雑記㉑「自分の視線に唾を吐け」

1.雑談バナシ⑦

 これはこの一年の成果報告と思っていただけたら幸いです。

 自分なりにバイト先の人との雑談で頑張ってはみたけど、コミュニケーション能力が身についた実感はない。大学での友人が増えていないこと、ゼミの人との親交もこれといって深まっていないことを鑑みればこれは明白でしかない。

 「一年経ってこれかよ」と思うとこの1年で無駄なことをした気しかしなくて、ずっともやもやしていた。

 この前、CreepyNutsとMy Hair is Badの対バンを見に行った。マイヘアの楽曲は普段の自分はあまり聞かない感じの詞ですが、改めて目の前で恋愛ソングを歌われるとそれはそれで刺さるものがあった。多分『卒業』を聴いている時、なんとなくコミュニケーションの話が全部スッと言語化されて腑に落ちた。
 コミュニケーションには「状況があるコミュニケーション」と「その状況を作るまでのコミュニケーション」の二つがある。
 友人・恋人作りという視点で言えば、前者は任意の人物と1対1で食事なりをするときの会話で必要になるコミュニケーション能力。後者は任意の人物を食事に誘うまでに必要になるコミュニケーション能力。
 どちらの方が人生を生きる中で必要不可欠かは明白で、絶対に後者だと思う。
 バイト先の人との雑談に話を戻すと、バイト先の人との会話で練習できていたのは前者の「状況があるコミュニケーション」で、会話をする口実・言い訳がそこにある。「先輩に話した方がいいって言われた」とか、「やることなくて沈黙するぐらいなら話す方がマシだ」とか「話さない方が逆に不自然だな」とか。でもそのコミュニケーション能力は今後あんま役に立たないと思うと無駄だったなと思わざるを得ない。

 この前、大学で「初対面同士の人の会話を撮らせてほしい」と言われて、10分くらいの雑談をした。この会話は上手くできたなと思ったけど、それは「状況があるコミュニケーション」だからでしかない。「研究のためにデータが欲しいです。だから喋ってください。まあ、初対面だけどね♪」という言い訳があるからできただけ。「バイト先の人と何喋ろう」で毎回考えてたことが再利用できただけ。


 意味のないかりそめのコミュニケーション能力しかこの1年で身につけられなかった。


2.人となり

 バイト先の後輩が「この前バイトが女子5人だけの日があってすごいワイワイ話して楽しかったんですよ〜」と言っていた。バイトリーダーをしている女子の先輩がちゃんとイニシアチブ取ってしっかり話しかけたりしてるんだろうなと思って「多分〇〇さんが主導権握って喋りかけてるんですよね?」と聞いてみたら「確かにそうかもしれないです話しかけてくれました」と。
 話の流れで「先輩は男子だけの日にみんなで話したりしてるんですか」と痛いところを突かれて「一対一はやってるにはやってるんですけど、それ以上の人数ではやれてないです」と答えた。「そんなことできる人間じゃない」とかもっと言いたいことはあったけど言語化できなくて言わなかった。

 女子の先輩はなんとなく人との距離を縮めることに長けている印象がある。後輩に対してフランクにタメ口で話しかけて、後輩も敬語が抜けている。その点自分は後輩に対して絶対敬語で話しかけ、それでいて後輩はいい感じに敬語が抜けていて個人的には心地いい。人と不必要に距離を詰めるのが自分は嫌なので、最低限保っていたいラインとして、自分は絶対敬語を使い続ける。そんな奴、話の中心で会話するのに向いているわけないけど、でも、先輩のようにする方がいいこともわかる。わかっていてもやっぱり自分にできるとは思えない。

 今思ったけど、みんなちゃんとLINE交換してるんだろうな。俺後輩の野郎たちとひとっつも交換してないしするあれもない。


3.矛盾

 人の言動や考えには矛盾しかない。考えてることと言ってることと行動し移すことに一貫性がないのはもうしょうがない。でも、一貫性がないことにめざとく気がついてしまうのも事実で、「なんだこいつ芯がねえな」と自分が思ってしまうのもまた事実。だからこそ、自分に一貫性がないのが嫌で、なんとかそれを避けてそれっぽい理屈を捏ねながらnoteを書いたりした。

 「恋愛のために頑張ってる自分」は見てられない。気持ちが悪い。だけど、この先死ぬまで、自分の人生に誰も受け入れることなくひ独り生涯を終える覚悟もやり遂げる自信もない。誰かの人生の大事な1ピースを踏み躙って、「自分の人生だもん」と開き直って生きていく自信も自分にはない。親族がいなくなった先の世の中で、誰のためにも生きない人生に精を出す自信もない。「結婚するってやっぱりいいなあ」と思うことも「結婚って大変なことばっかりだな」と思うことも半々ぐらい。自分に子供ができたとしても育てあげる自信なんてやっぱりないし、怖い。でもそれがないと自分の人生に誰も受け入れることなくひ独り生涯を終える意外の道はない。AVを見ても「こんなこと俺はしないもんな」と思ってしまう自分がこんなこと言う権利もないけど、やっぱりそう思い切る自信がない。
 「恋人はいて欲しいけど、恋人を作ろうとする自分は見てられない」みたいなことは平気で同じ人物の思考回路に同居する。

 友人がこの前「恋愛が向いてないってわかった」と言っていてそのときはどうしても聞けなかったけど、「一生一人で生きるって覚悟できると思う?」と聞いてみたかった。若林さんの「合う人に会う」とか「縁とタイミング」なんて言葉に希望を抱いて対ひととう物への気持ちが軽くなった気になったけど、「一人が好き」とか「自分に向いてない」とか「その自分が見てられない・気持ち悪い」みたいな自分が一生懸命こさえて大事にしている屁理屈を全部一瞬で吹き飛ばせるから大事に持っているだけで、そんな自分のキショい矛盾が気になってしょうがない。そのためには一生一人で生きる覚悟、他人の人生の何かを踏みにじる覚悟とかその他諸々がいる。それができない限り自分は矛盾だらけだし、覚悟ができても新しい矛盾が生まれる。

 最初に頭を駆け巡っていたのがどんな悩みだったのかはもうわかりません。それぞれが独立してそうで独立していないからそうなるわけで、単に自分の人間性によるものだからだなと薄々勘付いています。



#386  雑記㉑「自分の視線に唾を吐け」

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