よし、ボートだ!第3話

その年も終わろうとしていた。

考えてもみたら、マキオさんと再会して僅か一年しか経っていなかった。
驚愕した。
あまりにも濃厚で強烈な毎日が続いていたので、何年も経っているような錯覺を覚えていた。

僕たちのホームは、3場。あと車でなければ厳しい2場も、開催次第ではよく詰めた。
この5場を知り尽くしていたとは言えないし、各支部に所属する選手を完璧に熟知していたわけでもない。とにかく情報をかき集め、整理し、検証することを繰り返す日々だった。
少なくとも僕にとっては、その毎日の努力が自信になっていったと思う。
そしてマキオさんもその道のずっと先を歩いていると信じていた。

さて、さすがに母親にこの有様を伝えなければいけなくなった。親一人子一人の田舎暮しの中、息子を都会の大学にまで行かせてくれた立派な母親は、なんとなくだが不穏なモノを感じているようだった。
実際、親不孝だよなぁ。
カタギとは言えない毎日をどう説明しようか思案に暮れた。

21日から2泊で里帰りすることにした。とりあえず元気な顔を見せて、今回はそれで済まそうと考えていた。うまく説明できるわけがない、どう胡麻化すかしか考えていなかった。

一目で正体を暴かれた息子は、親戚筋にも囲まれそのまま田舎で年を越した。軟禁、だ。
悪い友達はどこに居る、呼べ連れてこいと責められたが勿論口は割らない。どうにか人目を盗んで4日目あたりに電話ができた。そして何度か目に受話器があがった。
「わかった。じゃぁまぁ、ゆっくりしてこいよ。お袋さんを変に騙すなよ。」

大学に籍があること、それなりに単位は取ってあるから来年には卒業できる(はずである)こと、もちろん就職活動はちゃんとすること、などなど。
全部、嘘じゃない、「本当にする」ことができる。

1月5日にやっと開放された。急いで街に戻った。マキオさんは大笑いで迎えてくれた。
「お前、案外箱入りだったんだな。」


「どうだ、面白いか?」
楽しんだことなんか、無いっすよ。
「まぁ負けるわけにはいかないからな。大丈夫か?」

「いや、まぁいい・・」
いつもの様に街に出て夕飯をとっている時、マキオさんはそんなようなことを聴いた。初めてのことだったのに、はっきり思い出せない。

「俺も里心がついたよ。ちょっと帰ってくるわ。」

マキオさんは夜行寝台で帰ると言う。駅まで荷物持ちを兼ねて、見送りに行った。
「2,3日で戻ってくる。しっかり稼いでおけよ。」
そう言って、改札をくぐり様「くま、ありがとな。」と振り返り、ニヤッと笑ってホームへと消えていった。

それで、お終いだった。

マキオさんは消えてしまった。帰ってこなかった。どこへ行ってしまったのかわからない。せめて故郷の住所ぐらい、電話ぐらい聞いておけばよかったが後の祭りだった。
今なら携帯やsnsやいくらでも追いかける方法もあるが、当時はそんなものは一つもない、多分ポケベルも無かった。考えてみれば、世界は平和で優しかった。

僕は突然なんというか、自由になった。

ちょっと恨んで、ちょっと泣いた。
しばらく呆然としていたが、決断しなければいけなくなった。

そして僕は大学へ戻った。残りの単位を取り、それなりに就職活動し、内定を貰った。
通帳には確か400万円ぐらいの残高があったが、たった一人で切り開く博徒人生のテラ銭として見れば、はなはだ心許なかった、つまり大人しく「降りた」のだ。


記憶を辿って思う。
マキオさんはあのとき、僕を当たり前の世界へ還そうとしてくれたんだ。
ありがとう。

「バカ、お前がジャマになったんだよ。」
ニヤッと笑ってそんな台詞を吐き捨てるだろうか。


そして「競艇」は生涯の趣味になった。



(了)



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