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素人の考古学―神奈川県金目川水系の古墳見学

      

 相模平野は相模川と花水川(上流は金目川)により平野が広がっている。この周辺に古代から住民が住み、主要な古墳群がある。

相模川水系には、秋葉古墳群、金目川水系には真土大塚山古墳、塚越古墳などヤマト王権との連携が伺われる。

1.     真土大塚山古墳  

古墳は砂丘の砂地を削り出して整形し、その上に盛土をしていた。

周囲からは大きな集落跡も見つかっていないが、相模湾とともに相模川の河口に近い位置にあり、交通の要衝に造営された古墳である。

墳形は双方中円墳説、前方後円墳説、前方後方墳説が出されたが、実際の墳丘がどのような形であったのか、調査されることもなく消滅してしまい、今となっては真土大塚山古墳が実際にどのような形をしていたのか、知ることができなくなってしまった。

埋葬施設は墳丘中央部の地表下75~80センチメートルのところに粘土槨、そして1.3メートル付近には木棺直葬がされていたと見られている。

(真土大塚山古墳公園)

木棺直葬の主体部から出土品としては戦前の発掘時に三角縁神獣鏡、管玉・巴形銅器、銅器2、多数の銅鏃39、鉄斧2、の破片1、刀の破片1、土器の破片であった。三角縁神獣鏡京都府椿井大塚山古墳で出土したものと同笵鏡で、土器片は弥生時代末から古墳時代初頭にかけてのものとみられている。

粘土槨から戦後の発掘時には変形四獣鏡1、晶製勾玉1、水晶製算盤玉2、ガラス玉150、銅鏃1、銅鐸3、槍鉋(やりがんな)1、土器片が出土した。

金目川水系には多くの遺跡がある。

根丸島弥生遺跡跡、砂田台弥生遺跡、古墳は4c~7cの塚越古墳、北金目神社古墳、二子塚古墳など。このほか横穴墓群もある。

2.塚越古墳

標高約35m、金目川と大根川に挟まれた台地上に立地。全長約55mの相模国内で最大規模の前方後方墳である。埋葬施設は後方部墳頂に検出された粘土槨で、出土遺物は玉類や鉄製品、土師器など。4c築造

この時代は、地方にも有力首長がおり、ヤマト首長連合の時代。塚越古墳の被葬者も覇権を競っていた1人であろう。

(塚越古墳)

3.     北金目神社古墳

金目川の左岸。一辺28ⅿの方墳。4世紀末築造。
この時代、方墳や前方後方墳は、尾張地方の特徴で、ヤマトにはほとんど見られない。ということは、尾張地方にあったといわれる狗奴国の勢力圏内にあったのか。

(北金目神社古墳)

4.     二子塚古墳

標高約75m、金目川左岸の丘陵先端部に立地。全長約46mの前方後円墳。

周溝を備える。埋葬施設は後円部の南東側に入口をもつ片袖型の横穴式石室で、全長約9m、出土品は銀装圭頭大刀や耳環、ガラス小玉、金銅装馬具、土師器、須恵器など。6世紀後半~7世紀の築造。この時代の首長墓であろう。

(二子塚古墳)
(二子塚古墳 前方部から後円部を望む)
(二子塚古墳出土の銀装圭頭大刀)

●金目丘陵上にある東海大学構内及び周辺には弥生時代の遺跡が沢山ある。

(塚越古墳から東海大学と富士山を望む)

東海大学収蔵庫見学

湘南キャンパスが位置する北金目台地の東部には、多くの遺跡がキャンパス内にも王子ノ台遺跡・高間原遺跡・今宮遺跡などが存在し、縄文時代の土偶や土器、弥生時代や古墳時代の土器や住居跡、中世の墓から出土した副葬品などが展示されている。

ご厚意により見学させていただいた。

(東海大学 収蔵庫)
(中空土偶)

                    以上

                    小兵衛

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