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2017/04/11 cero Presents “cero × GUIRO”

この日のceroは僕が観た数少ない彼らのライブのイメージとは少し違った演奏をしていた。
1曲目の「マイ・ロスト・シティー」から低音が強調されたベースとドラム、ラウドなギター、興奮を煽るコーラスから感じられるのはいわゆるシティポップではなく、「ロック」だった。
個人的にここ何年かロックはあまり聴いておらず、ギターが歪むだけで敬遠しているような節がある。
しかし、全く嫌な気がしない。むしろ笑うしかないくらいに圧倒されてしまっていた。
2曲目「Yellow Magus」、3曲目「Summer Soul」と進む。ライブバンドとして脂が乗りまくった貫禄すら感じさせられる演奏。貫禄とは言ってもさらっとやってのけているのではなく、しっかりとした演奏技術を基盤とした上で行われる魅せる意識満々のパフォーマンスにミュージシャンとしての気概を感じた。
高城さんがMCで話していたことだが、「GUIROのようなバンドは世界中探してもそうそういない芳しいロックバンド」。たしかにそうだろうと思う。しかし、今のceroもライブバンドとしてそうそういないレベルなんじゃないかと思った。例えば、カマシ・ワシントンのバンドとやったって遜色ない気がする。「技術」といった点では劣るかもしれないが、「上手い=盛り上がる」ではないし、この日のライブでは自然とそんなことが頭に浮かんだ。

出演の順序は逆になるのだが、この日のGUIROも「ロック」を感じさせる演奏をしていた。高倉さんのMCで「初めてロックバンドとして紹介された」と話していたが、それもあながち間違いでもないかなと思ったのは「あれかしの歌」と「エチカ」。
前者ではギターのキレが鋭くなり、ドラムもラウドに感じられ、後者ではリズムパターンが「ドッドッタッツッツッタッ」から「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ」という風に変えられて演奏がされた。元も決して軽やかではないけれど、少しもたついたような重めのリズムで。
この日の高倉さんは僕が去年観た神戸、東京のライブとは異なり、ガットギターから335タイプのセミアコを持っており、牧野さんとのツインギター体制というのも「ロック」を感じさせる要因だったのかもしれない。

終演後、高倉さんから「ロックは聴いたことがない」と聞き、そのことを意外とは思わなかったけれど、ロックを基盤にしないミュージシャンたちが「ロック」を感じさせる新しい音楽をつくっていくようなことがあったら面白いかもしれないと感じた。「アバウ」だってロックではないけれど、「じゃあこれ」とジャンル名で答えられるものではないし、ceroもシティポップと呼ばれて喜ぶようなバンドじゃないんだろうなと思ったから。
「○○はロック」のような言い方は好きではないが、「ロック」というのが「気概を見せる」ことであれば、この日のceroもGUIROもとんでもなくロックだった。

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