国内には大衆用線量計の需要はないからだ。

  しかし一般人が線量計で放射線量をはかる世論の混乱を危惧した村井宮城県知事や石原自民党幹事長らは、一般大衆が放射能をはかるのを禁止する条例などを作るべきだと主張し、政府もコンピューター監視法案を成立させるなどして放射線量の監視に当たる構えを見せている。
  しかしこうした政府や行政の対応はさらに国民の反発を買う結果になってしまう。政府や行政が隠しだてのない正しい情報を公表し、的確な避難指示などを出していれば、国民はわざわざ高い金を出して線量計など買う必要はない。
こうした初歩的なことが、今の日本政府のトップや官僚たちにはわかっていないようだった。

ママさんたちの「自己防衛」と新しい情報文化


  東電、政府、御用学者、マスコミが一体になって安全性を強調する中で、これに反発する国民大衆は子供たちを守るという本能的で背に腹は代えられない目的のために、購入した線量計で自前の線量をはかりツイターやネットで情報交換する「自己防衛の為の新しい情報文化」を作り上げていった。
 なぜ政府と生活者国民、ママさんたちの間にこれほどの政治不信と溝が深まり、回復不能にまで高まって行ったのか。
 それは冒頭に述べた「メルトダウン」、隠していたことが真実だったからである。真実の事実を隠し、安全宣言を続けた政府、東電の嘘をとっくの昔に心ある国民は見破っていた。
現代社会はマスコミを支配していれば情報操作は可能と、思い込んでいた政府・官僚をはじめとする原発推進派は、目の前でグローバルな情報社会が展開しており、嘘は暴かれるという事態を想定していなかった。「安全神話」は、政府にとって安全ではなかった。
 炉心のメルトダウンと同時に隠ぺい情報もメルトダウンしていたのだ。

 上述したように、3月13日朝刊一面トップで「メルトダウン」を指摘した朝日新聞は、その後トーンダウンさせた理由を検証報道した。東電、政府関係者、原子力の関係者などに取材してメルトダウンの心証を得た記者が書いたものだと記事は指摘している。
 しかし炉心を見た記者はいないのだから、メルトダウンを証明することはできないという理由で、トーンダウンしたようだ。しかしそういう新聞の自己弁護は納得できない。記者の丹念な事実取材を積み上げて至った結論の事実をねじ曲げたとしか思えない。朝日は、政府や東電に対して弱腰だったのだ。

原発現場から漏れ出した事実情報 

 
 東京の東電本社でいくら情報をコントロールしようとしても、現場の情報は必ず漏れだすものだ。人の口に蓋をすることはできない。
 M9に修正された大地震のとき、東電福島第一原発の作業現場から避難するために送迎バスに乗り込もうとしていた一部の作業員は、「地震で冷却水用の電源が失われ、配管が壊れる」のを目撃していた。
 この事実の公表も長い間隠されており、「電源が失われたのは地震直後に発生した大津波で建屋が破壊されたため」、と東電は釈明、事故は「想定外」に起こったと説明した。

 さらに重大な炉心メルトダウンの事実は事故直後には公表されず、2か月後に、ようやく公にされるに至った。地震直後の3月11日の夜間から12日にかけてにすでに炉心はメルトダウンしていたということになる。

  

退陣した菅首相の遅すぎた告白


  東電は3.11夜にはメルトダウン情報をつかみ、保安院もこれを知って官邸には連絡したとされるが、「菅総理には情報は届かなかった」、と退陣後の9月上旬、菅氏はTBSテレビの23時ニュースのインタビューに自ら答えていたが、違和感を持った。
 またこのインタビューで、東電の清水社長から海江田経産相に対して、東電は福島から撤退したい」という通告があったので、菅首相は海江田経産相と共に東電本社に乗りこんで「撤退は認められない、しっかり事故処理をやれ」と叱責したという。
  
 どうして首相に重要情報が届かなかったかは不明で、もし届いていないなら、どこで情報がストップしたか究明すべきだった。

 マスコミは連日大騒ぎで様々な原発瑣末情報やインサイドストーリーを報道しながら、こういう大問題を調査報道しようともしなかったことは、何を恐れたのか、全く腑に落ちない。

 東電撤退通告に怒った菅首相が周囲の反対を押し切って福島原発をヘリで上空視察したころには、すでにメルトダウンしていたことになり、菅首相は放射能が飛散する極めて危険な時期に福島原発の上空を飛んでいたことになる。
 このとき菅首相は、心証として「メルトダウン」を考えていたはずで、さらに水蒸気爆発という悪夢のシナリオを想定すると、「3000万首都圏の人はどこへ避難するか」「首都圏に人がいなくなる。国がなくなる」という最悪の事態を想定していたと思われる。
 インタビューを聞いていて、総理の立場からは事実認定されたことしか公表できなかったにせよ、もう少し主観を交えた心証を語ることはできなかったのだろうか。 
「危ない」と首相が一言いえば、少なくとも福島原発周辺の住民や子どもたちは遠隔地へ避難でき、福島県民は今よりは軽度の被曝で済んだはずだ。

 菅氏への9月中旬の時事通信インタビューによれば、福島第一事故は、「想定すべきことを考えてこなかったための人災だった」と指摘している。
 このことは後の4つの事故調査委員会報告書によって共通の認識になったが、それは事故後、一年以上も経てからであった。
 あの時、「子供を連れて逃げていれば良かったのに」、「安全といわれて福島に止まって被曝した人の悔しさ」が、今、新たな現実となってのしかかっている。

 

菅首相は、なぜSPEEDIを公開しなかったのか


 とはいえ、昨年10月(3.11前)浜岡原発で全冷却機能喪失を想定した「原子力総合防災訓練」で、SPEEDIを活用した住民避難訓練を実施したとき、菅氏は本部長として訓練を指揮している。
 わずか半年前に行った防災訓練で、SPEEDIによる住民避難訓練をやっていながら、どうして本番の福島第一原発大事故にさいしてSPEEDI公開をしなかったのか。
 菅氏は辞任が決まってから、浜岡原発再稼働中止、脱原発、再生エネルギーへのシフト、電力会社の発送電分離などの政策を相次いで打ち出したが、なぜこの姿勢をもっと早くから実行に移さなかったのか。
  辞めることがわかってからでは遅すぎる。結局、次の野田政権になってから、脱原発も発送電分離も消えたようになり、逆に「原発は止めるべきではない」という声が高まってきた。

原子力利権の闇に迫れなかった民主党政権


 原子力利権(原子力村)の構造は政財界、霞が関、地方自治体、大学、マスコミの各分野に強力な人的利害関係のネットワークを作っている。
  原発利権を支える人脈エネルギーは原子力村が生み出す金だ。東電は国家、といわれるほど潤沢な資金を持ち、東電金脈よって利権構造を支えてきた。
  かつては田中角栄金脈が政界を汚染してロッキード事件などが起こったが、今回の「原発事故は東電金脈による日本列島汚染が引き起こした人災である」、という意味で菅氏が言う通りだろう。
  しかし、もう首相をやめることが決まった後の菅氏は、“良い子”になりすぎていた。
  首相在任中に「脱原発をはっきり表明する」ことに恐れを抱いていたのだろうか。あるいは、首相の座にしがみつつくために、国民目線の立場に降りてきて、脱原発や再生エネルギーの話を始めたのだろうか。
  このへんの菅さんの心の動きや豹変ぶりをインタビューで聞く記者はいないが、プロのジャーナリストならここに迫らなければ、つまらないインタビューになる。
   政治家は自分の過去をできるだけ見かけは「輝かしく見せたがる」存在だからだ。そのためにはどんな言いわけでもする。
  菅氏に同情的に考えるなら、国民に事実を知らせることで起こるパニックを防ぎたい、できれば真実の情報を隠しておきたかった、という保身だろうか。
  かえすがえすも残念なのは、もっと早期にメルトダウン情報が国民に伝わっていたら、今後、チエルノブイリ事故の数年後に被曝の影響を受けたカザフスタンややベラルーシのように、福島第一原発事故で被曝した子供たちが同様の白血病や甲状腺癌に悩まされるようなことがあれば、この数ヶ月間の避難の遅れは「取り返しがつかない失政」になるのだ。

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