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おきなわまでの道のり。

今回ツールド沖縄に初めて出場しました。そこまでの軽い薄い道のりを反省しようと思い書き記します。

沖縄出場への気持ち。
本当は9月中旬のツールド北海道国際レース(以降TDH)で一旦自転車は落ち着かせようと思っていました。
そこで最高のパフォーマンスをできるようにとトレーニングレースとして出場したニセコヒルクライム。ここでは絶対に勝てると言う自信があったのですが師匠の木村さんに粘り負けして面白さと情熱が湧いてきて沖縄でリベンジしようと沖縄にエントリー。

ニセコヒルクライムのゴールスプリントで師匠に負ける。

と、突発的な情熱はTDH後一気に無くなりおよそ1ヶ月自転車に乗らない期間ができてしまった。ようやくアマチュアとしての雰囲気がわかってきたところからのプロのレースで完全に気持ちが参ってしまった。ハタチのメンタルは不安定。

ツールド北海道国際レース

こういうときいつも木村さんは僕のことを気にかけてくれる。ジャパンカップに誘ってもらった。正直モチベーションはなかったが引っ張り回されることで何かチャンスが舞い込んでくるかもしれないと少しの希望を持ちエントリー。レースとしては意外に身体は走れてアマチュアの雰囲気に落ち着きまたやる気が戻ってきた。

ジャパンカップ

沖縄2週間前の悲劇。
流行りの病、コロナウイルスに感染してしまった。発熱がひどく1度目のPCR検査では陰性で解熱剤をもらい飲んだが次の日も40℃を下回らない高熱。もう一度検査してもらう。また陰性。他の原因を探そうと札幌から地元の伊達に帰ってきて母親の勤務するクリニックで採血などをし念のためもう一度検査PCR。陽性が出てしまった。
正直この時点で沖縄は行けないと思った。しかし今の療養期間は発症から1週間と知る。1週間ひたすら寝込み首を痛める。

復帰後は木村さんに引きずられながら練習再開するも寒さと体力低下により途中で帰る。ごめんなさい。
次の日は200キロ行くとの事でなんとかツキイチでやり遂げる。これが自信となった。
ここからレースまでちょうど1週間前となる。ここからは木村さんはピーキングに入るとの事でしたが僕はひたすらズイフトで25度の暖房直下のなかズイフトで15分走をひたすらする。少しでも戻れ。

レース3日前の木曜日ににズイフトでFTPテストを実施。291Wとベストから30wも低い値。これに絶望せず受け止めレースで出せるパワーの基準にする。アセアセ。

レース3日前に普通はやらないらしい。

レース前日。
レース前日の土曜日に北海道から直行便の飛行機で行き、リムジンバスで移動し18時にかりゆしビーチリゾートに到着。そこから大雨の中実走で受付に行き完璧にしてきたバイクはぐちゃぐちゃに。絶望。フィニッシュラインのセラミックウエットルブを何度も塗っては拭き取りでなんとかリカバリー。

レース当日。
この日も朝から雨。実走でスタートまで行く。結局バイクはぐちゃぐちゃに。絶望。でも1番不安だった気温は雨のおかげで解決された。
北海道との気温差は20度以上、補給のミスで全てが変わると思っていた。もともと暑さに弱くどのレースでも水不足などで後半垂れている、ペットボトルの補給なども不安だったのでローラー上だがイメージトレーニングをし練習を繰り返してきた。補給所の距離やグリーンゾーンの距離などを紙に書きステムに付けておいたが雨で滲んで見えなくなっていた。絶望。

滲む前。
スタート前。

レース。
序盤の80キロはほぼ平坦でそこから登りが厳しくなるので前に出て注目されたい気持ち(ハタチの若さ)を抑えて真ん中くらいでひたすら固形物を食べながらやり過ごす。
ペットボトル補給もイメージトレーニング通りうまくボトルに移し替えることができ安心。
ですがトイレが近い。垂れ流そうか迷った時トイレ休憩があった。2回もあった。とても助かった。ありがとうございます。木村さんが邪魔してきて手にかかったのは許せない。バチ当たるぞ(不謹慎)

取った瞬間中身が飛び出し焦った瞬間を捉えた奇跡の一枚

初めて走るコースにマップも入れれなかったためどこを走っているのかわからず距離とパワーと睨めっこしながら進む。なかなか下りが怖い。登りでダンシングするだけでリアホイールがスリップするほどの路面なのに高岡さんが逃げている事からみんなすごい攻めていく。怖いと思っていると目の前で落車発生。目の前で木村さんがガードレースに吸い込まれていくのを見ながら神がかった冷静さを発揮しバイクを倒さないようホイールがロックしないよう、減速しすぎて後ろから突っ込まれないようにと一瞬でものすごい判断力が発揮された。お母さんが毎日神社にお祈りしているみたいだがここで効果を発揮してきた。本当にありがとう。
そこからは追走のローテもグダグダで2位争いの雰囲気を感じる。
現れる登りほとんどでペースアップがあるが登り切りから下にかけて一気にペースが落ちる。余計なペースのアップダウンで脚を使え無いので自分のペースでゆっくり登り、下で追いつくを3回ほど繰り返す。
羽地ダムでは本格的なペースアップで完全にちぎれ、後は破断しないように淡々と帰る。
すると登り切り付近で途中でチェーントラブルで遅れた井上選手が猛スピードで上がってきてそれに便乗し2人で帰ってくる。勝手に着いて、いないと思われていると衝突などのトラブルがあると思い声をかけるもクールに流される。(恥ずかしい)最後12位争いのスプリントでは僕が先行でスプリント開始。レースでのスプリント経験がなかったので早くかけすぎて呆気なくやられた。シンプルに悔しくて頭を抱えレースが終わった。

最後に。
今回初出場で13位と言うととても頑張ったように思える順位ですがそもそもエントリー峠で出れなかった有力選手や落車に巻き込まれた選手などでたまたま13位になったと言うのが正しくて、本当に運が良かったと思います。そんな反面しっかりとトレーニングを積んでコロナ対策を徹底し順調にここまで来れていればもっと高いところを目指せたのかもしれないと悔しく思うところもあります。
石井選手のように暴れ回る走りが好きなので、今回の自分の消極的な走りで13位は満足いっていない。
高岡さんとの差は今は大きいですが追いつけないとは全く思っていないのでどんな歩幅であれステップアップしていきたいと思います。覚悟しておいてください。

レースに携わってくれた関係者の皆様、レースを一緒に走った選手の皆様、本当にありがとうございました。また来シーズンお会いできる事を楽しみにしています!

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