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ご報告(1)【オンライン講座】根田仁先生『食用キノコの歴史から知る日本の森の歴史』


今回の根田仁先生のオンライン講座、キノコについて色んな角度からお話いただきました。

あまりに盛りだくさんだったので、2回に分けてご報告させて頂きます。

1回目はキノコから見た日本の森の激変です。人がどれだけ日本の森を変えてきたのか痛感させられる内容でした。

キノコと共生する木は決まっているから森が変わるとキノコは変わる

その正体は動物でもない植物でもない菌類という生き物。地中に埋まった菌糸と言われる糸状の長い細胞の集まりです。

キノコは落葉や枯れた木を分解・吸収して生きるものなどがいる一方、生きた木と共生するものもいます。

生きた木と共生するキノコは、特定の木とだけ共生します。そのため森の木が変わるとあ、出るキノコも変わるのです。

昔の森林破壊はひどかった???

そこで、キノコの歴史の謎をひも解くために、日本の森の歴史を紐解いていくと驚くべき事実が浮かび上がってきます。

なんと、緑あふれていると思っていた日本の山は伐採されまくっていたというのです。

古事記に出てくる八岐大蛇(やまたのおろち)と須佐之男命(すさのおのみこと)のストーリーは、実は水害と治水事業の様子を描いたのではないかという説もあります。

実は島根近辺は、はるか昔、神代の時代から製鉄産業が盛んで、木を伐りまくられ、人々は水害(ヤマタノオロチ)に悩んでいたというのです。

それを収めたのが治水事業(スサノオノミコト)だったというのですね。

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江戸時代の街道の風景は禿山

ということは、どんだけ近世は木が伐採されたんだ・・と思ったら・・

浮世絵や外国人の記録から街道沿いから見る江戸時代の風景・・・実は松もがまばらにしか生えない禿山だったということが分かっているといいます。

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燃料・建築・製造業用にどんどん切りまくられたということですね。

結果、マツが生えていて、木の下はきれいに掃き清められた場所が広がり・・・・そんな場所が大好き、マツタケが沢山生えたという訳ですね。

マツタケが森林破壊の結果とは・・驚きです!

そして戦後、燃料や材料に使われなくなった森林は元の姿になり・・日本人が昔から好んで食べたマツタケは減ってしまったということですね。

エネルギー革命は森林の自然植生を再生させた??

なんだか良かったのだか、悪かったのだか・・・今までマイナスに捉えていていた戦後の生活の変化が良いのか悪いのか分からなくなってしまいました。

木はかつては
・生活用の燃料
・生活用品の材料
・建材
・製造業用の燃料
を全てを担っていたわけです。

その後、化石燃料の活用が始まり、木は一気に使われなくなり、裸地だった場所やマツ林だった場所は伐採がされなくなったせいで自然植生の森へと向かい始めます。

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結果すっかりマツは減り始めました。

それに加えてマツノザイセンチュウによるマツ枯れが追い打ちをかけてしまい、以前の人工林に大量に生えていたマツが一斉に枯れ、マツタケの生産がさらに減ってしまったということです。

昔の森はどんなだっただろう

キノコの変化から知る森の変化の話。。
人は、太古の昔から自然破壊を続けていたんですね。
考えさせられました。

そこまで森が伐採されて他の生き物はどうなっていたのでしょうか。。

昔の日本の風景、タイムマシンで見に行ってみたいと思いました。

人と森との共存の答えはまだ見つかっていない

「森と人との共存」は、古代から現在まで解決できない課題だということが今回のお話を聞いて分かりました。

私たちは、自分達の知らない「昔」には、その答えがあるのではないかと信じ込んでいる部分があります。

でもそうではないということですね。
私達は、まだ見つかっていない「森と人との共存」という答えに向かって、新たなチャレンジを続けていかなければならない、ということを根田先生は楽しいお話の中で伝えてくださったのだと思いました。

第二部に続きます。 
(NPOリトカル 中田)







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