48日目

私ではない、という事実。私には出来ない、という事実。

あの人を幸せな気持ちに、楽しい気持ちになんて私には出来なくて、たいして気の利いた言葉も暗闇に差し出す腕も持っていなくて、だからせめてあの人の周りには素晴らしい人が集まってあの人の心を羽毛で包んでいてほしい、他力本願だな

いつもよくしてくれている人、死ぬ時は世の中や人生を恨んで苦しみの末死ぬんじゃなくて僅かでも穏やかさと幸福さを称えて死んでほしいと思う。その平穏の構成要素に私が入るはずもないんだけど、せめてずっとずっともがき苦しんできたのが最後くらい力を緩めても大丈夫であってほしい

もし死ねたらあの人は現世あの人を苦しめてきた全てから解放されて幸せになれるのだとしたら死ねたらいいけれどそれが確約されていなくて死後明転か暗転かわからないからどちらを薦めるなど出来ないどちらも喜べないしどちらも否定出来ない

どうせきっとここまで追いかけてくるほど私にネトストしてないし好き勝手言ってる。見たらなんて思うか予想つかない、見てるなら言ってほしい、お前が死ねふざけんなってキレてくれたら良い。


水彩絵具で滲ませて描いた“明日ママに内緒で出かけてくるの”で始める日常に蹲る私と、井の外に出て荒波と流木に自らの原型も手放しそうになりながら必死に泳ぐ彼女では、どうしたって噛み合わないでしょう。家を出なくても済むレベルだった、家を出られる才能と努力があった、羨ましいとは何方の台詞?

知り合いは死の淵を歩いているかもしれないと言うのに私は死ぬほど寝ていてすごい皮肉だな


すごく仲良くしてくれているあの子が死んだら、もう私の人生にはなんの価値もなく、感情を持つ必要もなく、至極どうでも良いものになる。だからといって、あの子の人生を生きている訳でも全く同じ経験をし同じように感じ考え苦しんだ訳でもない、それはそれは遠く隔てたところにいる自分が、死なないでくれ生きてくれと言える資格はない。それは相手に地獄を強要することを意味してしまう可能性が十分にあって、地獄から抜け出す手助けができるならばまた話は違うかもしれないが、そうは都合が良いわけはなく。こちらとしては、やはりあの子が少しでも安心していること、苦しまずに済むようにいられることが何物にも変え難い望みなのだから、それを叶えられる方法が死であるのだとすれば、その決断を否定することは恐らく出来ないだろう。地獄であっても生きてほしいなどとは微塵も思っていないのだ。苦しまずにいられるのならば、それがどんな結果であっても方法であっても、そのようにしていてほしいと思う。

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