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「一人でいられる自由」が、貧弱なパラダイスだったことに気づく。


一人でいるのが当たり前でした。

静かなところで
ゆっくりするのが好きだし、

自分の思い通りの
タイミングで
ムダなお金も気づかいもなく
行動できるので、

そんな素晴らしい自由を
満喫できるあたしの人生、
サイコー!!! って思ってました。

でもそれは、「貧弱なパラダイス」
だったことに気づいたんです。


帰宅して玄関を閉め、
一人になった瞬間
「ようやく逃げてこれた」と
ホッとするくらい、
一人になりたいタイプです。

なにかの拍子に
人とつながっても、
「関わり続ける」という
機能がOFFになっているので、

通り過ぎていく他人……
としか思えない。

そんな、
自分の存在以外は希薄な感じが、
疲れやすいあたしにとっては
安心できる逃げ場でした。

ところが……!


終活や相続、遺品整理の
情報を得ていくにつれ、
せめて兄弟とは
連絡する関係を作っておかないと、

自分が死んだあとに
遺族に大迷惑をかける!!

と気づいたことが
キッカケとなり。

娑婆の風にも
交じるようになりました 😅


で、娑婆の視点から
自分を見ることができるようになり、
それによって
自分の守ってきた世界の
けっこうな狭さが
浮き彫りになり始めたんです。


なんでも自分でできるように! って
努力してきたはいいけど、

誰かに頼ったりつながったりが
ほっとんどないし、
できなそうなことは
やらなくても済んじゃうから。

経済力も経験値も行動範囲も
「単身でまかなえる程度」
収まってて、
それで困りはしなかったけど、

理想の裕福さも生き方も
いまだに手に入ってないことに
納得いかないなー? と
ずっと思ってはいたんですよね。


単独行動って摩擦が少ないぶん
軽やかに動けそうですけど、
「他人のため0%」だと
掛け算がきかない。

だから、
一馬力の収穫にしか
ならない
わけです。
どうがんばってもソコ止まり。


人間関係のもたらす喜びが
人を豊かにするのは
言うまでもないことだけど。

面倒くささや
勝手のきかなさっていう
不快な側面までもが、

その人の世界を広げる
重要な要素になってるんだなあ……
と、ようやく認めることが
できたのでした。




😊(心のブレーキや負担)を
物語のように読みとり、
悩みの解決や気づきをうながす
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