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全てに希望が見えない

星野源/Cube

自分の内に、自分では価値を見出せない。
だから、誰かに価値を見出してもらいたかった。

家族、恋人、友人、ネットの向こうの知らない人たち。
別に誰でも良かった。
明確に、誰かから必要とされたかった。
わかりやすく言えば、自分に需要が欲しかった。

結構たくさん考えた。
「アイデンティティのための恋愛」というものについて書いている論文を読んでみて、自分なりに考えた。
人生というものにおいて、自分がそうとう周回遅れであることがわかった。
いまからそれを縮める気力もない。

需要に成り代わるような価値が、自分の内にあると心のどこかで思ってしまっていた自分が嫌だ。
期待をするから落ち込む。

まずは、自分の内にある何かを価値として認めてくれて好いてくれるまだ見ぬ誰かに期待をしないことにした。
そして、自分に対する「内に価値がある」なんて期待はもっとしないことにした。
他人に期待しない。自分にもっと期待しない。それで良かった。

そこまで考えて悩みが晴れたのかというと、そんなことは全くなかった。

結局、「自分の価値を他者からの評価に頼るしかない」という振り出しに戻った。

「自分の価値なんて、自分が誇れることならなんでもいい」みたいに言うかもしれないが、日本じゃそれは無理だと思う。
理由は単純、「結果も出てないのに自惚れてやんの」って冷笑されるのが目に見えるから。

完全なる自家発電によって生み出した「自信」や「内にある価値」には、冷ややかな視線が注がれる。
「自分の価値を他者からの評価に頼」り、結果が出て初めて「自信」や「内の価値」を認めてもらえる。

じゃあ、苦手でも、周回遅れでも、価値を感じてくれる存在を作らなくてはいけない。
「これから先の人生における結婚願望があるか・ないか」という二義的な話ではなく、僕の場合は「できるならしたいけど、人生全般に対する諦めの方が圧倒的に勝っている」という状態である。

でも、「自分の価値を他者評価に頼る」のが一番安全で、冷笑もされなくて、自信になるよなと    思っていた。


でも少し前に「存在価値を他者からの需要に頼る方法」の究極系とその限界を思い知らされた。
無尽蔵の確固たる自己評価でないと、本当の意味での「自信」を身につけるのは無理なんだなと思い知らされた。
やめだやめだ。
たくさん考えたけど、全部やめだ。

家族と実家で暮らしていようが、恋人がいようが、ペットを飼っていようが、生まれただけで価値があろうが、どこの誰に必要とされてももう意味がない。

「どうしたら自信が持てるのか」「どうしたら自分の価値を見出せるのか」に対するオリジナルの解答はまだない。
でも、もう何も考えないでいたい。
思考先行で生きていても、答えが出る気が微塵もしない。
でも、それも無理な気がしてしまう。

どうしたらいいんですかねぇ〜。



今からバイトに行ってきます。
別に”俺”が必要とされているわけではないので、感情は無です。


#293  全てに希望が見えない


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