見出し画像

💗好きピ💗

好きピってなんだ。
“片想い状態での焦がれている相手”のことだっていうことぐらい知っている。最近は意味も揺れてるみたいだけど。
けど、私はこの言葉が使われているところを見るのも、自分が使うのにも強烈な違和感を覚える。

この違和感は好きピってワードの括る力の強さにあると思う。好きピとカテゴライズすることで、勝手で一方的な関係性が構築されている気がする。括った時点でその好きピは既にその人のものになっている感じがある。

誰かが好きピを周囲に公開すれば、(少なくとも周囲の人にとって)不文律的にその人は不可侵になる。それはもはやその人と好きピの間には唯一の関係性があることになっているのではないか。
好きピにはその相手(=好きピ)は己のものだというメッセージを内包してる。

そもそも、人間関係において、後天的に相手を唯一のものとして括ることができる関係性を示す名詞って彼氏/彼女ぐらいなんじゃないか。

人間関係をカテゴライズしてったら、そのカテゴリーの中に何人かあげられるのが多いんじゃないかと思う。
“友人”とか”先輩””後輩”とか。
保証人とか仲人とか主治医とか恩師とか、そういうのは唯一かもしれないけど全然違う。私にとっては唯一でもあっちにとって唯一かはわからない。それに立ち位置が違ったり、ベースに友情があったりする。
ていうか先天的なのも同じ立ち位置になるものってなくないか。 親⇔子 みたいな。

だからこそ恋人っていう1on1の関係性ってめちゃくちゃ特殊だなと私は思っている。後天的な唯一の関係性ってなくないか。そこに切り込むような感じだからキモい(=違和感を感じる)のかも。

まだ相手にとって自分はどのような存在なのか未確定な状態で、またはただの(複数存在するのが当たり前のカテゴリーである)友人、知り合いであるのに、一方的に相手を括ることが押し付けがましいコミュニケーションに感じる。

付き合ってはないけど好きな人を指すことができる便利なこのワードはどんどん一般化して行くんだろうな。”推し”と同じように。そしたら誰でも使うようになるんだろうなって思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?