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『不思議の国』写真家 石黒健治インタビュー(後編)

「日本のどこへ行っても、人の血のにじんでいない場所はない、ということは感じていました。」

大和田:54ページの写真は、長崎で撮影されたものですよね。長崎の写真は、どういうシチュエーションで行かれたんですか?

石黒:長崎は、『不思議の国』の写真集、写真展のために行ったんですよ。

大和田:なぜ長崎に?

石黒:やっぱり長崎なんですよ、なぜか(笑)。理由を聞かれると、困るんですよね。出身は福井ですから、長崎には住んだこともない。1回か2回行ったことはありましたけど、それもずいぶん前のことでしたから。『不思議の国』には1枚も使われていませんけど、軍艦島には以前にも行ったし、今回も行きました。そういえば、いま気がついたけど、原一男さんの井上光晴さんを撮った『全身小説家』だったか、その中に軍艦島の娼婦たちが海を背景に踊るシーンがあるんです。それがとっても良かった。そのせいかもしれない。

大和田:過去に凄惨な事件のあった現場や、無人になってしまった島。石黒さんは撮影に行かれる場所をかなり選んでらっしゃいますよね。

石黒:よくわからないんですね。最初の作品集『広島』の時も、広島でなくてもよかったという気もしたんです。ただ、広島には以前に別の仕事で立ち寄ったとき、街が妙に焦げ臭い匂いがした、それが気になっていたんです。なんだかよくわからないです。勘が働いて、なんですかね。

大和田:長崎で、表紙の聖人の顔を撮った。これも勘なのでしょうか。

石黒:これに関しては、松村明さんという人が撮った「爆心地1km」という本に、壊れた聖人の像の写真が何枚かあって、眼も鼻もそがれていて美青年ではなかったけれど(笑)。僕もこれを撮りたいな、と思ったんです。それで教会に行ってみると、その本で見た像がどこを探してもないんです。それで神父さんにお話を聞いたら、それはもう教会では保存できないので、原爆記念館に移したと。それで原爆記念館に行ったんですが、そこにもない。それで事務所に行って聞いたら、あれは陳列していないが収蔵庫にある。収蔵庫には外部の人は入れない、と。ひどいよね(笑)。広島もですが、原爆記念館は悲惨な写真や恐怖の展示物をどんどん撤去していますね。見て気持ち悪くなる人がいる、という理由で。ほんともう、ただのテーマパーク。ゆがんだ時計とかを見世物みたいに陳列して、本当に怖ろしいものは見せていないですね。原爆の残忍さを知って気持ちが悪くなるのは当たり前。世界中の人が、みんな気持ち悪くなってほしいよね。

大和田:石黒さんの中に、怖いものを見せよう、っていう感覚はあるんですか?

石黒:広島の原爆の記録写真は必要だと思うし、見たいとは思うんですけれど、たとえ現場にいたとしても、それを写真に撮って出そうとは思わない。

大和田:ただ、間接的にではあれ、死の臭いのようなものがあるかもしれない場所というのを選んで行かれているというのはありますよね。

石黒:ありますね。それはずいぶん前から、テーマというか、好奇心があるというか。日本のどこへ行っても、人の血のにじんでいない場所はない、ということはずっと感じていました。以前から「さまよえる日本人」というテーマが自分の中にあって、それをずーっとやっていたんです。アサヒグラフの連載とか、つげ義春さんとの旅行とかもそうでした。

大和田:「さまよえる日本人」というのはどういうことなんですか?

石黒:(A5折りたたみのパンフレットを見せて)これは、『広島』を出してくれた深夜叢書社のパンフレットです。お見せするのも恥ずかしいのですが、ここに書いてある通り、石黒健治作品集(全4巻)として、『広島』の続編が予定されていた。第3巻が『さまよえる日本人』です。ついでですが、第2巻が人物篇で、タイトルは変わっていますが『沸騰時代の肖像』が、僕としてはそのつもりでした。深夜叢書社は斎藤愼爾という人の個人出版社です。すでに幻の出版社といわれるほど凄い本を出していたんですが、斎藤さん自身も俳句で日本を代表する作家で、自分の書く方が忙しくなって、出版の方は凍結してしまったわけなんです。結果、『広島』の続編は出せなくなった。ところが、自分の中ではいつまでも、この時のやりたかったこと。「さまよえる日本人」というテーマが多少変わりながらも続いている。カメラ毎日で連載した『密景』などは、「さまよえる日本人」のバリエーションのような感じでやっていたんです。短編小説付きの写真で。

大和田:その小説は、石黒さんが書かれているんですか?

石黒:そうです。恥ずかしながら(笑)。この連載が、写真雑誌で文章付きの写真というのはおかしいじゃないかと言う人がいて、1年で終わったんです。そういうのを嫌がる人がいるんですね。でも、1年やったらもう十分というか。

大和田:小説付きの写真というのは、例えばどのようなものだったんですか?

石黒:その場所にある歴史の堆積みたいなものに、すごく興味があって。例えば福井県の原発のある辺りに、手杵祭というお祭りがあるんです。この祭りを調べていくと、昔、手杵村の海で楊貴妃の乗った唐の船が難破して、それをみんなでよってたかって皆殺しにして宝ものを奪ったっていう。楊貴妃が乗っていたというから1,300年前ですね。難破船を奪うというのは一種の入り会い権だったのだけれど、皆殺しにした祟りで村は疫病が流行って…。

大和田:それをお祭りで納めているという伝承があるわけですね。

石黒:それが現代とどう繋がるかということに興味があって、それを書いたんです。

大和田:そうすると、場所とそこに住む人たちの中にある歴史の堆積というものが、写真と小説という形で切り取られているということですね。

石黒:なかなか写真には写らないと思うんですけど。1回8ページで、写真は4、5カットでした。

「僕はヤラセは基本的にはいいという立場なんです。映像って本来そういうもんじゃないのかって。映像は危ないし、怖いですよ。」

大和田:この場合は短編小説も載せてもらえましたけれども、石黒さんは写真家なので、普通は載せてもらえないわけですね。

石黒:そうなんですよ。

大和田:例えば58ページの写真が福島の写真だと言うことは、巻末の解説を読まない限り、誰もわからないわけです。ただ、それを言葉なしに、福島であるということも伝えずに、写真だけでその場の状況を表現しなければいけないし、表現できている。

石黒:何かおかしいなとか、そういうことを感じてもらえればいいと、僕はそれしかないと思っていて。それが嫌だったら、他の方法をとればいいわけで。映画とかね。

大和田:言葉のないメディアであるということは、写真の本質ですね。

石黒:それが写真の強みでもあり、弱みでもあると思うんですよ。湾岸戦争の時の、油にまみれて飛べなくなった水鳥の有名な写真がありますね。あれを見ると、詳しいことはわからずに、それだけで「やっぱりイラクのやることは残酷だ」と刷り込まれる。ところがそれはヤラセだったわけです。でも、僕はヤラセは基本的にはいいという立場なんです。映像って本来そういうもんじゃないのかって。映像は危ないし、怖いですよ。

大和田:言葉がないが故に、一人歩きしてしまう部分もある。

石黒:その辺り、どうなんでしょうね。言葉である程度説明するということは、必要なのか、いらないのか。僕にはちょっとわからない。例えば祭りとのつながりで言うと、日本カメラで、日本の祭りを若いカメラマンが連載していて、竹富島の「種とり祭」を撮影していた。ちょっと風変わりなお祭りの紹介、というスタンスで。

大和田:「種とり祭」ですか。

石黒:竹富島は隆起サンゴ礁の島で、土がないんです。土がないので、わずかに土がある場所をものすごく大事にしている。そこに苗を植えて、種を取るっていう、そういうお祭りだという観光的な解釈をそのまま撮影記に書いている。でも少し調べてみると、種とりは種とりなんですけど、その昔、島民には人頭税がかけられていて、成人の頭の数だけ、お米を供出しなければならなかった。でも、土地がないのでお米がとれるわけがない。そこで、西表島とかほかの島に、お米を作りに出かけていたわけです。西表島はお米はとれるんですけど、蚊がものすごく多くてマラリアの巣だった。竹富島から集団移住して、そこでお米を作る若い人たちが全部死んでしまうという、そういう悲惨な歴史があるわけです。そこまでして、過酷な税、お米を払わなければいけない。その時に、「種とり祭」っていうのは7日くらいあるんですけど、3日目くらいに、村中が静かになるわけです。なぜかというと、種が芽生えるのに、雑音があったらいけないので静かにしろという。そういう不思議なお祭りなんです。が、それは表向きの話で、実は、恋人や夫がマラリアの島へ米作りに行かなきゃならない。その前の1週間、若い恋人や夫婦が、閉じこもって別れを惜しむ1週間なんです。みんなしーっと静かにしていようという、村中が静かになる、そういうお祭りなんだということがわかっていないと、ただ写真を撮ってもだめじゃないかって言いたかったのね(笑)。それは写真ではなかなか言えないので、当時は文字で書いたんです。

大和田:直接的に言葉にすると、それはストレートに伝わるとは思うんですけど、そうではない表現の仕方が写真ではできるのではないでしょうか?

石黒:できますか? ドラマにしないと無理でしょう。

大和田:正確に伝えるには、ストーリーにしないと難しいですね。ただ、場所によっていろいろな空気感、雰囲気があると思うんです。沖縄には沖縄の、広島には広島の。その空気感というのは、そこに住んでいた人たちが作り出してきた歴史の堆積から生まれてきたもので、その空気感をつかみ取って写真にするというのは、魅力的な表現方法のように思うんですけど。

石黒:それを何とか表現したいと思って。でも、いくら頑張っても、伝わらないところがあるんだよね。

大和田:写真だけでは、って言うことですね。

石黒:うん。単純なことなら伝わるんですけど、その背景にあるものはなかなか伝わらない。だからいろいろ考えてやっているんですけど、なかなか難しい。

大和田:写真の場合、説明しようとすればするほど、写真としての魅力がなくなっていくという。

石黒:そうそう(笑)。そういうジレンマがあるんですよ。

大和田:写真の長所と短所が平等に存在していて、その短所を無理に埋めようとすると長所が減っていくみたいな。

石黒:これはもう映画とかでやらないともう無理だな、みたいなところはありますね。映画をまた撮りたいです。

大和田:ただ、特定の地域の歴史を詳細に調べて物語るという方法ももちろんあるんですが、そうではなく『不思議の国』では写真だけを使って、複数の場所の、複数の時代を1つのストーリーとして構成している。それによって、「今」がどういう時代なのか、ということをこの1冊を通じて表現されていると思うんですよね。

石黒:写真集にストーリーを持ち込んで、物語化を目指してやってみました、というわけだけど、惨敗かもしれない。逆に言えば、1枚1枚の写真それぞれに、1つの物語があるわけですから、1枚につき1つ短編小説が書けるわけです。それは書いていいのかどうかは問題ですけど、書くことはできるわけです。

大和田:それぞれの短編小説は、一見無関係だったりするわけですよね。でもそれは本来無関係ではなくて、時間的なつながりや空間的なつながりということでいえば、それぞれがすべて連続した1つの世界を構成している要素であるわけです。世界全体の部分をそれぞれ切り取ってきて、それが1冊の本として表現されている。

石黒:しかし難しい問題だな、これは。ものすごく能力のある人なら、両方解決するんだろうけど。

大和田:どうなんでしょうね。ただ、説明的な写真というのは、魅力的な写真ではないと思うので。むしろなんだかよくわからない写真、けれども魅力を感じるとか、熱気を感じるとか、怖さを感じるとか。

石黒:そうそう。

大和田:そういう写真が魅力的な写真だと思うので。その土地の歴史やお祭りの文化を記録として残しておくことはできると思うんですよ。たとえばこういう衣装をつけて、メイクをして、踊りを踊るというようなもの。それは、記録写真としては残せると思うんですけど、それは1つの記録でしかなくて、記録から漏れ出てしまったところに、写真というメディアの魅力があるのかなあ、と。その漏れてしまっているというのは、情報を伝えるということでいうと欠陥だと思うんですよ。でもそこに、写真の可能性があるんじゃないのか、という気がするんですね。なので、石黒さんが考えているもどかしさみたいなものはわかるんですけど、それは写真の本質だと思うんですよね。ジレンマなんですけど。

石黒:わかります。

大和田:ロラン・バルトの『明るい部屋』に、次のような一文があります。

写真映像は充実し、満たされている。そこには何の余地もなく、何ものをも付け加えることができない。映画の世界は、現実の世界と同じく、つぎのような予測によって支えられている。すなわち、<経験の流れはたえず同じ構成様式に従って過ぎ去っていくだろう>ということ。ところが写真は、その<構成様式>を断ち切ってしまう(「写真」の驚きはここから来る)。写真には未来がないのだ(写真の悲壮やメランコリーはここから来る)。「写真」は停止しているので、現示作用(現前化)は時間の流れを逆流して過去作用(過去把持)に変わってしまうのだ。

そういうことを言っていて、なんかちょっと近いのかな、という気がしたんです。

石黒:写真というのは、絵画、演劇、小説も含めて、いわゆるアートとは違うものだっていう気がしますね。ロラン・バルトはそうは書いていないけど、そう思っている感じはします。

大和田:映画であれば、過去も未来もあるので、石黒さんが先ほどおっしゃった歴史というものを伝えることができるわけなんですが、写真にはそれがない。今見えているもののまま、停止してしまっている。でもそこに現れる、バルトが言うところの写真の悲壮やメランコリーというのはすごく魅力的であるわけですよね。

石黒:メランコリーね。うーん、これはたいへんだ。

大和田:なにかこの、哀しみみたいなものなんですかね。面白みでもあり哀しみでもあるみたいな。

石黒:面白みのない哀しみは、それはつまらないよね。

大和田:面白みと哀しみが両立できるというのは、写真に何かが欠けているからこそだと思うんです。例えば言葉が欠けているとか、未来が欠けているとか。石黒さんの写真集からは、それがしっくりくるんですよ。

「僕たちの仕事は、写真であれ映画であれ、リアリティをどう獲得するか、だと思うんです。」

石黒:今、映画を作りたいと思っているんですけど。映画とか、ストーリーを持った世界に惹かれるというか。

大和田:写真でできる表現と映画でできる表現はまったく違うものだと思うので。そこのバランスを取りたいというのが石黒さんの中であるのかな、と思うんですけど。

石黒:あるようですね(笑)。

大和田:私は写真だけでいいんじゃないかと思うんですが(笑)。それは本当に石黒さんの中での、バランスなんだと思うんですよ。映画で可能なストーリーの表現というものが、写真ではとても難しいということがある。でも写真は、写真集や写真展として表現されることで、順番に並べられ、順番に見ていかれる。こういう形態に置き換えられることで、1つの世界が表面に出てくる、我々に伝わってくると思うんです。そう考えた場合に、石黒さんの中で今回の写真集は成功だったんですか?

石黒:いやー、まったくわかりません。というのは、展覧会をやっていて、「この原発のところから前と後、ぜんぜん違いますね」と言ってくれた人はたった1人でした。画家でしたけど。だから、なかなかわかってもらえないんだなあと。必ずしも、声をかけてくれなかったからわかってもらえていないというわけではないんですけど。

大和田:わかってくれている人はもっと多いかもしれない。

石黒:もうちょっといるかもしれませんけど(笑)。図星できちっと言ってくれた人はたった1人でした。

大和田:わかりやすい写真であれば、多くの人に伝わると思うんです。でも、それが価値のあることなのかどうか? ということですね。

石黒:僕は最初、「社会派」って言われたんですよね。自分はなんで社会派なのかなと(笑)。広島っていう題材というか、そこから言われたんですかね。

大和田:その土地の意味みたいなもの、先ほどお話しいただいたお祭りの意味もそうですけど、その歴史の堆積を意識して撮っているのが伝わったということだと思うんですよ。それが、今回の写真集の持っている力にもつながっていると思うんですよね。

石黒:そうですか。

大和田:石黒さんの、社会派というとあれですけど、土地の記憶のようなところに、すごく敏感に撮影するという方法は、ドキュメンタリー的であると言えるんでしょうか。

石黒:僕たちの仕事は、写真であれ映画であれ、リアリティをどう獲得するか、だと思うんです。そして、ドキュメンタリーの手法でリアリティを求めるということはあると思います。これは今村昌平監督から教わったというか、注入された(笑)。今村さんの映画作りは、まず調査、調査です。シナリオ作りは言うまでもなく、キャスティングでも主な俳優さんの素性を調べる。まさに調査魔。今村映画は、ドキュメンタリー的リアリティを保ちながら、いつの間にかフィクションの世界に連れて行ってしまう。フィクションでなければ表現できないリアリティがあるんです。今村さんから教わったことはものすごく多いです。

大和田:フィクションでなければ表現できないリアリティ、ですね。

石黒:それから、谷川健一先生の影響も大きいと思います。『琉球弧物語抄』(オリンパスギャラリー2006年)は、ひたすら谷川先生の著作、「沖縄学」を頼りに撮影に行っているんです。膨大な調査と奥深い考察、そして文章が素晴らしい。暗い沖縄の森を少しずつ進んでいくと、次第に明るくなって、ついに白い浜辺が広がり、海が青い姿をあらわすような、幻想的なイメージ。読むほどに見えなかったものが見えてくる、目が開かれる気持ちになる(笑)。谷川さん、お会いしたことはなかったんだけど、写真展の案内状を出したらレセプションに来てくれたんですよ。嬉しかったなあ。
その谷川さんさえ、例えば宮古島の狩俣地区などでは、完全には受け入れられない場面がある。八重山の祭祀は禁忌の空間です。カメラを抱えて、しかし撮ってはいけない、地団駄とはこのことですよ(笑)。むりやり禁忌を犯すカメラマンもいる。新城島の赤マタ黒マタを撮った映画の新城監督は、沖縄出身の方だけど、許されなかった。祭ではないが、大神島の人々を記念写真風に撮って写真集にしたカメラマン。彼は祟られてのちに倒産した。笑い話じゃない。浅い好奇心で秘密を犯したんだから。写真が立ち入れない、立ち入ってはいけない空間があるんです。それだけに魅力のある空間だけど、写真はそんなに偉くないから。
たった1つ例外がある。比嘉康雄さんの『神々の古層』全6巻。沖縄、八重山の祭礼・祭祀を余すことなく撮った。これが最後です。記録としても素晴らしいし、幻想的ですらある。ものすごく素晴らしい写真集ですよ。彼も谷川さんに会っている。宮古島でいっしょに「祖神祭」を見ているんです。

大和田:羨ましそうですね(笑)。

石黒:ほんとに(笑)。もう遅いんです。狩俣地区の祭祀も、後継者がいなくて、久しく休止。久高島のイザイホーもです。今更出かけて行っても全然だめです。記録としては比嘉さんの写真があればいい。あとはドラマでやるしかないですね。谷川さんも、糸満の少年の話を小説として書いているんですよ。

大和田:石黒さんの写真の面白さは、こうした写真の表現としての限界を知りつつも、それに対して果敢に抵抗し、写真には写らないものを写真に写そうとしているところにあると思います。今日は、ありがとうございました!

インタビュー収録:2017年8月10日、11日
編集・加筆修正:2020年1月、2月

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石黒健治作品集 3 不思議の国 FAIRYLAND

B5横変/102ページ/並製
定価3,200円+税
ISBN978-4-7791-2190-6 C0072
https://www.amazon.co.jp/dp/4779121906

〇プロフィール
石黒健治 kenji ishiguro
1935年福井県生まれ。1959年桑沢デザイン研究所修了。同年、写真協会新人奨励賞受賞。主な写真展に「不幸な若者たち」「ナチュラル」「シアター」「夫婦の肖像」など。写真集は「健さん」「広島HIROSHIMA NOW」「ナチュラル」など。そのほか、ミステリードキュメント「サキエル氏のパスポート」を出版。また、映画「人間蒸発」(今村昌平監督)の撮影担当、「無力の王」(東映セントラル)を監督など、多方面で活躍。

LITTLE MAN BOOKSは、ふつうの人のために本を作って販売する、小さな出版プロジェクトです。 http://www.littlemanbooks.net