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『きみはだれかのどうでもいい人』

書店で伊藤朱里さんのこの著書を見かけた時、心を射抜かれました。今年買った本の中でも5本の指に入るくらい好きなタイトルで、前向きとも言い切れないし、ネガティブとも言い切れないのがとても好きでした。
「きみはだれかのどうでもいい人」。自分にとっての特別な存在も、”だれかのどうでもいい人”。
その”だれか”も、自分にとってはどうでもいい人。
その”だれか”からしてみれば、自分も”どうでもい人”。

ただ、誰しもが「誰かにとっては”特別な存在”である」という事実がそこには横たわる。
例えば誰かにとっての親で、誰かにとっての子供で、誰かにとっての友人で、誰かにとっての同僚で、誰かにとっての恋人で、という具合に。

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「他人の考えを慮る」という行為はしてしかるべき行為だと僕は思う。
バイト先に来るお客さんの中にも「なんか無愛想で嫌な感じの人だなぁ」という人はたくさんいる。
何曜日に行っても来るし、その度に態度に対してイラッとしてしまうけど、その感情を表に出してやるもんかと意地を張りたくなる。レジ台に半ば落とすように買物カゴを持ってくる人や、セルフで取るのビニール袋を毎回「袋くれ」と言ってくる人、袋菓子まで全部ポリ袋に入れて持ってくる人、絶対にタメ口をきいてくる人、セミセルフレジで2分くらいずっとちまちまやってる人、支払いのタイミングになってからポイントカードを探し始めたりスマホ決済のアプリを立ち上げ始める人。
「俺だったら絶対そんなことできないな」という案件でも、慮ることを忘れてはいけない。その人なりの背景や理由があってそうせざるを得ないんだろうなと一旦考える。買物カゴをレジに落とすように置いてくる人も、何か理由がある。敬語を使えない人にも理由がある。袋がセルフであることに一生気が付かない人にも理由がある。全てに理由があるからしょうがない。
お客さんが「はるか年下の大学生の店員に敬語を使うなんてプライドが許さない」とお考えなら、もうしょうがない。だって哀れだから。
多少見下しが入っていようとも、他者を尊重し多様性を認めるとはこういうことも包括していると思う。「理解はできないけど否定はしない」、の上でしか成り立たない。
他人を無理してでも慮るということをしていたら、一時期、"無愛想で嫌な感じの"お客さんに対して何の感情も湧かなくなった。
とある日のアルバイトで、"無愛想で嫌な感じの"お客さんがやたら多い日があり、馬鹿馬鹿しくなった。こっちの奉仕の気持ちも労わりの気持ちも、何も生み出してはくれない。別に誉められるわけでもない。
それ以降、"無愛想で嫌な感じの"お客さんにはマニュアルの「またお越しくださいませ」を言わない、みたいな姑息なことをして気を紛らわせたりしました。多少カゴへの商品の入れ方が汚くなってしまっても、そういうお客さんだったら別にことさらにそれを整えることもしなかったりした。
僕が思い浮かぶ"無愛想で嫌な感じの"お客さんに、とある老夫婦がいる。レジ前の一番邪魔な位置で毎回と言っていいほどカートを引いたまま立ち往生するので、正直迷惑でしかない。レジ前で邪魔しても平気な顔をしているその老夫婦に、感情を殺しきれずに自分の中で「丁寧」「きれい」とは言えないレジ打ちをしてしまった時、すごく気分が悪かった。「自分の祖父母が、店の店員にそういう対応をされてたら嫌だな」と。その老夫婦がお孫さんを連れているところを見たことがあることが、それを余計に加速させた。これは、レジ店員としてのプロ意識的なものがなかったこちらの負けでしかない。押し並べて丁寧で機械的で思いやりのある接客を絶対にするべきでした。
バイト先に来る人も誰かにとっての親で、誰かにとっての子供で、誰かにとっての友人で、誰かにとっての同僚で、誰かにとっての恋人かもしれないから。帰りを待つ人がいてもおかしくない。いなくなったら困る人がいるかもしれない。
どんな人だろうとそれを踏まえて接客をしなくてはならない。自分は、誰かにとっての”特別な存在”を蔑ろにしていいようなできた人間ではないのだから。お客さんにタメ口をきかれようが、無愛想な態度を取られようが、後列のお客さんに迷惑がかかっていて店員のこちが居た堪れなくても。

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『きみはだれかのどうでもいい人』の中で、突き刺さった一文がありました。

多少嫌なことをされても、みんな誰かの子供で誰かの親だと思えば水に流せるって。謎じゃないですか?だれかの子供で誰かの親やでもある人が他人にはどんな酷いこともできる、だからこそ怖いんじゃないですか。
小学館文庫, 伊藤朱里, きみはだれかのどうでもいい人, p357

これじゃん、と思いました。だからなんか怖くて、だからなんか嫌なんです。
ただそれでも僕は、他人の考えを慮ることを盾にした「若干の上から目線で許容する行為」は絶対にやめません。


#325  『きみはだれかのどうでもいい人』

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