よし、ボートだ!第4話

彼は、ヨッちゃんと呼ばれていた。

名前だか名字だか、とにかくヨッちゃんはいつもニコニコしていた。いつも腰に汚い手拭いを下げていた。
幾つぐらいだったのか・・多分50〜70代、いるでしょ、そばに、そういう年齢不詳な人。

ヨッちゃんは小柄だ、160cmは無かったと思う。尋常ではない日焼けで真っ黒な顔の上には、あの、なんだ、市場の競りで被っているキャップ、前に数字が書かれた札がついた、それのような青い帽子をいつもかぶっていた。

魚河岸か中央市場かに勤めているのだろうかと思っていたが、 どうやら違っていた(当たり前か、商売道具を場に持ってくるわけないな)。
トシユキ君が偶然、廃品回収のトラックの助手席に神妙な顔をして座っているヨッちゃんを見かけたのだ。もちろん例の帽子は被っていたが、かぶってなければ判らなかったとはトシユキ君の弁。なるほど、場が開いてない日は古物商の手伝いをしていたんだ。良かった、良かった。(トシユキ君もかなりおかしい。いずれ紹介したい。)

ヨッちゃんは、多分朝一には入場門に並んでいる。ニコニコしながら来場者を迎え、知った顔を見かけたらそばにやってくる。ちょっと会釈し、ニコニコしている。しょうがないなぁ、入場料を払ってやらなくちゃな、という寸法だ。

ヨッちゃんは買わない。テラ銭がないわけでもないだろうに、ヨッちゃんが舟券を買っている姿を見たことはない。ヨッちゃんは場内をニコニコしながら、一日中うろうろしている。

「ヨッちゃん、飲むか?」「ヨッちゃん、なんか食うか?」「ヨッちゃん・・」、みんな声を掛ける。それにニコニコ応じる。
みんな、ヨッちゃんを見かけると何かしてあげたくなる。いや、違うな、みんなヨッちゃんを憐れんでいたのだ。
どことなく頭も足らなそうで、ふらふらしている。哀れな我々は、もっと憐れなヨッちゃんに施しをすることで優越感を充たしていたのだろう。

ヨッちゃんの仕事はレース直後に始まる。あちこちに散らばる外れ舟券を掻き集める。そして隅っこに陣取って、丹念に見直している。万に一つも混じっているわけもない当たり舟券を探す。延々探す。それがヨッちゃんの「競艇」だった。

たまにハッとした様子で払戻窓口へ走り、たいていはトボトボともとの隅っこに戻っていった。

朝のレース間隔は短い、ヨッちゃんも忙しい。あっちこっち走り廻っている。午前のレースが終わるころにはへとへとだ。
「ヨッちゃん、やきそばでもどうだ?」
勝っている常連の誰かから声がかかる。ヨッちゃんはニコニコと頷く。


ある日の午後、確か8Rか9Rが始まったあたり、場内がざわついた。警備員が何人か駆けていく。

ヨッちゃんが小さくなって蹲っていたそうだ。僕はみていないが、例のトシユキ君や常連の誰かから聞いた。
誰かになにかをされたのか、病気を持っていたのか、救急車が連れ去っていったそうだ。

ヨッちゃんがどうなったのかはわからない。とにかく、二度と場で見かけることは無かった。


ヨッちゃんはどう思っていたのだろう。
顔見知りの誰からも蔑まれ、施され、そしてニコニコしていたその裏側で、もしかしたら僕たちを軽蔑していたのかもしれない。憎悪していたのかもしれない。

今となっては確かめようもないが、なにかの時、あの屈託の無い笑顔を思い出す、



幸せはあったのかなぁ・・




(了)






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