つぶやき集3

普段の考え事

 普段どんなことを、考えているかを振り返ると、人間関係のことに関することが多いということ以外に、実はほとんどの時間は全然、演繹的に、論理的に、一歩一歩考えているということがなく、漠然としている。
 偏るのはよくないし、ボーとしている間に、ちょっとした洞察やひらめきは、あるだろうが、もう少し演繹的に、論理的に、一歩一歩考えるということがあってもいいと思う。頭の中だけでそういうことができる人もいるのだろうけど、個人的には、書きながらじゃないと難しいんじゃないか、と思っている。

図書館と大学

 自分は、図書館をよく利用している。期限内に読み終わる本の量を、自信過剰に見積もってしまって、借りすぎてしまうことがあるが、とくに損はない。返したり、延長したりすればいいだけだからだ。それに対して、大学は履修登録のミスが学習にも、金銭的にも問題になる。
 図書館での、焦りのない日和見的な学習では、自信過剰や計画の甘さ、将来の見通しのミスは、何の問題にもならない。大学では、高くつく。この事実だけで、大学を辞める。他人の独断にも振り回されずに済む。

中毒と環境

 環境と行動は結びついている。環境を合図に、そこと結びついている行動が、引き出されてしまうのだ。新居に引っ越したら、その環境と結びついてほしくない行動は何が何でも、妥協せずにしないことだ。どうしてもしなくてはいけないことは、決めた部屋だけでやる。今の家で、だいぶ悪癖を作ってしまったので、それらに対して厳しくしなくてはいけない。

いらいらへの対処法

 感情は、真正面から矯正できるものではない、というのが個人的な考え。そらすしかない。イライラしているときは、自分に対して高い要求をしたと思い、現状よりも悪いこと、最悪なことを想像して、いったん落ち着く。そのあと、少しずつ改善する。自分の好きな著作家のナシーム・ニコラス・タレブは朝起きたら、「今日も目覚めてしまったこと以上に、最悪なことはない」と考え、その日起きることに対して、気持ちを取り乱されないようにするらしい。基準が上がり続ける地獄にはまってはいけない。

創造についての自論

 「創造」という言葉は、たいそうな感じがして、創造的であろうとすると、わざとらしく、いびつに誇張される感じがある。だから、「創造」なんてことは考えずに、「うまく使うか、使わないか」を考えるべきだ。
 そうすれば、一般的に「創造」と言われるやつにたどり着けるだろう。

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