『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』 – 長崎そよが作る居場所への希求の力場

※『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』についてネタバレありの記事です。ご注意ください。

 『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』7話でCRYCHICの曲であった「春日影」を、燈たちの新バンド(後にMyGO!!!!!と名付けられる)が演奏する。それを客席で聴いたCRYCHICの発起人・豊川祥子は、涙を流しながら走り去ってしまう。その姿を目の当たりにした長崎そよは、バンドのまとめ役の穏やかなお姉さんのような人となりから一変して、「なんで春日影やったの!」と声を荒げる。この後の8話で長崎そよのCRYCHIC再結集への執念が描かれ、そして9話ではその執念の源流にある彼女の生い立ちが明かされる。
 本記事では、そんな長崎そよの不器用な人となりを読み解いていく。そしてそのようなそよの不器用なあり方こそが、MyGO!!!!!というバンドの結成に寄与したということを論じていく。

 ライブの後に怒りをあらわにしたそよは、学校を休んでバンドとの連絡も絶ってしまう。
 「春日影」の演奏で豊川祥子を傷つけてしまい、CRYCHICの再結集から遠のいてしまったと思ってショックを受けたのだろう。そよは祥子に謝りたいと思い、その気持ちが高じてSNSで大量のメッセージを送りつけるという過剰な行動をしてしまう。また祥子に会うために若葉睦を利用しようとして、「睦ちゃんのせいだよ」と罪悪感につけ込むような発言もする。そして祥子に対面すると、「春日影」を演奏したことについて弁明する。弁明してはいるが、祥子の話を聞くこともなく一方的に言い連ねて、「祥ちゃんのこと傷つけたよね」と自分の気持ちを祥子と同一視するような話しぶりをしている。相手のことが見えていない話し方だ。
 祥子はそよからの謝罪とCRYCHIC再結集の提案をはねつけて立ち去ろうとする。そんな祥子に対して、そよは引き留めて祥子の手にすがって「祥ちゃんたちがいないと私…」「どうしたら戻れるの?私にできることなら何でもするから」と涙ながらに懇願する。

 8話で描かれたそよの人物像は、祥子やCRYCHICに強く依存していて、CRYCHIC再結集のために過剰に献身しようとするというものだ。他者への依存や過剰な献身というのは、アダルトチルドレンに近い特徴といえる。
 さらに9話ではそよの今までの生い立ちが描かれ、親が離婚したことや、ひとり親になった母と一緒にいられる時間が少ないためにそよが孤独を感じている様子が描かれる。そよは孤独を抱えつつも家事をこなして、多忙な母を支える。母から頼りにされたそよは世話焼きの役割を引き受けるようになり、学校でもそのように振る舞うようになる。過度な世話焼きといいうのも、ケアテイカーというアダルトチルドレンに近い特徴だ。

 そよは両親の離婚によって居場所の喪失を経験し、また母と一緒にいる時間が少ないことから孤独を感じて過ごしてきた。そのような経歴から、過剰に依存や世話焼きをするような人格が形成されたものと思われる。
 (ただし実際のアダルトチルドレンはアルコール依存症や虐待をする親のもとで育った子であり、また大人になってからも生きづらさを引きずる人のことなので、そよを本物のアダルトチルドレンと見なすのは不適当と思われる。あくまでそれに近い特徴を持っているだけであって、そよは学校生活もバンド活動も最終的にはやりおおせてしまうのだから、彼女の特徴を病理に回収するのはそぐわないだろう。)

 9話冒頭では、CRYCHICの解散という居場所の喪失を受け入れられないそよの姿が描かれる。
 そよはCRYCHIC結成時に祥子が言った「運命共同体」という言葉に感化され、両親の離婚以来彼女が求めていた壊れることのない居場所を、CRYCHICに見出したのだろう。
 しかしCRYCHICだけを居場所と見なすそよの認識は、いささか極端といえる。
 そよの母は確かに仕事で忙しく家にいることは少ないが、そよのことをよく想って愛情を注いでいる。そよの家庭は決して機能不全というわけではない。それに学校のクラスや吹奏楽部でも、そよは慕われ頼られている。
家でも学校でも、周囲の人々はそよを受け入れている。あとはそよが献身してばかりではなく、少しでも本音を言ったり他人に甘えたりできれば、バランスのとれた健全なコミュニケーションが成立する。そうできれば家や学校はそよにとって安心できる居場所になるはずである。
 しかしそよの認識ではCRYCHICだけが彼女の居場所であり、家や学校をそのように見なすことはできない。そよは自らの認識によって、自らを居場所の獲得から遠ざけているといえる。

 このようなそよのあり方は歪だとも言えるだろう。しかし他者との絆を求める心というものは、程度の差はあれ合理的でなく独りよがりなものだ。そしてそのような居場所を強く希求するあり方がバンドメンバーの結集を招いたとしたら、それは認識の偏りではなく強い意志と見なされるべきだろう。
 すなわち10話の高松燈の行動によって、そよのあり方は強い意志へと解釈し直される。
 燈はライブ会場の客席に来たそよの手を引いてステージに連れていく。そして「詩超絆」の歌詞で「ゆるされるなら僕はあきらめたくない」「こんなふうに離れたくなかった」「一緒に泣きたいよ 一緒に笑いたいよ」という言葉をそよに伝える。

 そよは祥子の手を引いて繋ぎとめようとしたが叶わなかった。CRYCHICのメンバーと離れたくなくて、再結集を諦められずに奔走したが、その奮闘は挫折に終わった。しかし燈がそよの気持ちに共感して、そよに行動と歌詞で返してくれたのだ。そよ自身の行動と願いは報われなかったが、燈がそれを継承したことによって、MyGO!!!!!という新バンドの結成に至った。
 離れたくないというそよの願いは、形は変えつつも燈に受け継がれて消えることはなかった。まるでそよの願いをきっかけに居場所を希求する力場が形成されて、その引力を担う者が変わりつつも維持され、それに引き寄せられてバンドメンバーが結集したかのようである。

 さらにそよの行動について振り返ると、そよは8話で本心を表すよりも前から、ずっとバンドにおいてメンバーどうしや場を取り持つ役割を果たしていた。
 普段から当たり障りのない発言をして、対立しやすい立希と愛音の間を緩衝してきた。5話で楽奈が練習に闖入してきたときも、楽奈の話を聞いて場を取り持っていた。
 特に象徴的だったのは7話のライブでのMCだ。燈がノートを置き忘れたり愛音が弾き始めでミスを連発したりする中で、そよはMCをして場を取り持つ。楽奈への質問で時間稼ぎしようとするが、「楽奈ちゃんっていくつからギターやってるの?」「覚えてない」といった上滑りした受け応えになってしまう。

 そよの普段の会話は表面的でその場しのぎのような感じだし、MCでの場つなぎも不格好のものだった。しかしそれによってメンバーどうしのやりとりが破綻せず、ライブを最後まで続けられたのも確かなのである。
 いかに不格好であろうと、そよはバンドが瓦解せずに形を保つことに貢献している。そして本願だったCRYCHICの再結集からは逸れつつも、彼女の行動は結果としてMyGO!!!!!という新たなバンドの結集に寄与することになるのだ。

 このようなCRYCHIC時代からMyGO!!!!!結成までのそよの一連の言動を、12話のライブのMCで燈は「バンドのことずっと大事に思ってくれていて」と解釈する。

 MyGO!!!!!の結成が叶い、そこにそよの願いと行動が寄与する結果となった今、そよはCRYCHICだけでなくそこから続く燈たちのバンドを大事に思っていたという解釈が成立する。そよのともすれば依存や執着ともいえる心のあり方は、バンド活動の中でのそよの奮闘と燈たちの受け取めによって、バンドを結集させる強い意志へと昇華したのである。

参考: ダイヤモンド・オンライン「毒親育ち、アダルトチルドレン…日本で急増する「生きづらさ」を感じる人の特徴」
https://diamond.jp/articles/-/276176

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