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“卑屈”と“会話”

 本人には絶対に届かないので。



 俺はお前を追いかけている節がある。心から尊敬しているし、指針にしている節がある。だからお前とか言ってごめん。


 1月1日の1時ごろ。除夜の鐘が鳴り響く中、「2024年を味わおう」なんて言いながら散歩に繰り出した。紅白歌合戦の『星野源/生命体』を堪能しきった俺たちは颯爽と玄関を飛び出した。

 喋りながらも俺は「久しぶりに2人以上で散歩をしているなぁ」、とか思っていた。
 友人と知り合って七年が経とうかという今、こうして地元から離れた地の極寒の中で散歩していることがとても嬉しく感ぜられた。

 10km以上の道のりを歩きながら話した。お酒が入っていたのでアレだが、明確に覚えている会話が二つ。一つは「大学4年間どうだったよ」、もう一つが「去年1年間を二字熟語にすると何?」。

 “去年一年を二字熟語にすると”、自分は『会話』だなと思う。割と率直に、何も考えなくてもスッとその場で「会話だな〜….」と言えた。友人に「確かに“会話”の話をめちゃくちゃ聞いた気がする」と言われた。特にアルバイト先の人との会話について「どうするのが正解だったんかな、どうするのが普通だったんかな」とか話していたし、今現在も考えてるし、めちゃくちゃ言いたい。反省と、次の会話のこと。それしか考えてなかった。


 友人は"卑屈"だと言っていた。「自分は本を読んでるし、こんな音楽を聴いてるし、こんなふうに生きてる」と、他人に対して上位に立っている気分になってしまうし、それがわかっててもやめられないと言ってた。それを口に出せるところがあなたの良いところだと思う。心から信頼できる。
 正直自分も、”「自分は本を読んでるし、こんな音楽を聴いてるし、こんなふうに生きてる」を思ってしまっていて、それにも気づいていて、それでもなお思い続けてしまっている。読書なんて特にそう。
 去年は"会話"だと言ったけど、「何を話そうか考えてる」とか、「あれは言い方が良くなかった、ああ言えばよかったとか反省している」とか、「自分から話しかけるのって後輩からしてみたらどうなのかな、バイトの歴が長い方から話し始めた方がいいのかな、自分ならその方がありがたい気がするな、でもそれって自分のエゴでしかないな、後から入ってきてくれた人からしたらありがた迷惑だろうな、そもそも自分と話してても面白くないだろうな、みんな黙ってる方が面白いなとか思ってるんだろうな、じゃあ雑談するのやめるか、でも最近は後輩側から話題を振ってくれることも多いしな、でも気を遣われてんだろうな、時給が発生してるから自分なんかと雑談してくれてるんだろうな」とか、色々考えて自分は雑談してますけれども”と思っている。”異性と話したいからたくさん喋っている大学生”だなんて死んでも思われたくねえわと思いながら、男子が少なくて若干肩身の狭いバイト先で自分は雑談をし続けている。


 友人が"卑屈"といって喋ってくれた時、「自分もその節あるなぁ」と言うかどうかで迷って、ちょっとだけ喋った、というか喋れた。


 結局、会話中も終わってからも、ずっと反省している。2024年も"会話"の年だったら、それはもういよいよ諦めるしかないなと思います。


#397  “卑屈”と“会話”

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