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テーマパークは復路の方が足取りが軽い
高校受験が終わった春休みに、お金は塾持ちでディズニーランドに連れて行ってもらった。
高校二年の時、部活の先輩・同期たちとディズニーシーに行った。
そしてこの前、家族と志摩スペイン村へ行った。
(もっと過去に遡ると、記憶は定かではないが「トーマスランド」「おもちゃ王国」「那須ハイランドパーク」とかに行ったことがあるような気もするが、今回は特に関係ない。)
テーマパークを100楽しいと思ったことは、正直無い。ああいった聖域に1人で訪れようと思い立った経験はなく、どれも誰かしらに誘われる形でしかなかった。きっぱり断る勇気もなく、なし崩し的に、精一杯楽しんでる感じを出す。
本当はジェットコースターになんて乗りたくない。割高のチキンも、自分から食べようとは思わない。払ったチケット代の元を固有名詞の付いた体験でもって取ってやろうとも思わない。お土産を誰と誰と誰に渡そうなんてことも悩まない。
少しずつ待たされて、少しずつ本音を言えなくて、少しずつしたくないことをする。それが目に見えてるから、往路の足取りは重たい。その日どれだけ歩き回ろうがどうでも良くて、ジェットコースターをはじめとした嫌なことを乗り越えた復路の足取りが、僕は一番軽い。
志摩スペイン村に行った日はあいにくの雨で“インバーテッドコースター ピレネー”というジェットコースターが運休していた。家族は僕以外ピレネーに乗る気満々だったらしく、残念がっていた。
帰りの車の中で、「今度はナガシマスパーランドとか富士急ハイランドにしよう。こっちの方が近いし」と家族が会話していたので、今から慄いている。
正直、僕はナガシマとか富士急のジェットコースターに乗らないで死んでいく人生で全く構わない。スプラッシュマウンテンに金輪際乗らない人生でも別に良い。バンジージャンプも、スカイダイビングも、フリーフォールも、ダイビングも、ヒッチハイクでの日本一周も、留学も、イルカと泳ぐことも、別にやらない人生で構わない。
僕にはやらないまま死んでいくことがいくつもある。やれないこと・やろうと思えないこと、の方が適してるやもしれない。上記のような“人生で一度は経験してみたいこと”で上がる事柄から一般的な生活や幸せまで。だけど、それで僕は構わない。
志摩スペイン村に、“スチームコースター アイアンブル”という屋内のコースターがある。パークに入るや否や列に並ばされ、それがコースターであることに途中で気がついた。中三でディズニーランドに行った時、カリブの海賊が急降下するなんて教えてくれなかった。高二でディズニーシーに行った時も、“センター・オブ・ジ・アース”があんなにちゃんとコースターだって教えてくれなかった。「良いから良いから」とか言ってオブラートに包むくせに、“タワー・オブ・テラー”とかバイキングはひよりやがって。
人が密集した状態で感性や悲鳴が上がる状況が、久しぶりだった。スチームコースターアイアンブルに乗っている時、後ろの座席の妹を含めた乗客の黄色い悲鳴が耳に突き刺さってきた。なんとなく自分も声を出してみようと思って「フォー」とか言ってみたけど、なんか違った。自分の声に覇気が無く、カスれてて、音程も丁度不快。そういえば初めて行った声出しの音楽ライブの時も、そんな感じだったなと思い出した。
自分のような人間は、こういった状況で感情を爆発させられるタイプではない。柄じゃない。人じゃない。
ジェットコースターで声出してみようとか思った自分が間違っていた。あの日は雨でスチーム アイアンブルに2回乗ることになったが、別に声を全く出さずに乗ることは困難ではなかった。
「楽しくなさそうだね」と聞かれようもんなら、俺は頷いてやる。
#347 テーマパークは復路の方が足取りが軽い
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