櫻坂46展「新せ界」で感じたことあれこれ(盛大なネタバレあり)
新せ界に行ってきました
コロナで寝込みながらスタオバのMVについて勝手な妄想を垂れ流してから数週間、ようやく体調が戻ってきたので、念願だった新せ界に行きました。色々と感じたこと、考えたことがあり、「この先記事を書くことはないと思う」と言っていたくせに手のひら返しで感想を書いている次第です。特に新シングルの発表や展示入れ替えのお知らせで考えがアップデートされました。
なお、思いっきり展示内容のネタバレに触れてしまっているのでご注意ください。
これから行く人への見方のコツ(ネタバレしない範囲)
まだ見てないという皆さんに向けての予習事項は
・展示とショップを合わせて一時間半~二時間くらい
・展示の大半はショップで販売されている図録で買える
・図録にない展示を見逃さないことが重要
・展示周辺の床に欅坂時代の資料が多数
・双眼鏡はそこまで役立つわけではないけど、あって損はない
というところでしょうか。特に図録の存在は大きいです。文字が小さかったり、壁の上の方まで貼られたりして見えにくいものも、あとでゆっくり見返せます。
また床に無造作に転がっている資料は床に這いつくばる覚悟で見ましょう。恥じらいは捨てるべし。これらは図録に一切入っていません。
MV、ジャケ写、演出コメントなどの感想(ここから盛大ネタバレ)
ここからは思いっきり展示内容に触れつつ、特に自分が興味を持っていたMVとジャケ写などの感想です。
まず、最も楽しみにしていた「Start over!」のMV資料。なんと、何もありませんでした。時期的に間に合わなかった可能性大です。自称ヒデジン監督のTO、無念。と思ったら、なんと9/16から展示の入れ替えでMVコーナーに2曲追加とのこと。絶対スタオバ入るやん。行くわ。
なぜ恋MV絵コンテでの発見
スタオバがなかった代わりに、もう一つの代表作である「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」(なぜ恋)のMV絵コンテがたっぷり展示されていました。最初に引き込まれた櫻坂曲だったので、とてもありがたかったです。
なぜ恋MVの魅力といえば、やはりロケ地のらせん階段をフル活用した独創的なカメラワークでしょう。とりわけ、カメラの画面の対角線いっぱいに階段を配置した構図は非常にダイナミックで目を引きました。
ところが展示されている絵コンテを見て驚きました。階段が対角線上に配置されたカットがほとんど書かれていなかったのです。どちらかというと、手前から奥に向かって階段が置かれ、奥行きを感じさせる構図が目立ちました。映画でいえば、アルフレッド・ヒッチコック監督の「汚名」に出てくる屋敷の階段のイメージです。
これはあくまで推測ですが、実際にロケ地に足を運んで撮影し始めた時点で、階段がちょうど対角線に配置されることが分かったのではないかと思います。それを受けて、奥行きだけでなく上下の動きもふんだんに取り入れた映像が出来上がったのではないか…と妄想しました。これが「流れ弾」「摩擦係数」などを手掛けている池田一真監督だったら、もっとワイドな画面を好むのでピタリとはまらなかったかもしれません。
そういえば、同じくヒッチコックの「めまい」は吹き抜けの階段を真上からとらえたカット(めまいショット)で有名ですが、なぜ恋はこれら2つの映画をオマージュしていたのか?とふと気づきました。ヒデジン監督ならやりそう。
TAKAHIROメモからうかがい知れる「流れ弾」のライブでの立ち位置
図録に入らなかった資料の一つが、ライブの際に振付師のTAKAHIROさんが走り書きしていた演出メモです。正直ほとんど解読できなかったので、頭に残っているごく一部を切り取っただけかもしれませんが、なんとなく「流れ弾」へのコメントが多かったように思いました。
アンジュルムが歌っていても違和感のない(いい意味で)暑苦しい曲調に、巨大な絵画や大量の花びらなど強烈な視覚イメージのMVで人気も高い定番曲です。ただ、実はライブで演奏するときに意外と扱いの難しい曲ではないか?という気持ちを個人的に抱いていました。
この曲のリズム隊のアレンジの特徴として、ドラムのスピードが最後までほぼ一定なことがあげられます。ちょっと民族音楽っぽさを感じさせる独特のサウンドで、アンジュルムの「大器晩成」にも通じるグルーヴ感があるのですが、逆に言うと一気に加速するところが見当たらない、ライブでここぞ!というタイミングで煽りにくいとも言えます。声出しが許されない情勢下で長くライブをせざるを得なかったグループにとっては、この一定スピードのリズムが一層もどかしくなるように思えます。音に頼らずにいかに観客を巻き込むか、という思考錯誤が見られたようにTAKAHIROメモから感じました。
(ちょうどCrahsさんの楽曲解説でも「フィルインがない」と言及されていました。決してネガティブな意味ではなく、フィルインに頼らずにこれだけドライブさせられるのはすごい、という文脈で、私も同意するところです)
ジャケ写アートワークで強調される数々のコンセプト
MVと並ぶメインのコーナーが歴代シングルおよびアルバムのジャケ写アートワークでした。企画書段階の資料から並んでおり、なるほどアート作品の企画プレゼンはこういう作り方をするのか…と異文化の勉強になりました(当方バリバリの理系職種)。
とりわけ「五月雨よ」までのシングル4枚とアルバム「As you know?」を手掛けたOSRINさんの企画書(コンセプトシート)では、一つ一つに強いテーマやメッセージが表明されていました。「集合美」「開拓」「革命」などなど。写真や絵画に疎く、この手のセンスが全くない自分には目から鱗の連続でした。
驚きだったのがデビュー曲「Nobody's fault」のジャケ写案に赤文字で追加されていたコメントです。図録のページから見切れてしまっているので、現地で要チェックなのですが、「1人対複数の構図は二人セゾンMVの冒頭とかぶるので避ける」というものでした。
欅坂時代の作品は、ジャケ写・MVともに【1対複数】の構図が非常に多く、歌詞もことさらに孤独を強調したものが多かったです。改名後も基本的な雰囲気は引き継がれていたように思いましたが、OSRINさんの中では早い段階からイメージの転換が図られていたと思われます。このシングルの大きなテーマとして「異質な集合美」を掲げていることも大きな転換に思えます。
順序が戻ってしまいますが、「夏の近道」MVの企画書でも加藤ヒデジン監督による孤独の解釈が表明されていました。ざっくりまとめると「孤独でいるからこそ内面が醸成されて個性が生まれる」というもの。一見するとセンターの谷口さんの周囲にメンバーが集まって明るくなっていくシンプルな構図でしたが、それよりも一段深いメッセージがありました。最後に一人だけ残るシーンは何だろうと思っていましたが、そこまで当時読み取れず。
OSRINさん、ヒデジン監督とも、欅坂時代のコンセプトを改名や新メンバーに合わせてアップデートさせ、新しいグループ像を見出そうとしていたことがうかがえました。ただ、ここが私にとっての引っかかりポイントでもありました。
いったい誰が始めた物語なんだろう?
MV、ジャケ写、衣装、振り付けや演出と、多くの才能豊かかつ個性豊かなクリエイターの方々がこだわりを持って作り上げてきたことが会場全体から伝わります。一方で、「これらの要素が音楽(端的に言えば歌詞)を介して必ずしもリンクしてなくない?」という疑問が浮かぶのも事実です。
ジャケ写段階からイメージの転換を図っているにしては反抗期ムーブ全開な歌詞と険しい表情の「Nobody's fault」。芸術性をどんどん高めようとする一方でSNS社会の皮肉が歌われる「BAN」「流れ弾」と、欅坂時代から変わらず狂気的に激しい、また1対複数が目立つ振り付け。色々な思想が乱立しすぎていて、展示内容を飲み込めば飲み込むほど、演者であるメンバーがどれに軸を置けばいいのか分からない、消化しきれない状況になっているように思えてきました。
さらに、多くのコンセプトやモチーフを外から見ているファンたちの間でも「世界観」「表現力」「メッセージ性」「ストーリー」「振れ幅」といった言葉が膨れ上がり、何だか実体のない大きすぎる荷物・物語としてメンバーたちにのしかかっているようにも感じます。そもそもアイドル自体が偶像なので、そんなに実体を求めるなというのも事実かもしれませんが…。
個々の作品は面白いし、無難にまとめるより尖っていたほうがずっといいと思うのですが、一杯尖ったものがあるからにはそれらをまとめる何かが必要じゃないのか?それがトータルプロデュースに求められる役割ではないか?と思うのです。おそらく、最初は秋元康さんがその立場にいたのだと思いますが、今の秋元さんは作詞家の立場に専念しているように感じます(2021年のNHKラジオ「乃木坂三昧」でも、「運営の大半は任せている」と語っていました)。とすると今はソニーミュージックの今野義雄さんがその立場にいるのでしょうか。
この「いろいろ盛り込んでるけど軸が見えてこない問題」は昨年の東京ドームライブ(現時点で私が現地参加した唯一のライブ)でも現れていたように感じます。2 daysの1日目公演で声出し禁止、しかも周囲で最初から最後まで誰も立たないという衝撃の地蔵、いや寺院エリア(まじであれは何だったのか)にいたのも間違いなく大きな原因ですが、趣向を凝らした演出が盛りだくさんの割に、ドーム全体を巻き込むグルーヴ感が起きない不完全燃焼な雰囲気があり、メンバーたちも観客の煽りに苦労している印象を受けました。最初もペンラは振ったほうが良くなかった?
2023年以降の楽曲に見られた方向性の転換
偉そうなことを勝手に言ってしまった一方、今年に入ってからのジャケ写で変化が見えたのも事実。「桜月」のAkihiro Yasudaさん、「Start over!」のクドウナオヤさんによるプレゼンでは、「視覚で音を感じる」「櫻坂46というフィルターを通して日本を発信する」など、心理や情景の描写に寄った従来のコンセプトとは異なり、技術面に近い、いわば外向きのコンセプトが大きなウェイトを占めているように感じました。
じゃあ、肝心の中身はどこにあるのかというと、たぶん明確にメッセージとして固めることはしていないんだと思います。スタオバのCMでは「どこからきてどこへ行くのか、そんなことはどうだっていい」とのめちゃくちゃ思い切ったナレーション。
もちろん歌詞にはメッセージがありますし、カップリング曲だと「静寂の暴力」なんかはゴリゴリの内面強調ソングですが、表題アートワーク段階での見せ方が変わったことはライブの演出とも関係していそうです。実際見たわけではないので憶測ですが、メンバーへのインタビュー記事でも「演出がシンプルになってメンバー自身がパフォーマンスで世界観を出せるようになった」と書かれています。
曲の内面をガチガチに固めることはせず、一定程度メンバーに発想をゆだねる段階に移ったと考えてよさそうです。決してOSRINさんが手がけた従来のアートワークを批判する意図はなく、デビュー初期には強いディレクションがあってしかるべきと思います。そこから時間と経験を重ねることで、メンバーと観客の間でイメージの共有や消化が自発的におこるようになれば、また過去の曲たちも新しい見せ方ができれば、皆がハッピーになれると考えています。総じていい方向に進んでいるのではないでしょうか。そして、「Start over!」はまさに個々の要素が見事に結びついて大当たりした例だと思います。
そんな矢先に発表された最新シングルの曲名は「承認欲求」。曲名だけ見ればゴリゴリのSNS皮肉ソングか孤独かきむしりソングになりそうですが、果たしてほかのアートワークと噛み合ってくれるのか。正直不安が大きいです。人間インストールの「またそれかい!」になりませんように。
メンバーの言葉から見えてきた目標
展示の最後にはメンバー自身が目指す目標が一言ずつ書かれています。これを持ってきたのも、前述の方向性転換と同じアプローチと考えてよいでしょう。個性豊かで面白いですが、中でも目を引いたのが田村さんの「フェスのようなアウェーの場でもっと戦いたい」という言葉でした。
昨年のドームライブで消化不良な印象を受けて以降、グループがもっと魅力的になるには、余計な演出をつけない長期の全国ホールツアー、あるいは同じ会場で長期間ライブを続けるレジデンシー公演を行うべきではないかと考えていました。
形は違いますが、ロックフェスはステージ設営や音響が単独公演ほど最適化されておらず、客層もファンでない人を多く含むため、純粋な演者の魅力を磨くには適している場だと思います。メンバー自身からそのアイディアが出ているのは非常に良い兆候だと思いました(評論家みたいに上から目線ですみません…)。そして実際、今年は国内外の多くのイベントやフェスで公演を続けており、ハードなスケジュールが心配な半面、大きな成長が得られたのではないかと思っています。
目指そうぜ、B'z
私は人生の半分以上をB'zファンとして過ごしています。今月日産スタジアムにて行われた35周年ライブ「Pleasure 2023 STARS」は、シンプルながら圧倒的な財力を感じさせる豪華なライティングと大型スクリーンのステージに、B'zとファンを繋ぐ35年間の歴史を感じさせる映像、そして泣く子も黙る圧倒的な歌唱と演奏で終始興奮と感動を呼んでくれる、あまりにも素晴らしくて最高なものでした。ゴチャゴチャしたストーリーなんかいらん、俺たちの過ごした日々こそが最高の物語なんだと。We're all stars。「STARS」大したことない曲だと思ってごめんなさい。スタジアムの光景に感激でした。
日本の音楽界の頂点に君臨する最強バンドと比べるのが無謀であることを承知のうえでいえば、やっぱり目指すべき姿ってこれですよね。曲とパフォーマンスがかっこよくて楽しくて、見ているだけで身体が乗ってきて動き出して、全然知らない周りの人たちとも一体になってしまう心底やべえやつら。
もちろん櫻坂さんも今でも多くの人々にとってそんな存在ですが、きっともっとやれる!そのために是非ともやってほしいのがB'zとの対バンライブですよ!B'z presents UNITE #02があったら組んでほしい。B'zの凄さを間近で吸収してビッグになってほしい。でもB'zの相手として#01のミスチルGLAYに櫻坂が続くのは99.9%無理。せめて今年の紅白に両者出てください。
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