「原発安全神話」作ったマスコミの責任


『報道ウオッチ3.11』緊急リリース版最終回

大新聞とCIAが主導した原発導入 

「野獣も飼いならせば家畜となる」


  いまから約60余年前、サンフランシスコ平和条約で日本が独立した直後のことである。
「野獣も飼いならせば家畜となる」。日本の新聞の中で原子力平和利用キャンペーンの先陣を切った『読売新聞』は見出しでこう謳った。
 正力松太郎率いる読売新聞と傘下の日本テレビ幹部の柴田秀俊は、秘密裏に米国CIA関係者らと接触して、日本に原発を導入する画策を行っていた。
 正力はCIAのエイジェントといわれ、そのCIAコードネームはPODAM というものだったという。(有馬哲夫著『原発•正力• CIA  機密文書で読む昭和裏面史』参照) 

 1950年当時、ビキニ環礁の米国水爆実験で被曝した焼津のマグロ船第五福竜丸の久保山愛吉が死亡したことで、日本社会には反米感情が渦巻いていた。
広島・長崎の原爆被害の後遺症がビキニ事件で沸点に達しし、各地で原水爆禁止の反米デモが起こった。

 米ソ冷戦下で、日本を「反共主義の防波堤」にしようと考えていた米国はビキニ事件で激化した日本の反米感情を沈める必要があった。
 当時の米国から見ると、日本の大新聞とマスコミはどんどん左傾して反米・親ソの論調が高まってゆき、日本は共産主義ソ連の衛星国になるのではないかと、本気で警戒していた。

 1950年代の米本国ではマッカーシズムの赤狩り(共産主義への同調者を告発)の嵐が吹き荒れており、アーサー・ミラー、アーネスト・ヘミングウェイ、グレアム・グリーン等の著名な作家やハリウッドの有名スター、学者、官僚、軍幹部、政治家などが次々に共産主義者の汚名を着せられて、行動を監視され、仕事からも追放され、投獄される恐怖社会でもあった。
 日本の新聞社も赤の巣窟ではないかとGHQは考えていた。確かに、占領下占領下の新聞社には米国の資本主義に敵意を持ち、日本敗戦と原爆投下に対する反米感情や怨念が日本人の心の中に広がっており、社会主義ソ連に共感する新聞記者たちもたくさんいた。
 朝日、毎日、読売などの大新聞社の労働争議が多発し、手を焼いたGHQは新聞記者のレッドパージを指令して、多数の新聞記者が職場を追われた。
レッドパージをめぐり、誰が赤か、共産党員に指名されるか、新聞社内は疑心暗鬼となり、社内にはスパイが入り込んでいて内部通報し、記者たちの信頼の絆は断ち切られていった。

 新聞記者時代、大学などの取材を担当していた私は、取材先の京都大学の教授研究室訪ね、何回か会って親しくなった経済学者のO教授から、「実は、御社にいたことがあるんですよ」と打ち明けられたことがある。レッドパージで新聞社を辞め、研究者になったということだった。
 教授は当時を思いだしたくない様子もあり、あまり多くを語らなかったが、レッドパージ時の新聞社内には人間不信が渦巻いていたようだった。同僚が同僚を後ろから刺す、「赤の嫌疑」をかけて仲間を売り、同僚を蹴落とすという内部の赤裸々なサバイバル戦争の話は、このとき初めて知った。
 当時の新聞社で出世するには、レッドパージ禍をうまく切り抜ける才覚を必要としたようだ。この話を聞いてからは、新聞社の上司、幹部の顔が奇妙にチラついたものだ。

日本人の核アレルギーを取り除け


 新聞記者のレッドパージを進める一方で、反米感情を鎮め、原爆へのアレルギーを緩和する「心理作戦」の一環として、原子力の平和利用、つまり日本へ原発を導入しようと米国は画策していた。

 その水先案内人になったのが正力松太郎であり、読売新聞だったのである。
 原発の燃料になる濃縮ウランは米国から輸入された。当時、原爆の材料である濃縮ウランを供給できる国は、米国とソ連しかなかった。

 米国もソ連も「原子力平和利用」のスローガンを掲げ、濃縮ウランを売ることで原発を推進させ、衛星国を増やすことを目的とした。
 原発の日本導入を考えた米国政治家やCIA関係者は、政府間交渉以上に、マスコミの宣伝効果を重視しており、とりわけ日本社会では「大新聞の影響力」が強いことを知っていた。
 なぜ米国側がそう考えたかというと、戦中に日本の新聞が大本営と結んで遂行した「国民洗脳効果」に注目していたからだ。
「嘘を真実に変える」のが、洗脳の効果である。

 濃縮ウラン日本輸入のときには、政界でも賛否が分かれ、新聞は「賛成の読売新聞」、「反対の朝日新聞」と、世論を二分する大騒ぎになり、科学者の学会でも賛成・反対が分かれた。
 日本初のノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹博士は反対論者で、正力とは意見が対立していたといわれる。

 しかし日本が高度成長の道を歩み始めると、原発への批判意見は少なくなっていった。エネルギー資源のない日本は原発に頼ることなく、豊かな経済と利便性の高い国民の生活水準を保つことはできない、という世論が多数派を占めるようになる。

 原発に批判的だった新聞の代表だった朝日新聞でも推進派の勢力が増し、反対論を唱えた著名な学者、評論家、ジャーナリストたちが姿を消していった。
 平和憲法を守る立場の朝日は、兵器としての原子力を否定する立場をとっていたが、原子力平和利用の原発には「イエス」をいい、「バット=しかし」と「安全性担保の条件」を付ける論調を展開していた。

 

原発反対論を抑え込んだ大新聞


  しかし「バット」の要件は時代と共にどんどん緩んできた。
 1970年代半ば、朝日新聞が論調を変えたターニング・ポイントは東京電力の原発広告を朝日が受け入れたことに始まるとされる。

  
 元原発担当だった朝日記者がツイッターに投稿した以下のような文章があった。これを読むと原発報道現場に関与した記者たち具体的な葛藤の姿がわかる。
 社内研修会の席上、編集幹部が「記者は社論に従って記事を書けばいい」と発言したことで、記者たちは「反対運動を報じるなということか」と反論し、研修会は荒れてあわや中止、という衝突の局面があったというのだ。
(@tkgysnb 氏の証言参照)

 しかし研修会に参加した記者たちは「何がなんでも原発に反対」したわけではく、「放射能漏れによる「環境汚染や安全性」が本当に担保されているのか、「原発反対論」にどれだけ配慮できるか、そういう根本的な疑問を糺そうとしたに過ぎない。にも関わらず記者たちは、幹部から「社の考えに沿って記事をかくように」と最終的に指示されたのだ。

 この時在席した編集幹部H氏は、朝日社内では進歩派として知られた人物だが、原発に関しては社説で推進の旗を振る立場に転換したことがわかる。

 やがて若い記者たちは、反原発の記事に力を入れた先輩たちが、決して恵まれない社内人生を送る姿を見て育つことになり、原発に反対する記事は紙面から消えていった。

 原発事故記事は紙面から隠されたものになっていったが、しばしば原発の放射能漏れ事故は起こっていた。しかし日本国内では取材ができないので、記者はアメリカへ出張し、アメリカ政府から事故情報を取材してスクープしたりしていた。日米原子力協定により、日本側の原発事故は米国に報告する義務があったからだ。また原発から原発へと渡り歩く「原発ジプシー労働者」の話を取材している記者もいた。そこで原発の知識のある科学部の知人と相談して合同チームを作り、「原発のいま」というシリーズをやろうと提案し、部会に諮ったりして取材を進めていたことがある。しかし原発の企画は必ず事前に潰れる、という社内ジンクス通り、仲間が一人抜け、二人抜けして紙面化に至らなかった記憶がある。
 あとでわかったことだが、原発の原稿は必ず科学部上層部の検閲があり、通過しないと紙面化されない。しかも科学担当役員の論説委員から「反原発の原稿を書いてはならない」という通達が出ているということだった。

 電力会社から莫大な原発広告収入が得られることは経営重視の経営幹部にとって、編集面の犠牲を躊躇すべき問題ではなかった。当時、一面の全面広告料は1000万円といわれていた。
 以降、原発に対する記者の関心は急速にしぼんでいったといって過言ではない。
 

鼻先にニンジンをぶら下げられ、原発受け入れ


 原発安全神話を作るのに、電力会社はどのような裏技を使っていたのか。 電力会社は「馬の鼻面にニンジンをぶら下げたようなPR」をしている、と前出の朝日元原発担当記者は証言している。
「若者の少ない貧しい過疎地の漁村に白羽の矢を立て、財政難の地元の市町村にはヨダレの出るような「協力金」を餌に、「札束でほおを引っぱたく」といったやり方がまかり通っていた。一般人には理解しようのない原発だが、「ばら色の未来」を生み出す、打ち出の小槌のように思い込ませていった。
 都会のキャバクラやクラブへの接待もあった。そして、「どんな天災がきても何重にも安全策を講じている」「万万が一の大事故なんてありえない」「100%大丈夫」と説得した。
前出@tkgysnb 氏の証言)

安全神話形成に邁進したマスコミ


 マスコミは原発の「安全性強調」へと論調を転換し、資源のない日本が経済成長してサバイバルするために、原発は絶対に必要なものだという論陣を張って世論を誘導していった。
 新聞だけでなく民放テレビにとっても、CMスポンサーとして原発マネーは巨大な力を持つようになる。「毎日放送」がラジオの深夜番組で反原発派の学者を登場させただけで、「CM引き揚げ」が行われたといわれる。
 
 従来、新聞社にはいくつものタブーがあった。全国的には「菊・桜・鶴」、関西には「松・竹・梅」などというタブーがあった。
 部落問題、共産圏、ヤクザ、宗教団体などの取材がタブー視されていたが、表向きには語られない新しいタブーが「原発」だった。原発と原発利権、原発人脈の隠された事実に触れることは、新しいタブーになった。
 タブー視された反原発論への監視は、記者たちの間に原発は危ないものだという認識を深める結果になった。
 マスコミと同様、大学でも研究費を潤沢にもつ原発推進派が権力を握って研究室を牛耳るようになり、マスコミとタイアップして原発安全性の神話を広めていった。
 専門の原子力部門だけでなく、影響力のある文系の学者や作家、評論家にも原発マネーが流れていたという。
 マスコミの場合、会社の広告部門だけでなく、個人の記者にも原発マネーは流れた。
 例えば東京電力がばら撒いたとされる宣伝資金の分け前にあずかったマスコミ人、文化人は数多いようだ。『週刊金曜日』には東電金脈の文化人の名前がずらりと出ていた。いかにもありそうな面々ではあると思った。(『週刊金曜日』4月15日号)

 レベル7の原発事故だから、大気圏や海中に流出した放射能の恐怖が、近隣諸国や世界に影響を与えないはずはないのだが、日本政府も東電も情報を隠ぺいし、世界のメディアが事態を注視して、刻一刻と報道していいたことに無頓着だった。
 欧米諸国はチェルノブイリ事故クラスの世界最大の福島第一原発事故の顛末を注視し、特派員を大量に送り込んで取材していたから、この原稿執筆の重要データの多くは、日本よりも海外メディアから多くを得ている。
 「あらゆる情報はネットを通じて瞬時に世界を駆け巡り、いくら隠していても事実は必ず世界では表になり、その嘘が増幅されて伝えられる」ということに日本の原子力関係者や政府はあまりにも無頓着だった。
  
 世界展開する欧米テレビ界の雄、BBCやCNNはリビア内戦と日本原発事故を交互にヘッドラインにして報じていた。東日本大震災とこれに付随して起こった福島第一原発事故は、「世界のトップニュース」としてヘッドラインを飾っていたことに無知だった。
 世界の報道機関は、日本のマスコミのように権力や政府への忖度はない。取材は貪欲で、政府や東電のことを慮ってはくれない。取材した事実の確認ができれば、遠慮会釈なく書き、即報道する。

 政府保安院や東電の記者会見は、彼らの好みではない。東電の広報部が配布する数字を羅列した官庁広報のようなペーパーをもらい、だらだらと弁明を繰り返す広報マンの話を聞いていても、いま炉心はどうなっているか、メルトダウンしているか、真実はわからない。
 外国記者は東電や保安院の記者会見にはほとんど関心を持たなかった。東京を後にして福島の現場へ出かける。カメラをかついで現場へ向かう。それがプロのジャーナリストの流儀だ。ビルの中にいる記者に何がわかるというのだ。「日本の記者たちは炉心がどうなっているか、見たのか」と問う。                 BBCやCNNが流す映像を見て、リビアの戦場から転身してきたピューリツアー賞記者らが丹念に取材した農民や漁民、被災者の苦しみを書いたルポルタージュを読むことで、私は被災地の真実に触れる思いがした。

 そうした思いから、私は『報道ウオッチ3.11—日本の報道はなぜ世界で通用しないのか』を一気に書いたのだ。
 「野獣も飼いならせば家畜になる」という新聞の見出しからスタートした日本の原発だったが、飼いならすことに失敗し、野獣が牙をむき出して暴走しているのが、今回の福島第一原発事故である。
 2012年8月現在、まだ「福島第一原発の暴走」
は止まってはいない。 
(全編 終わり)
 

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