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『不思議の国』写真家 石黒健治インタビュー(前編)


「意味とかなんかではなく、当然みたいな感じでした」

大和田:石黒健治さんは、2016年に写真集『不思議の国 FAIRYLAND』(彩流社)を刊行されました。「石黒健治作品集3」とあるように、石黒さんの作品集としては、3番目ということになるわけです。その前の『ナチュラル-Oneness』が1992年ですから、かなりの期間が空いていることになりますね。その間、撮り続けた作品を写真集にまとめたいという思いはあったのでしょうか?

石黒:はい、あったんですけど、時々あって、時々立ち消えという。『ナチュラル』からこれまでの間に何をやっていたかというと、映画を撮っていた。それから『サキエル氏のパスポート』というドキュメント風な小説を書いたり。つまり、ほかのことをやっていたんですね。写真の仕事としては、学者との共著で『図説イエルサレム』とか、商業的ヌード写真集も3冊出しました。写真展も、ジャマイカやフィリッピンで撮った『海へ!』とか『海から』。それから、沖縄八重山の『琉球弧物語抄』(2004年)。そうそう、新宿髙島屋でやった写真展(2002年)のタイトルは「Fairyland」だった。名前が同じというだけで中身は違う(笑)。それから『沸騰時代の肖像』は、2006年に写真展と同時に出版もしました。その時に展示した写真は、いまだに写真展のオファーが来ています。人物写真は人気があるんですね。

大和田:「石黒健治作品集」と銘打っているものは、それらとはまた違った種類の写真を集めているということでしょうか?

石黒:撮り分けているという意識はないんです。人物の写真も、人物というより人間写真なので。コマーシャルの仕事のような、スポンサーの要望みたいなものはまったくありません。ほとんどが雑誌の連載で、今度誰を撮るかということも自分で決めていましたから。

大和田:そうすると、『不思議の国』としてまとめられた写真と、それ以外の写真との間に差はないということになるんですか?

石黒:僕は、そう思っているんですけど(笑)。コマーシャル・アートという言葉は、本来あり得ないんです。コマーシャルとアートは対立するものだと思うので。コマーシャル・アートと言わず、コマーシャル・フォトでいいんですよ。

大和田:石黒さんの写真は、すべてコマーシャル・フォトではない。アートであるということですか?

石黒:政治的、経済的な規制や束縛を、いかに切り抜けるか、戦うか、逆手にとるかということですね。僕は政治的人間でもないし、戦うほどハートも身体も強くない。かといって、時代の風は痛いほど受けているので、そこは適当にごまかして(笑)、微妙にすり抜けて。すり抜けに失敗して、連載をクビになったこともあるけどね。

大和田:そうすると、『ナチュラル』から『不思議の国』までの間、「作品を発表する」ということでいえば、充実した期間を過ごされていたということですね。

石黒:充実かどうかわかりませんが(笑)、休んでいたわけではないんです。

大和田:そんな中で、「石黒健治作品集」の3を出すということは、石黒さんにとってどういう意味を持つものだったんでしょうか?

石黒:いや、意味とかなんかではなく、当然みたいな感じでしたけどね。

大和田:石黒さんのお仕事として、自分の作品をまとめた写真集を出すということは、一連の仕事のバリエーションの1つとして当たり前にあるということですか。

石黒:パソコンの中に、「フェアリーランド」とか「不思議の国」という名前の付いたフォルダがいっぱいあるんです、ずいぶん前から(笑)。その中にある1,000枚超の中から写真を外していって200枚を残し、さらに半分を捨てて、今回の『不思議の国』を組んだんです。今考えると、その時に捨てた写真群が、それまで次に出そうと思っていたものだったんですね。

大和田:今回の写真集から外した写真が、石黒さんの本来の『不思議の国』のイメージだったということですか。

石黒:本来のというか、元のね。感性がだんだん変化してきて、そのころの写真がイヤになって捨てたという(笑)。あとから考えると、そういうことになりますね。もちろん全部ではありませんが。

大和田:そのころというのは、何年くらい前ですか?

石黒:『ナチュラル』を出したころから、長期的にそういうフォルダはあるんですよ。ワンダーランドとか、シアターとか、名前はいろいろ変わっていますが。

大和田:名前は変わっても、ある1つのビジョンは継続してあったわけですね。

石黒:それはあったんです。その頃の写真も、今回の写真集に入っています。イスラエルの写真もそうです。でも、ほとんどは新しい写真です。

大和田:そうすると、「不思議の国」というコンセプトはずっと前からあって、そのコンセプト自体が、時間を経るに従って変わってきたということですね。

石黒:やはり、『ナチュラル』を引きずっていた。

大和田:それは、どういうところを引きずっていたんですか?

石黒:それは外した写真を見てもらうとわかるんですけど、もし没写真だけで1冊作るとしたら、『ナチュラル』と『不思議の国』の間に入ってくる写真集になる。

大和田:『ナチュラル』を引きずっているというのは、以前お話しされていた、センチメンタルな雰囲気が残っていたということでしょうか?

石黒:最近のことですが、銀座のAkio Nagasawa Garellyの長澤さんが『ナチュラル』を見て、「スタイリッシュだ」と言ったんです。つまりダメだと。刊行した当時、スタイリッシュはむしろ褒め言葉で、写真集もそれなりに評価されたんですが(笑)。引きずっていたというのは、そのスタイリッシュさです。それですっかり長澤さんを信用してしまった(笑)。

大和田:今回は、元日本カメラ編集長の前田利昭さんが最終的なセレクトを行っているということですが、石黒さんが前田さんに写真を渡す前の段階で、すでにスタイリッシュな写真はある程度取り除かれていたのですか?

石黒:ある程度、ですね。それで残ったのが200枚ですから。それから考えると、まだ100枚が入っていたんですね。それを、前田さんに半分にしてもらった。

大和田:その100枚の写真については、ご自身の中で「今」ではないという感覚はあったんですか?

石黒:捨てられてわかった(笑)。前田さんは、猛烈なスピードで100枚捨てた(笑)。

大和田:人も世の中も、時代とともにすごい速度で変わっていっている。だから『不思議の国』を出された2016年のリアリティというものが、そこには入っている。

石黒:そう思いたいですね。

「なぜぼくがこの写真を表紙にしたのかというとね、単にね、色っぽいと思ったんです。」

石黒:どうやら、なかなか理解されにくい写真集らしいですね。この前パリで映画の話があって。向こうの映画の制作者に、企画書を英訳して送ったんです。その時、シナリオの翻訳は大変なので、紹介者がこの写真集を見せて、こういう人だと説明してくれたらしいんですよ。シナリオは読めないし企画書だけじゃわからないけど、写真集はいいじゃないか、と評判はよかったらしい。でも、表紙を見て石像の写真家だと思う人が多かったと聞いて、がっかりしちゃった(笑)。表紙、失敗したかな(笑)。表紙は僕がこれにしてほしいと言ったからね。

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大和田:表紙の写真については、私も最初、なんでこの写真なんだろう? と思いました。売れそうな感じもしないじゃないですか(笑)。

石黒:これはまずい(笑)。大失敗だな。

大和田:そこでいろいろ考えてみたんですが、この聖人の視線に、心穏やかな、平静な心境が現れている気がしたんです。それは、すごくニュートラルな立ち位置なのかな、と。石黒さんは写真集の袖で、表紙の写真に「彼は何かを話したいらしかった」という文章をつけています。彼は石像なので、話したいことがあっても、それを言葉にはできない。つまり人間という存在に対して、言葉にならないメッセージというものを写真で発しているのかなあ、と考えたんです。

石黒:なぜ僕がこの写真を表紙にしたのかというと、単にね、色っぽいと思ったんです。なかなか美青年で、すごくチャーミングじゃないですか。美青年が何か訴えているようだ、と思ったんですよ。

大和田:チャーミングかどうかは、私にはわからないんですけど(笑)。彼は長崎で、いろいろなものを見てきたわけですよね。この写真集には、この世界の「今」がたくさん詰め込まれていると思うんですけど、それに対して中立的な立ち位置から、何かメッセージを発しようとしている。でもそれは、石像、それから写真という制限の中で、視覚的なものにとどまっている。そういう風な解釈をしてみたんですね。

石黒:そんなに難しいことは考えていなくて(笑)。(ページを開いて最初の写真を指して)こっちの写真の方がよかったんですかね?

大和田:いや、今では、私は聖人の像でよかったと思っているんです。この写真は、写真集の中でどこにも属していない感じがするんですよ。1つだけ浮いている、1人だけ違う世界に住んでいるというか。そんな気がしたんですよね。

石黒:その時は、何も悩まずこれに決めたんですよ。後からそういう風に言われるとはまったく思わなかった(笑)。浦上大天主堂の信者会館のエントランス・ホールの隅に、原爆で破壊された石像の頭部が山積みになっているんです。撮り方によって、わずかな角度で、ただのゴミに見えたり、鼻の欠けたところとか肌の荒れたところとかが汚く写ったりするんです。それで、ある角度とある光の具合だけで、非常にこう、何かを訴えるような・・・色っぽかったと思うんだけど。ちがうのかなあ。

大和田:そうすると、撮りようによっては、こうは写らないという。

石黒:ぜんぜん違ってくると思う。光を見て、ホールのカーテンをこっそり開けたり閉めたりしました。係の人がいるので(笑)。

大和田:そうして何枚も撮る中で、石黒さんが探していたもの、目指していたものというのは何だったんですか?

石黒:結局、こういう写真を撮りたかったんですね(笑)。何枚も撮る中には、そうでないものももちろんあるわけです。一番撮りたかったイメージに近い写真を選んだわけです。

大和田:石黒さんの「こういうもの」を撮りたいというときの「こういうもの」というのは何でしょうか?

石黒:僕がそれを見た時に感じたイメージに近づけようとするわけですね。そのイメージというのは、繰り返しになりますが、やっぱり色気じゃないかなあ。誤解を恐れずに言えば、エロスです。

「あまり差支えのない言葉で言うと、そこに行けば何かあるという気がするんですよね」

石黒:1945年6月30日に、花岡事件というのが起きたんです。太平洋戦争の頃、日本は中国人、韓国人を拉致して、日本全国で強制労働をさせていた。花岡事件というのは、秋田県花岡鉱山での労働環境のあまりのひどさに謀反を起こした中国人が、見張りの人を殺して逃げて、獅子ヶ森という場所に隠れたんです。約800人。それを日本の憲兵隊が、片っ端から捕まえて殺した。残った100人ほどを後ろ手に縛って、夏の暑いときにまる2日、共楽館の前にある広場にほったらかして、水も与えないで、全員死んでしまうんです。その屍体を朝鮮人の労働者に穴を掘らせて埋めたんですが、戦後アメリカ軍が、脚がにょっきりはみ出しているのを見つけて、日本の恥ずべき事件が表に出た。この写真(28ページ)が、「獅子ヶ森」の写真です。

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この場所がですね、きれいなんですよ、すごく。ぞっとするくらいきれいなんです。殺されて残酷な場所がこんなにきれいということがあるんです。これ(15ページ)も、殺された人の記念碑のあるところで、記念祭の日に追悼式をやっているんです。

大和田:整理されすぎていて、逆に怖いということですか。それはなぜでしょうか?

石黒:なぜでしょう。わからない。沈黙、静寂。だけど暗いわけではない。

大和田:石黒さんは、事件の起こった現場に意識的に行かれています。それは3.11や尖閣諸島(64ページ)の写真もそうですね。写真を撮りにその場へ行こうというのは、どのようなモチベーションなんですか?

石黒:何かあると、そこへ行きたいという、初歩的な欲求がありますよね。野次馬です。

大和田:報道写真の場合は、この現場はこういう事件があった現場であると、説明付きで提示されるものだと思うんですが、石黒さんの場合は言葉での説明なしに、ビジュアルのみでそれを提示する。写真を見ても、それがどこで、何が起こった場所なのかはわからないわけです。

石黒:そこに行けば何かあるという気がするんですよね。例えばこういう風景(76ページ)、ふつうありえないじゃないですか。アスファルトがごっそりめくれてこうなっている。

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ありえない風景、異次元の現実があるという予感がする。誤解を恐れずに言うと、そこには幻想的な世界があるんじゃないか、ということです。これ(58ページ)もそうですね。

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大和田:福島ですね。

石黒:花盛りで、誰もいない。怖いんですよ。もう、絵に描いたような花盛りで。危険地帯で入っちゃいけないところだったんですけど。さらに、写真は撮れませんでしたけど、第一原発の原子炉の横に桜並木があって、正門から垣間見ることができました。それはきれいだったですよ。きれいというのは、逆に残酷なんですよね。

大和田:「逆に残酷」というのは、人がいないにも関わらず、人が植えた花は咲き誇っている。

石黒:花盛りの原発。

大和田:美しいけれど、怖い。石黒さんと違って、写真を見る我々はこの写真の背景にあるものがわからないじゃないですか。つまり視覚的な情報しかないんですけれども、その怖さは伝わってくるんですね。

石黒:伝われば、それは、うれしい。こういう写真(71ページ)も怖いんですよね。これも長崎です。

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でも、この怖さというのは、こっちのアメリカで撮った写真(74,75ページ)の怖さとはまた違うんですよね。自分で説明してたら世話ないけど(笑)。でも、孤独感という点では、アメリカの写真のほうがわかりやすいということはあるかもしれないね。

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大和田:私が写真集の中で好きなのは、アメリカの写真の怖さよりも、71ページのような怖さの方なんです。それから70ページの写真も好きなんですけど、これも、意味もわからずなぜか怖い。

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石黒:これ、四谷のソバ屋で飯食ってたら・・・。

大和田:まさに「不思議の国」ですね。先ほどの71ページの写真も、普通の交差点に見えるんですけど、ただ怖いんですよ。

石黒:リアリティ。

大和田:そうですね。「今」の写真だな、という感じがすごくするんです。その共通点というのは、なにかこう無力感というか、諦念、諦めに近い冷え切った感じというか。

石黒:無常感ですかね。あきらめというのは、あきらかに見る、ということなんだそうです。ヤーメタ、っていうんじゃなくて。

大和田:逆なんですね。

石黒:物事をあきらかに見る。あきらかに見るというのはすごいね、見れないよ(笑)。仏教の言葉は鋭いね。

大和田:あきらかに見るということは、無常感をあきらかに見るということになるんでしょうか。

石黒:あきらかに見れば、無常が見える。

大和田:世界が無常である、ということをあきらかに見る、それが肯定的な意味でのあきらめ。つまり自分の力は無力であるというような、無我に近い発想に近くなってくるのかもしれないですね。

石黒:あー、なるほどねえ。仏教の全肯定というのはそういうことかなあ。富山のお寺のお坊さんが言うにはね、浄土真宗の方なんですけど、阿弥陀、アミータっていうのはまさに「不思議」のことなんだって。阿は否定語で、アミータは思議。つまり思議しないこと。

大和田:こうした冷え切った、無常感のある写真とは別に、「不思議の国」の中には熱気を帯びた写真も含まれていると思うんです。これ(33ページ)は人が写っているわけではなく、廃墟のように見えるんですが、それでも人の熱気が残っているように思うんですね。

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石黒:これね、人の顔がいくつもあるんですよ。そのつもりで撮ったんです。ここに顔がいくつもあるでしょう。一番わかりやすいのは、ここ。この辺にも。あちこち顔があるなあと思って、撮ってるんです。

大和田:いや、まったく理解できないんですけど(笑)。

石黒:(笑)ひとりよがりかな?

大和田:いえいえ(笑)。ただこの写真には、無常感というよりも、人の熱気というもの、かつて人がいた痕跡というものをより強く感じたんですよね。

石黒:僕は人を撮ったつもりなので(笑)。

大和田:そうですよね(笑)。だから、通じているんだと思いますよ。

石黒:今、1人しか見つかっていないんだけれども(笑)。あちこち、ここにもいるなあ。いるんですよ。人がいるんですよ。

(インタビュー中編へ続く)

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石黒健治作品集 3 不思議の国 FAIRYLAND

B5横変/102ページ/並製
定価3,200円+税
ISBN978-4-7791-2190-6 C0072
https://www.amazon.co.jp/dp/4779121906

〇プロフィール
石黒健治 kenji ishiguro
1935年福井県生まれ。1959年桑沢デザイン研究所修了。同年、写真協会新人奨励賞受賞。主な写真展に「不幸な若者たち」「ナチュラル」「シアター」「夫婦の肖像」など。写真集は「健さん」「広島HIROSHIMA NOW」「ナチュラル」など。そのほか、ミステリードキュメント「サキエル氏のパスポート」を出版。また、映画「人間蒸発」(今村昌平監督)の撮影担当、「無力の王」(東映セントラル)を監督など、多方面で活躍。

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