『青年の思索のために』下村湖人(PHP研究所)心窓去来を読んで

 この講は,様々な項目について真理を述べられている非常に重厚な講である。時間をおいて何回も読む価値がありそうなところだ。
 特に印象に残ったところを3点記録する。

①「機会にめぐまれなかった」ではなく,「機会を求めなかった」である。
 よく「チャンスにめぐまれなくてさ」「出会う機会がなくてさ」といった発言を耳にするし,自分も言うことがよくあると思った。いいなと思ったときにはすぐにそれをできるようにする。

②「まじめな人間」
 「まじめな人間というのは,絶えず自分が自分と対決している人のことである。」
 私は自分から学びの場へ向かうことが多いが,そのことについて「まじめですね。」と言われることがある。まじめと言う言葉には,「固くてつまらない」というようなニュアンスが入っているように感じ,あまり嬉しくない。しかし,本来のまじめの意味を考えてみると,自分に当てはまるかと思う。学びを継続している動機は,自分の不安を払しょくしたいからという思いが強い。初任のころ学級崩壊を起こしてしまった経験や,なかなか授業が担当の仕事がうまくいかなったことなどがその不安の要素だと思う。弱い自分に勝つために学びを続けている私の強みは「まじめ」であることだろう。

③「小事に心を労したくない人という人」
 「真意大事を志す人は,自ら好んで小事をおろそかにしようとは思わない。」
 私はこんな教育をしたいという思いは持っている。しかし,子ども達一人一人に目を向けること,寄り添うことなど日常の当たり前のことをないがしろにしていたら,元も子もない。さらに具体的言えば,シュレッダー周りに紙屑が落ちていたり,ポスターがはがれかけていたりするのを目にしたとき,そのような些細なこともスルーせずに行動できる人こそが大きなことを成し遂げることができるのだろう。私はそのうような人間でありたい。

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